世界ラリー第12戦。ヨーロッパ3カ国にまたがるコースはコンディションがバラバラ。トラブルが続出します。そんななか、今季で引退を表明しているトヨタのロバンペラ選手(25)が安定感抜群の走りで優勝。2戦を残し、トヨタが5年連続の年間優勝を勝ち取りました。
チーム年間優勝を決めたトヨタ。シーズンを振り返ってみると、12戦で11勝と圧倒的な強さを誇っています。その原点には、亡き仲間との想いが詰まったサーキットの存在がありました。
24時間レース 参戦18年のトヨタが挑戦し続ける理由
ドイツ西部にあるニュルブルクはモータースポーツが盛んな街です。
ここのサーキットで1年に1度開催されるのが、「ニュルブルクリンク24時間レース」。28万人が押し寄せます。
134台の車(車種・排気量などクラスは様々)が一斉にスタート。トヨタが参戦して18年。挑戦し続けるのには理由がありました。
サーキットは規格外の大きさ。1周の距離はおよそ25キロ。日本のサーキットに比べると、なんと5倍。そして高低差はおよそ300メートルと、東京タワーに匹敵するほど。ここを24時間走り続けるのです。
「(世界で)一番難しいサーキット」
荒れたコンクリートの上も全開で駆け抜けるため、マシンの耐久性も重要。この過酷なサーキットで、いかに速く、強く走り切るのか。
ニュルブルクリンクは、世界の自動車メーカーが技術力を競う、新車開発の聖地です。
このサーキットで学んだデータは、トヨタの市販車はもちろん、世界ラリーをはじめとするモータースポーツにも生かされています。
トヨタ 久富圭さん
「車両の考え方、パーツの組み立て方を勉強しながら我々の車に組み込んだり。(国内と海外で)情報を共有させて頂きながらレースを互いにやっていると考えています」
世界中のどんな環境でも最高の性能を発揮できる車づくり。ニュルブルクリンクはそのノウハウを生み出す実験場なのです。
そしてもう一つ、日本から遠く離れたドイツにこだわり続ける深い理由。そのカギを握るのが豊田章男会長(69)です。
亡き仲間の思いを乗せて見事完走 クラス別では優勝
豊田会長は今年の24時間レースにドライバーの1人として出場していました。企業のトップでありながら、ハンドルを握る。そのきっかけを与えた人がいます。
成瀬弘さん。車両開発のテストドライバーを31年間務めました。
ニュルブルクリンクの豊富な走行経験から「ニュルマイスター」と呼ばれ、マシンの開発に尽力。しかし、2010年、当時67歳の成瀬さんはテスト中の事故により帰らぬ人となりました。豊田会長がドイツに来ると、必ず訪れるのは成瀬さんが眠る場所です。
2人の出会いは23年前の2002年、初対面だった成瀬さんの言葉が今でも忘れられないと、豊田会長は言います。
「言われて頭ガーンと殴られた気持ちになったのは、『君みたいな人がね、運転の仕方も知らないのに、ああだこうだと言われちゃたまんないよ』と、『我々テストドライバーはこんなに命張っているんだということを知っておいてほしい』ということで、成瀬さんと運転トレーニングが始まりました」
「人を強くし車を強くすることがまず狙い。車をいじめて、さらに将来の人材育成」
“本当に車を分かる人がトップになれば、強い車が生まれる”それが、成瀬さんから受け取った思いでした。
2007年、こうして二人三脚で始まった24時間レースの挑戦。当初は走り切るのが精一杯でしたが、その後も成瀬さんの思いを受け継ぎ、年々マシンは進化し続けていきました。
そして今年も成瀬さんと一緒に。134台でスタートしたレースは、3分の1が脱落するなか、トヨタは24時間をトラブルなく見事完走。クラス別では優勝をつかみ取りました。
成瀬さんの思いが詰まったニュルブルクリンク。これが世界で快進撃を続けるトヨタの原点だったのです。
「特にニュルブルクリンクを走っている時は(成瀬さんと)一緒に走っている感じがありますね。来年も間違いなく(ニュルブルクリンクへ)来ると思います。成瀬さん、何て言ってるかなぁ」
世界ラリーは残り2戦。次回は来月6日から愛知、岐阜を舞台に今度はラリージャパンが行われます。
(「報道ステーション」2025年10月20日放送分より)