稲田弘さんは92歳でアイアンマン、トライアスロンを行っています。稲田さんの生きざまを感じて下さい!
■「階段は喜んで上ります」生活すべてがトレーニング
「失礼します。よろしくお願いいたします。これは何をされてらっしゃるんですか?」
「体幹のトレーニングでいつもやってます」
「フォームが素晴らしすぎて」
「毎日やってますので」
3.8キロのスイム、その後すぐにバイクで180キロ、最後は42キロのランを行う、超過酷なトライアスロン。この競技で世界最高齢の現役選手が稲田さん。
「生活する上で年齢で困ったこと、階段上がる時とか何かそういうのはないんですか?」
「階段はむしろ喜んで上りますから。トレーニングになるから。常になにかトレーニング。台所で包丁使う時でもガっと力入れてみたり」
「常に筋肉と関係していたい感じ!」
「そうそうそう!」
稲田さんにとって、生活のすべてがトレーニング。トライアスロンにここまで情熱を捧げる理由は一体何なのでしょうか?
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■70歳で大会初出場 内緒の妻にも思わず…■70歳で大会初出場 内緒の妻にも思わず…
きっかけは、難病で寝たきりだった妻・路子さん。今から32年前、稲田さんはつきっきりで看病をしていました。
「出血すると止まりにくい、血小板減少性紫斑(しはん)病。傍についていなきゃいけない。でも、僕も同じような状態でずっとここにいたら、僕もダメになっちゃうと思ったんですよ」
「動かなきゃダメだって」
「動かなきゃダメ」
そこで、家の前にできたスポーツジムに通い始めた稲田さん。しかしそこから、身体を動かすことの楽しさに目覚めました。バイクを購入し、本格的にトライアスロンを始めたんです。
「それは奥様に言ったんですか?」
「内緒にしてるわけですよ。家を長時間空けることは許されないわけですよ。罪悪感もいいところですよ。ところが、彼女は知らんふりしてる。何も言わなかった」
そんな中、70歳で初めてトライアスロンの大会に出場。なんと初出場にして完走したんです。すると稲田さんは、嬉しさのあまり路子さんに口を滑らせてしまいました。
「妻に『完走しちゃったよ』と。“しまった!”と思ったんですよ。『あなたが何言うかわかっていた』。嬉しかったのは、同じやるんだったらね『私ができない分、あなた2人分やって。私ができない分、頑張って』と言われて」
「それでもう、嬉しくてね。バレただけで怒るかと思ったらさ。励ましてくれた。それがうれしかった。3カ月後、急に病状が悪化して、あの世へ逝っちゃった」
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■ギネス記録も「この年になっても進化できる」■ギネス記録も「この年になっても進化できる」
そこから22年間、路子さんの分までトライアスロンへ情熱を注いできた稲田さん。その中で、競技への思いをさらに強くした出来事がありました。
82歳で出場した世界選手権。ゴール直前、制限時間の16時間50分まで後一歩のところで転倒。何とか起き上がりゴールするも、たった5秒制限時間をオーバーし失格となります。しかしその姿は世界中から賞賛されました。
「『来年も出て頑張れ、応援に行くから』というメッセージが世界中から来たんですよ。それで僕のモチベーションが180度変わった。女房だけじゃなくて、そういう人の期待に応えないと。応援を背に走らないといけないっていう気持ちだった。もう本当に全く変わっちゃったんですね」
新たなモチベーションを得た稲田さんは、翌年の世界選手権を含め、2度世界一に輝きます。
86歳の時に樹立した最高年齢完走記録はギネス記録として、破られていません。
そして今、練習の成果を毎日路子さんに報告しながら競技を続けています。
「今92歳です。幸せですか?」
「それはもう幸せです。この年になっても進化できるなって。進化してるなって気持ちがあると、うれしくて。やっぱり楽しく生きる、うれしいなって思いで生きないと損ですよ」
■大越キャスターも感動「僕も進化します」
「見ている皆さんもいろいろ突き刺さったんじゃないかなと思うんですよ。僕は、刺さりましたね。格好いいですよ!やっぱり一つのものに夢中になれるものを持っている。そして、自分の頑張りが周りに、世界中に力を与えられる。こんなに素晴らしい生き様はないなと僕は思います」
「進化してるっていう実感があるんですよね。僕も30年後は稲田さんになりたいなって。これから僕も進化します」
「稲田さんから、何を一番感じました?」
「内面の若さを感じましたね。発言、そしてやり取りすべて。心の若さ」
「できる!」
(「報道ステーション」2025年1月28日放送分より)