あの夏を取り戻せ コロナ禍で失われた“甲子園”への挑戦「若者こそ夢を語ろう」[2023/06/07 20:05]

2020年、新型コロナの影響で突如として、夏の甲子園という夢を奪われた高校球児たち。
あれから3年、当時の球児らが発起人となり“あの夏”を取り戻そうとプロジェクトを立ち上げました。
1000人以上の元球児たち、そして、野球界をも動かした1人の大学生の思いとは。

テレビ朝日報道局 石井大資

■夢の聖地“甲子園”を再び―

5月18日、都内の大学で、「あの夏を取り戻せ 全国元高校球児野球大会2020−2023」の開催発表記者会見が行われました。新型コロナの影響で夏の甲子園が中止となった2020年当時、高校3年生だった元球児たちによる野球大会が今年11月、甲子園球場を中心に兵庫県内で開催されることが発表されました。
6月7日からクラウドファンディングで開催費用7000万円を募ります。
会見にはオンラインを含め70社以上が参加したことから大会の注目度の高さが伺えます。

プロ野球界からも支援の声が届き、元東京ヤクルトスワローズの上田剛史さん、宮本慎也さんが応援メッセージをよせました。
さらに高校野球を長年取材してきた、元ヤクルトの古田敦也さんがゲストとして登壇しこの大会が「若者たちに勇気を与えてくれる」とエールを送りました。

■「生きる希望をなくした」突如として終わった“あの夏”
 
大会発起人となったのは武蔵野大学3年生の大武優斗さん、21歳。
彼自身もコロナ禍で目標を失った球児の一人でした。父親の影響で小学生から野球を始めた大武さん。スポーツ推薦で甲子園出場経験もある、東京の城西大学附属城西高校に進学。彼にとって甲子園出場は夢であり青春のすべてでした。

しかし、高校生活最後の年となった2020年。突如として猛威を振るった、新型コロナウイルス。
練習はおろか、学校に登校することもままならない毎日。インターハイ、吹奏楽コンクールなど部活動の全国大会が次々と中止になる中、2020年5月20日、戦後初めて夏の甲子園大会中止の決定が下されました。
けがを克服しレギュラーを勝ち取った最後の夏。地方大会開幕前の非情な通告でした。当時の思いを振り返った大武さんは「何のために今まで野球をやってきたんだろう。生きる希望をなくした瞬間でもあった。若者の言葉を聞かずに大人の一声で夏が終わったという感覚」と答えました。

■プロジェクト発足「あの夏に終止符を打って次の挑戦へ」

大学進学後は野球と距離を置き、起業家精神や社会貢献などを学んでいる大武さん
しかし“あの夏”への想いは卒業後も胸にくすぶっていたといいます。
当時の野球部メンバーと食事に行った際も繰り返される話題は甲子園に挑めなかった悔しさばかり。小学生から追い求めた夢の存在はあまりにも大きく、その喪失感から卒業後2年たっても大武さんは、新たな目標が見いだせずにいました。

同じ悩みを抱えている元高校球児が全国にも沢山いるのではないだろうか。
同じ思いの仲間を集めてこの夢の悔しさを晴らすことはできないだろうか。
そうして大武さんは、2022年8月、“甲子園”に再び挑戦することを決意しました。

■SNSでつながる元球児 目指すは全代表校の参加

プロジェクトの第一歩は出場校集め。
大武さんは各都道府県で行われた独自大会の優勝校のメンバーに連絡を取り協力を募りました。
SNSや知人の紹介で各校の代表者とつながり自らの思いをぶつけると、返ってきた第一声は感謝の言葉でした。
多くの元球児たちが、あの夏の悔しさを引きずり、新たな挑戦ができない思いを大武さんに語り、49の代表校のうち44チームの参加を表明しました。
春夏通じて21回の甲子園出場を誇る福井の名門、敦賀気比高校OBの宮階宜全さん(21)は「コロナを乗り超えてこうしたプロジェクトができることは今後の武器になる」と
意欲を語りました。

不参加となっている代表校もプロジェクトの理念には賛同しています。チームの中心人物だった選手が現在プロ野球選手として活躍しているため、その選手抜きで高校の名を再び背負って試合をすることはできないという理由から不参加となっているのです。
プロジェクト実行委員会は、NPB選手会と交渉し、参加の方法を模索しています。

■球児の枠を超え 若手起業家、インフルエンサーも参加

審判、球場アナウンスなど裏方として大会を支えたいとボランティアを申し出る人も続々集まっています。
運営スタッフには元球児が多い中、高校野球には縁がなかったという人も。
SNS運用を任されている動画クリエイターの西村海都さんはサッカー部の出身です。SNSで大武さんとつながり、プロジェクトの熱量に感化され運営に参加しました。西村さん以外にも運営メンバーには野球とは接点がなかった多数の20代の起業家、インフルエンサーが名を連ねています。

多くの人の協力でメディア露出も増えプロジェクトの認知も広がっていきました。その甲斐もあって、プロジェクト発足当初は「現実性がない」と断られていた甲子園球場使用の申し込みも受理されるまでに至りました。

■葛藤とプレッシャー「甲子園じゃないと意味がない」

甲子園球場の使用の可否は、抽選によって決定します。
しかし、使用可能な日数はわずか一日。参加チームすべてが甲子園で試合をすることは叶いません。「甲子園」にこだわるか、「日本一を決める全国大会」として別の会場を探すか、大武さんは悩みました。

参加選手たちに意見を聞くと、選手全員が「甲子園じゃないと意味がない」と答え、やはり球児たちにとっての夢であり、価値ある場所であることを再認識したといいます。
「甲子園」にこだわることを決断した大武さん。
そして3月上旬、甲子園での大会開催が決定しました。
甲子園が使える11月29日には全チームが参加するセレモニーを開催。別日には兵庫県内のグラウンドで交流戦が実施予定となっています。しかし選手たちからは甲子園での試合を熱望する声も多く、方法を模索しています。

■「夢を語って走り始めただけ」若者こそが夢を追える社会に

このプロジェクトには元球児たちの夢を果たすこと以外にも大きな目的があると大武さんは取材の中で話しました。
それは、「若者が挑戦や夢を語れるような社会」のきっかけになれたらというもの。

会見の中で古田さんは「大人になるほど否定から入る」と語りました。
大武さん自身も多くの否定の声を浴びながらも、夢を発信することをやめませんでした。
夢を堂々と語り行動を起こすことで、多くの人々が賛同し不可能と言われた大会の開催も残す課題はクラウドファンディングによる資金集めのみとなりました。
目標金額は7000万。この目標も国内最大級の大きな挑戦です。
しかし大武さんたちは達成できると信じています。
出来ないと思って何も行動しないのではなく、「『あいつらが夢を語って走り始めたから夢語ろうぜ挑戦しようぜ』っていうものが若者の中でムーブメントになれば」と壮大な目標を語ってくれました。

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