技の難度やジャンプの高さなどを競うスノーボード・ビッグエアは、8年前の平昌オリンピックで新種目として採用され、4年前の北京オリンピックでは女子の村瀬心椛選手が日本人初のメダルを獲得し、大きな注目を浴びました。
世界を驚かせた若き天才とは?
この競技、何をとっても規格外。スタート位置の高さは約50メートル。これは15階建てのビルの高さに相当します。下を見下ろすと、観客席にいる人がこんなに小さく見えます。ここからジェットコースターのように斜面を急下降して、ジャンプ台で技を披露します。ジャンプの飛距離は30メートル近くで、高さはなんと8メートル以上です。この競技で今回、日本に金メダル候補が現れました。
20歳の荻原大翔選手。すでに世界の歴史を塗り替えてきた実力者です。スノーボード好きの父親と一緒に滑り始めたのは3歳の時。9歳にして3回転を飛び、その動画が世界を驚かせます。4年前にはスイスで行われたイベントで世界初の6回転を成功。スノーボード界に大きな衝撃を与え、世界で一目置かれる存在に成長していきます。進化は止まらず、去年さらに半回転回り、これまた世界初の6回転半。この大技は、ギネス世界記録にも認定されます。
今年に入っても好調を維持し、オリンピック前哨戦のエックスゲームズでも再び6回転半を決め、大会を連覇しました。前回の北京オリンピック金メダリストは最高で5回転だったので、それよりも1回転半も多いんです。
常に回転数で世界初の偉業を成し遂げてきた荻原選手。そのすごさを見るために訪れたのは、普段トレーニングをしていて、いつもこのエアマットの施設で飛んでいる練習場です。
「こちら宮城で行われている荻原選手の公開練習なのですが、見てくださいこの報道陣の数、注目度の高さが伺えます」
「(スタート台からのぞきこむ)見ているだけで怖いかなり高いですけど、怖くないんですか?」
「怖さは別にないですね」
「立っているだけで足がすくんじゃうんですけど」
「後ろとかみるとめっちゃ怖いですもんね」
「もう何回転しているかは感覚で分かっているものですか」
「もう5回転とかもう全く見えなくて感覚ですね」
「見えない中、飛んでいる感じですか?」
「目つぶっているよりかは開けている方が全然いいけど、見えているかって言ったら、見えてないと思います。(五輪では)自分の全力を出したいなと思っているので、6回転半をまず絶対に成功させたいし、それでも足りないなら7回転も挑戦したいなと思います」
メダルを獲るためなら、世界初の7回転にも挑戦すると語る荻原選手。
「自分の強みはやっぱり回転力なんじゃないかなと思います」
「6回転半も初めてでしたけれども」
「すごく嬉しかったですかなりこだわっていたので。世界初というのは絶対に取りたかったですね。」
なんでこんなにも回転できるようになったのでしょうか。そこには大きく分けて3つの理由があります。
“世界一回る”ための頭脳と練習法
まず1つ目は、頭の中が常に回転することでいっぱいだということです。
「消しゴムあるじゃないですか、そして、教科書あるじゃないですか。教科書を開くとこういう形になるじゃないですか、これがジャンプ台に見えちゃうんですよ。飛んで着地が斜めになっているのでで、ここも消しゴムで回したり。スマホもスノーボードみたいな形状しているので、イメージトレーニングで使えますし。こう滑って、ここで…こういったり(とスマホを回転させながら説明する荻原選手)これがフロントテンエイティー、これこっちに回しているんですよ。たぶん普通に見たら『この人なにしているんだろう』ってなるんですけど、自分たちスノーボーダーからしたら今これやっているんだなという風に分かりますね」
2つ目の理由は、世界で唯一無二の練習方法です。その練習場は雪が滅多に降らない、茨城県牛久市の実家にありました。荻原選手の父・崇之さんが案内してくれたのは、自宅の庭です。
「自宅で考えてやったのが、人工芝の上でスノーボードの回転のトレーニングをした」
こちらは当時の映像です。学校から帰宅すると、毎日くるくると回っていました。もとはスタート台の芝でやっていたトレーニングを、「家でもできないか」と崇之さんが考えたのがきっかけ。雪が少ない土地で工夫を重ね、たどり着いた独自の練習で回転力を高めたのです。
この自己流が今に生きていると、日本代表の西田崇コーチはいいます。
「あの練習をしている選手は萩原選手だけなんですよ、世界中でも。地面でやっているおかげで、頭の位置がぶれないで回転する。それが高回転に結びついている」
この独特なメニューを三山アナが体験してみることにしました。さあ、何回転回れるのでしょうか。
「難しい(笑)」
1回転することもできませんでした。
「スノーボードができて、これができたら実際にジャンプで回せる」
「準備しなきゃいけないことが多すぎて、到底できなさそうです」
「滑って、飛んで、あとは回すってことです」
「本当に凄さが改めて分かりました」
父とともに切り拓く“世界初”への道
世界一回ることができる3つ目の理由は、やっぱり支え続けてくれた父親の存在です。スノーボードが好きで、今もなお滑り続ける崇之さん。同じスノーボーダーの仲間として、そして父として、息子を支え続けてきました。
「やっぱり親とこうやってずっとスノーボード続けるっていうのはすごく嬉しいです。親とずっと一緒にやっていった方が成長しやすいだろうっていう自分たちの考えで。すごく良い関係だなって思いますね」
崇之さんが運転する車で6時間かけて、大翔選手を練習場へ送っていくこともありました。海外遠征へ一緒に行かない時も、必ず電話でアドバイスをするといいます。
「息子の中で(高難度の技を)やりたいっていうのは何となく伝わってくる。自信を持たせる動きだけをする感じ、それじゃないでしょとは言わない。」
押し付けるのではなく、大翔選手の気持ちを尊重してずっとやってきました。
「歴史の中に息子の名前があることは凄いことだと思います。」
親子2人で世界初の道を切り拓いてきたのです。次に挑むのは、初出場となるミラノ・コルティナ オリンピック。5日後に迫った決戦へむけて、目標を書いてもらうと……
「スロープスタイル、ビッグエア2冠。世界中で見ても、スロープスタイル・ビッグエアの2冠がまだいないので、それも1人目取りたいです」
(2026年2月3日放送分より)













