この夏、長い時を経て甲子園に帰ってきた高校がありました。愛知の享栄は31年ぶり、秋田の横手は何と57年ぶりでした。両チームの知られざる物語に迫ります。
「宝物のホームラン」でチームに変化が
愛知代表の享栄。31年ぶりの夢舞台。全員が全力で戦ったからこその涙でした。チームの原動力となったのが、盛田桔平選手(3年)です。
公式戦出場は3年間で一度もかないませんでした。5月に行われた他校との親善試合。夏の大会でメンバーに入れなかった3年生にとってのいわば引退試合です。
9回裏、盛田選手の最後の打席で放ったホームランは、腐ることなくバットを振り続けてきた努力の証しでした。
「みんなベンチから飛び出して涙を流していて。みんなとハグした時は、すごくうれしかった。一生の記憶に残る、宝物のホームラン」
この一打がチーム一丸のきっかけとなったのです。
「(Q.盛田選手のホームランの前後で、チームはどう違う?)『控え選手の分まで必ずやらないと』『必ず甲子園に行かないと』」
そして、たどり着いた甲子園。盛田選手もアルプスから声援を送る中、チーム全員、一丸となって力を出し切りました。
亡き父も目指した甲子園へ
秋田から駆け付けた大応援団とともに、57年ぶりの甲子園に挑んだ横手。2回戦、センバツ優勝経験もある敦賀気比に終始圧倒される展開に。
迎えた9回表、ここで守備に就いたのは背番号18の戸澤樹選手(3年)です。
夢の甲子園、戸澤選手は父の思いとともに立っていました。
幼いころから野球が大好き。後ろで見守るのは父・亮さんです。実は、父も横手で甲子園を目指した元高校球児でした。
「父も足が速かったらしくて。上位打線を打っていて、ポジションはレフト。外野に飛べばほぼアウト」
卒業後は高校教師となり、部長として母校の甲子園出場を追い続けてきました。
そんな中、父の胃がんが判明。小学校1年生の時でした。元々父は部活動で忙しく、闘病中は親子で過ごす時間が多くなったといいます。ただ、かけがえのない日々は長く続きませんでした。
別れから9年。心に強く残っている特別な思い出があります。
大切な思い出を重ねて同じ場所から、父も目指した甲子園へとたどり着いたのです。
レギュラーではなかったものの、その時が訪れます。
任されたのは父の定位置だったレフト。すると、いきなり…レフトへの大きな当たりです。父の夢をかなえて、このグラウンドに立つ戸澤選手がしっかりボールをつかみました。
父・亮さん譲りの俊足を生かした見事な捕球でした。
「(Q.お父さんは、どこで見ていたと思いますか?)自分がレフトの守備位置にいた時には、隣にいてくれたのかなと」
親子をつなぐ甲子園
そんな戸澤選手は、甲子園は親子でつながる場所だと話してくれました。
父・亮さんが亡くなってからは、亮さんのチームメートが戸澤選手のキャッチボールの相手をしてくれたり、グローブをプレゼントしてくれていたそうです。
今回、チームメートの皆さんがアルプススタンドに応援に来ていて、レフトフライを捕った瞬間には皆さん、涙があふれたということでした。
「お父さん、見たかったでしょうね。でも、そういう周りの人も含めて、お父さんの夢をまたつないで、こうした場面を作れたというのは本当に皆さん幸せですよね」
親子の物語ですけど、今大会取材しているとお父さんに憧れて同じユニホームを着たいという声が選手やマネジャーから聞こえてきました。
お父さんが立てなかった甲子園に立ちたいとか、お父さんと同じ甲子園のマウンドに立ちたい、お父さんに校歌を歌わせたい…。そういった思いなどを聞くと、世代を超えて親子をつなぐ甲子園というのは、本当に偉大なところだと思いました。
そして、彼らがまたそれを次の世代につないでいってくれることを信じています。
(2026年8月17日放送分より)





