パリ五輪内定第1号!サーフィン・松田詩野 悔しさ乗り越え…「自分の波は必ず来る」[2023/06/27 18:10]
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パリオリンピック日本の第1号内定、サーフィンの松田詩野選手(20)です。世界の様々な分野で活躍する女性のロールモデルとして日本人では3人目。なんと、バービー人形にもなっています。松田さんは注目されていますが、話をして彼女の考え方、魅力を感じました。
■大切にしていることは…「自分の波は必ず来る」
今月、パリオリンピックの日本人、内定第1号が誕生しました!
エルサルバドルで行われたサーフィンの世界選手権「ワールドゲームズ」。松田詩野選手がアジア勢最上位で、パリオリンピック内定者となりました。
松岡修造さん:「パリ五輪、おめでとうございます」
松田選手:「(Q.実際、取ってみてどうですか、気持ちは?)すごくうれしいです。決まった時は陸にいたんですけど、信じれなくて実感がすぐには湧かなかった」
広く知られているのは、サーフィンの実力だけではありません。
CMやミュージックビデオに起用されたり、多方面で活躍しているんです。
活躍の裏には、大切にしていることがありました。
松田選手:「自分の波は必ず来る。海の波だけじゃなく、人生も波がある」「(Q.海が人生?)海でうれしい気持ちや悔しい気持ちを経験している。すべての経験が自分の人生を作ってくれている」
■東京五輪出場の大本命も一転…選考で敗退
神奈川県茅ケ崎で生まれ育ち、サーフィンを始めたのは6歳。人生の波を思い知ったのは、オリンピックの経験です。
13歳の時、サーフィンが東京オリンピックの正式競技に決定。当時からすでに、代表候補として注目されていました。
松田選手(2016年):「オリンピックに決まるかドキドキだった。決まったので気持ちも上がって、目が覚めました」
周囲の期待通りに3年後にはオリンピック出場が確実と言われるようになりました。
自国開催で新しく始まるサーフィンの顔として注目の的となりました。
しかし、エルサルバドルで開催された、最後の選考大会。波に乗れず、早々と敗退しました。大本命から一転、オリンピック出場を逃してしまいました。
松田選手:「(Q.どうして自分の波に乗れなかった?)自分で五輪出場をつかみに行くというより、取られないようにしなきゃ。自分に集中できていたら良かった」「(Q.波に乗りに行くというより守ってしまった?)あると思います」
周囲からの期待が、10代には相当なプレッシャーとなり、弱気になってしまったことが敗因でした。
悔しさが募るなか、海が教えてくれたことがあります。
松田選手:「日常生活でポジティブやネガティブになっても自分の気持ちが変わるだけで他人とのテンションが違うだけ。海とのサイクルが合わない」「(Q.海とのサイクル?)ネガティブな気持ちで練習していても、良い波に巡り合えない。自分の気持ちがすごく海に反映される。チャレンジする。こけてもまた次の波に乗りに行く。何回も挑戦できる」
心の在り方次第で、自分の波はやって来る。チャレンジすることが何より大切なのだと気が付きました。
■因縁の海でつかんだ…パリ五輪への切符
もう一度、オリンピックに向けた挑戦の始まりです。
筋力トレーニングでパワーアップ。ランニングで体力強化。成長の一つひとつが、自信を与えていきました。
そして、今月行われたパリオリンピック出場が懸かるワールドゲームズ。
松田選手:「(Q.詩野さんの波は来ましたか?)来ました。自分からつかみに行く、過去の自分を超える。その気持ちがあったからつかめた」
今度こそ、つかみ取る。会場は、東京を逃した時と同じ、エルサルバドルでした。制限時間内で波に乗り、技の難度やスピードが得点につながります。
悔しさを乗り越え、因縁の海でパリオリンピックの切符をつかみました。
1年後は、どんな姿を見せてくれるのでしょう。
松田選手:「すごいワクワク感も大きいですし、今の自分を超えた自分に出会える五輪」
(「報道ステーション」2023年6月26日放送分より)