東京・渋谷区の太田記念美術館で、浮世絵初心者でも楽しめる展覧会が12月14日まで開催中です。佐藤ちひろアナウンサーが話を聞いたのは、主席学芸員の日野原健司さん。浮世絵に詳しくない人でも楽しめる「まさしく浮世絵ビギナー向け」の展覧会で、ぜひ多くの人に見てほしいと話します。
展示されているユーモラスな浮世絵の数々
展示されているのは、江戸の名所を舞台にしたユーモラスな浮世絵の数々です。最初に見せてもらった「両国の夕立」では、雷様が勢い余っておならをしてしまい、そのあまりの臭いに河童が鼻をつまんでいるという場面が描かれています。河童と雷様のバトルが一枚の中でコミカルに表現されていて、説明を聞かなくても笑ってしまうような絵柄です。
続いての作品では、キツネたちが行列をつくり、人を乗せた籠を運んでいます。乗っている男性は、自分をお殿様だと思い込んでいるようで、キツネたちは家臣のつもりなのか、笑いながら楽しそうに行列しています。こうした勘違いを題材にした作品も、このシリーズの魅力になっています。
さらに、出前中にひっくり返ったそばが武士の頭に豪快にかかってしまう場面や、橋の上から暑さをしのごうと隅田川に飛び込んだ人が、スイカ売りの船に落ちてしまう場面など、江戸の町で起きるハプニングが次々と登場します。予備知識がなくても、絵を見るだけで状況が分かり、自然と笑いがこみ上げてくる作品ばかりです。
日野原さんは、じっくり見れば「こういう場面だな」とすぐに理解できることこそが、浮世絵初心者向けの大きなポイントだと語ります。今回、太田記念美術館では「江戸名所道戯尽(どうけづくし)」というシリーズ全50枚を一挙公開していて、その世界観を存分に味わえる構成になっています。
無名絵師・歌川広景が令和に再評価される理由
このシリーズを描いたのは歌川広景という絵師です。歌川広重と名前が似ていますが、広重は世界的にも有名な絵師である一方、広景はこれまで全く無名に近い存在でした。
佐藤アナウンサーが、その理由を尋ねると、日野原さんは、広景は決して美しい風景よりも江戸っ子たちをコミカルに描くことを得意としていて、芸術性という点で長く評価されてこなかったと説明します。浮世絵といえば、美しい風景画などが高く評価されがちで、広景のようなコミカルな作風は、これまで正当に評価される機会が少なかったのです。
しかし、近年、楽しい絵や面白い絵への人気が高まり、その流れの中で歌川広景も見直され、長い間、評価されなかった作品が、令和になって注目され始めているのです。
続いて、紹介されたのが、イヌの喧嘩がきっかけで大騒動になる場面を描いた作品です。荷物を運んでいた人物が落としてしまった食べ物を、手前では子どもたちが拾って食べようとし、上ではイヌ同士が取っ組み合いをしています。
次に取り上げるのは、東海道五十三次にも登場する日本橋を舞台にした作品です。魚を仕入れて、これから売りに行こうとする魚売りの前で、お腹を空かせたイヌが大事な商品をくわえて逃げ出そうとしています。魚売りは怒って棒を振り上げますが、その横にいる男性はどこか他人事のような表情で、他人のトラブルを笑い飛ばしているようにも見えます。人物の感情が、表情やしぐさからはっきり伝わってくるのが特徴です。
日野原さんは、従来の風景画では街中の人々は感情があまり表に出ず、静かに歩く姿が一般的だったのに対し、広景は街の中で生き生きと暮らす人々を、表情豊かに描いていると解説します。大胆なポーズや豊かな表情は当時の浮世絵としては珍しい画風であり、その斬新さが評価されなかった一因であるという説もあるといいます。
「トレース?パクリ?」北斎&広重を合体させた“欲張りセット”の秘密
それでも今、この表情によって人物の気持ちが伝わるため、誰でも楽しめる浮世絵として人気が急上昇しています。高い技術力に支えられた面白さがある一方で、広景の作品には「ちょっと禁断」ともいえる隠された秘密があると日野原さんは明かします。
御茶ノ水を舞台にした一枚では、釣り針が女性の髪の毛に引っかかった場面が描かれています。この絵とそっくりな構図の作品が、すぐ隣に展示されていて、作者は葛飾北斎です。人物のポーズなどがほとんど同じで、広景の絵は北斎の絵をそのままなぞったようにも見えます。日野原さんは「今で言うと、トレースですね」と表現し、背景の構図も師匠の歌川広重の作品にそっくりだと指摘します。
つまり、広景の絵は広重の風景と北斎の人物をなぞって合体させたような構成になっていて、有名絵師の要素を合わせた“欲張りセット”のような作品なのです。佐藤アナウンサーは、その大胆さに驚きつつも「本当にやっちゃう人がいるんですね」と笑い、こうした“マネ”の数々が、浮世絵鑑賞の新しい楽しみになりそうだと感じていました。実際に、北斎や広重を思わせる作品は他にも多数存在しているといいます。
雪だるまのルーツも発見?江戸の暮らしを映す「しまった!」な一枚
歌川広景の作品は、コミカルなだけではなく、現代から江戸の暮らしを探るうえでの貴重な資料にもなっています。中でも代表作として紹介されるのが、雪の中で遊ぶ人々と大きな雪だるまが描かれた一枚です。
佐藤アナウンサーが「雪だるまですか?」と尋ねると、日野原さんは、これは江戸時代の雪の作り物で、だるまの形をしていると説明します。江戸の人々が作っていたのは、今と同じ丸い雪だるまというより、だるまそのものの形に近いものだったようで、その呼び名が現在の「雪だるま」に受け継がれていると考えられます。この絵は、江戸時代の人々が本当に「雪だるま」を作っていたのだと教えてくれる一枚でもあり、当時の生活ぶりを具体的に思い描かせてくれます。
広景の作品を通して、江戸の生活を身近に感じることができる今回の展覧会は、予備知識がなくても楽しめる内容になっています。画面の中で起きる騒動や人々の表情を追っていくだけで、自然と物語が見えてくるため、浮世絵に触れるきっかけとしても最適な場だといえます。
最後に佐藤アナウンサーが「全ておすすめだと思うんですけれども、その中でもイチオシな作品ってあったりしますか?」と尋ねると、日野原さんは「はい。まあ私がですね、この作品のタイトルを仮につけるとしたら、『しまった!』と題名をつけたくなる作品がございます」と答えます。それは葛飾北斎の有名な画をコミカルにアレンジした作品で、何か大失敗をして「しまった!」と言いたくなるような場面が描かれているようです。
どんな「しまった!」な一枚になっているのかは、実際に会場で確かめてほしいところです。江戸名所を舞台にした笑いと驚きに満ちた歌川広景の世界を、太田記念美術館で体験してみてください。



















