ヒロド歩美キャスターが高校野球取材を10年以上続けてきたなかで、伝えたいことがありました。それは甲子園をきっかけに人生を変えたたくさんの球児たちです。2人の元球児の今を取材しました。
沖縄の離島から夢舞台へ 大嶺祐太さん
東京の門前仲町にある飲食店。料理を出してくれたのは、大嶺祐太さん(37)です。この顔に見覚えのある野球ファンも多いのではないでしょうか?
2006年、石垣島にある八重山商工のエースとして甲子園に春夏連続出場。沖縄の離島の高校が出場するのは史上初めてでした。
同世代の斎藤佑樹投手や田中将大投手を上回る、この大会最速151キロを計測したんです。
離島から甲子園に出たことで、人生が大きく変わりました。
高校卒業後は千葉ロッテマリーンズにドラフト1位で入団。2022年までの16年間、プロの舞台で活躍しました。
そして、引退後の今、力を注いでいるのは「子どもたちの育成」。週に2日、小学生と中学生を対象にした野球スクールを行っています。
さらに、現役の時から料理に興味があった大嶺さん。飲食店の経営をしながら、自らも厨房(ちゅうぼう)に立っています。
「野球と料理」この2つの経験を生かし、先月、地元・沖縄であるイベントを行いました。
それは「食育の重要性を伝える」イベント。体を作るために必要な栄養学やバランスの整った食事メニューを子どもたちに伝えました。
夢舞台からパラ五輪へ 高橋峻也さん
そしてもう一人、2016年夏の甲子園に鳥取・境高校で出場した高橋峻也さん(27)です。
パラ陸上・やり投の選手として活躍しています。3歳の時に患った脊髄炎の影響で、右腕にまひが残っています。
高橋さんは9年前、鳥取・境高校の一員として甲子園にベンチ入り。左手で捕って左手で投げる「グラブスイッチ」で守備も器用にこなしました。
しかし、野球を始めた当初は障がいにコンプレックスを抱いていたんです。
自分の障がいを受け入れられない日々。ただ、高校入学が高橋さんの大きな転機となります。
「甲子園を目指す」という環境が、高橋さんを前向きに。そして、つかんだ夏の甲子園。背番号10を背負って夢舞台に立ちました。
その姿は新聞でも大きく掲載。パラ陸上の関係者の目にとまり、スカウトされたのです。やり投でも才能を開花し、競技歴5年で日本記録を樹立。去年のパリパラリンピックでは6位に入賞しました。
甲子園がくれたもの
甲子園に出場したこともそうですが、そこを目指す時点で、高橋さんは「人生が変わりました」と話していました。
境高校では、高橋さんが背負っていた背番号10は、それ以来チームで一番努力した選手が背負う伝統になっているんです。
「チームのレジェンド的存在になっているのかもしれません。甲子園に出られる野球部員はごくひと握りだと思います。スポーツであれ何であれそうだと思いますが、目標を持って、特に10代の高校生にとっては、何かに取り組むということがきっと何か新しい自分の目覚めのようなタイミングを与えてくれるのかもしれないです」
実は19日、高橋さんは県立岐阜商業の試合を甲子園で観戦されていたんです。同じくハンデを抱える横山温大選手の活躍を見て、「自分もロスパラリンピックで金メダルを取りたい」と振り返っていました。本当に刺激になったようです。
(「報道ステーション」2025年8月20日放送分より)