埼玉の雄・正智深谷と絶対的エース
埼玉県の強豪・正智深谷高校が今年もウインターカップの舞台に姿を現す。
14年連続15回目の出場となる常連校は、これまでに3人のBリーガーを輩出してきた全国屈指の名門だ。
チームを指揮する成田靖監督は、「埼玉王者でありながら、チャレンジャーであれ」と語る。その象徴としてチームの中心に立つのは、中学時代からその名を馳せてきた絶対的エースでありチームの主将である加藤駿選手(3年)だ。
宇都宮ブレックスU15出身 正智深谷のエース
加藤選手の経歴は輝かしい。宇都宮ブレックスU15時代には全国ベスト16を経験。正智深谷に入学してからは、1年時から主力メンバーとして活躍してきた。
プロ、そして日本代表を目標にする彼は、誰よりも練習の虫だった。朝練習、そして全体練習後には必ずシューティングを行うのが日課だ。
その成果は、彼のプレーを見れば明らかだ。柔軟性に富んだボディバランス、ミドルレンジや3Pシュートに代表される鮮やかなシュートタッチは、膨大な練習量に裏付けされたものだった。
しかし、その貪欲なまでの鍛錬は、皮肉にも彼の体に歪みを生んでいた。医師から告げられた診断は、「10年に1人」レベルの重度の疲労骨折。
彼の世界が、音を立てて瓦解(がかい)した瞬間だった。
けがに泣いたラストイヤー、そして見つけた「光」
加藤選手は高校3年間で、肩の脱臼、足の疲労骨折を2度経験している。1度目の疲労骨折は高校2年の11月から2月にかけて。そして2度目は、ラストイヤーの6月のことだった。
「全治4ヶ月」
医師からその言葉を聞いた時、「またか」という絶望が心を支配した。
不安で眠れない夜もあり、思考は悪い方へと傾いたことがあった。
あれほど身近だった体育館が遠くに感じられ、足を運ぶことさえ躊躇う日もあった。そんな彼を暗闇から引き戻したのは、共にコートを駆けたチームメイトの言葉だった。
仲間の声に支えられ、再びコートに戻ることができた加藤選手。コートの外からチームを見つめたことにより、気づいた景色があった。
正智深谷では、レギュラー以外の部員も同じメニューのきつい練習をこなしている。それを乗り越えて、コートに立てるのはわずか5人。
自分には、勝利に向かって一緒に切磋琢磨する多くの仲間がいる。だから、自分がプレーできるのだと痛感した。
エースの心に、新たな覚悟が宿った。
「なんでけがをするのがお前なの?」指揮官の苦悩
加藤選手を1年時から起用し続けてきた成田靖監督は、怪我が発覚した当時の心境をこう振り返る。
加藤選手は優秀なスコアラーでありながら、ディフェンス、声出し、リーダーシップ、どこにも手を抜かない選手だ。
「自主練には口を出さない」という監督の方針。
練習の虫である加藤選手に対し、それが裏目に出てしまったのかもしれない。そう語る表情には、指導者としての後悔が滲んでいた。
エースである加藤選手を主軸にしたチーム、正智深谷。しかし、彼がいないコートはチームに成長を促した。
チームメイトたちの意識が変わったと成田監督は語る。
成田監督の胸中には、チームの手応え以上に、エースに対する特別な想いがあった。けがで主要大会に出場できなかった加藤選手の無念を、誰よりも理解しているからだ。
空白の時間を過ごしたエースに、これ以上何を望むのか。指揮官が出した答えは、勝利への責任をすべて背負っていいという、最大級の愛ある重圧だった。
加藤選手の復帰と、留守を守ったチームメイトの成長。
ウインターカップを前に、正智深谷はかつてない最高の状態を迎えている。
不屈のエース 最後の冬にアーチを描く
正智深谷の初戦の相手は、静岡県の浜松学院興誠高等学校だ。浜松学院興誠は、けがで戦線を離脱していたキャプテン西垣玲央選手(3年)も復帰し、今年は190cm超えの選手2名を擁するゴール下の強さに定評のあるチームだ。
対する正智深谷は、190cm台を2人擁した昨年とは一転、今年はスモールチーム。
サイズで劣る正智深谷にとって、「高さ」への対策は不可欠だ。
決戦を前に、余念なく練習に励む加藤選手。その表情は、最後の大会に挑む決意に満ちていた。
彼の瞳は、ただ前だけを見据えていた。
加藤選手の想いは一つ。
彼の目標は高校バスケのステージで、表彰台に上がること。目指すは優勝だ。そして、一人のバスケットボールプレーヤーとして見たい景色は、日の丸を背負う未来。
このウインターカップは、そこへ至る通過点の一つに過ぎないのかもしれない。
傷を強さに変えた『不屈のエース』は、「恩返し」の思いを胸に、今日も3Pラインから放物線(アーチ)を描く。











