水谷豊の“素顔”「無意識の積み重ねが自分の中に」…監督第3作「太陽とボレロ」公開[2022/06/03 19:00]

俳優・水谷豊さんが監督を務めた3作目の映画「太陽とボレロ」が3日から公開となりました。刑事役のイメージも強い水谷さんですが、今回は、「映画監督・水谷豊」の“素顔”と、人生を楽しむ“秘訣”について、渡辺宜嗣コメンテーター兼スペシャルリポーターが話を聞きました。

■「太陽とボレロ」タイトルに込めた“思い”

――これまで水谷さんには、何度もロングインタビューをさせて頂いているのですが、その都度、思うことがあって、もう普通の質問だとダメだと。それから、自分が気の利いたことを言えたと思った時は、水谷さんは奥深い人なので、全部お見通しだろうと。今回は、「シンプル」にお話を聞きたいと思います。

ありがとうございます。ご心配なく。そんなに…深くありませんからね。

――今回の作品を試写会で拝見して、「太陽とボレロ」という映画のタイトルに、水谷さんの思いがすべて凝縮されているのではないかと、勝手に思っています。まず、このタイトルを付けた思いを聞かせて下さい。

「60代で映画を3本撮りたい」という、そんなこと起こりうるわけないことを、どこかで思っていたのです。60代半ばで監督になったわけですから、3本オリジナルで作るなんていうのは…。

ところが、2018年に「今考えれば3本目は間に合います」と、プロデューサーからの話があったのです。じゃ、何か考えなきゃ、間に合うのならと考えた時に、ふっと「あっ、クラシックどうだろう?」と「クラシックの世界、どうだろう?」と思ったのですね。

クラシックというと、オーケストラで、コンサートホールで「ボレロ」を聞いたのが、30代の時だったのです。その時、ボレロに大感動したのですよ。それがずっと、どこかに残っていたのだと思うのですが、クラシックと考えた時に、もうクライマックスはボレロになるなと直観・予感がしたんですね。まだストーリーを考える前だったのに…。

もう一つ、「太陽」というのは、ちょうどそのころ、思いというのは「月」に行きがち。人というのは、ロマンチックですし。ネガティブな気持ちに寄り添ってくれるのが、月で。月は思いを持ちやすいのだけど、太陽は最近、忘れていないかなと。太陽のエネルギーで、どれだけ僕たちは前向きに生きていられるのか…。

太陽がなかったら、生きていられないし、月も光らないはずだと。その太陽の「無償の愛」というのを我々は忘れすぎていないか…。我々というか、「僕」がですね。そこでもう、思いのある「太陽とボレロ」というタイトルにしようと、脚本を書く前に、タイトルが先に決まっていました。

――確かに、太陽はすべての命の源でもあるし、子どもたちの歌にもあるように、太陽に向かって見上げるような存在ですよね。ということは、30年前にボレロが頭の中にあって、その映画を作るというところの太陽と結び付いて、それは水谷さんの人生の中でいうと、今回の映画の構想はいつごろからあったのでしょうか?30年前にすでに?

いえ、全く。さっき話したように、何をやろうかと思った時に「そうだ、クラシックの世界、どうだろう?」と思ったわけですよ。最初、実はクラシックの世界を思った時に、ものすごい超一流の世界的なオーケストラというのを、最初にイメージしたのです。でも、そうすると、どうしても楽器に仕掛けがしてあって、演奏中に何人かがバタバタと倒れていくみたいな…。

今回は、サスペンスにならないように、ちょっとユーモアを交えた、ちりばめたものをやりたいなと思っていたので、それで地方の交響楽団の人間模様はどうだろうと。だから、長年温めて来たわけでもないのですよね。

――地方の交響楽団は、例えば喫茶店のマスターとか、OLさんが入っていたりとか、そこにも人生の色んな縮図がありますよね。今回の場合、オーケストラがもうなくなってしまうという時に、皆がどういう思いになって、どういうふうに行動を起こすのだろうと。そういう辺りの人間模様というのは、これは水谷さんが描きたい世界でもあるのですか?

そうですね。基本的に、皆生きていれば、色んなことを抱えているだろうと。大勢のキャラクターがいれば、それだけの人生があるわけですから。

■「楽器」と「人間」…“性格”を想像しながら

――楽器は、たたいて音を出す楽器もあれば、弾いて音を出す楽器もあれば、爪弾く楽器もあれば、楽器そのものの音が全部違うし、姿形も違う。皆、人間に見えてくる部分もありませんか?

分かります。確かに、楽器に関しては、一つひとつおしゃれで、色っぽくて…。人を見ているみたいですよね。だから、今回、脚本を書いている時も、この楽器はどういう性格の人が合うだろうとか、この楽器やっている人はこういうことを言うのじゃないかなとか、こんなふうな性格じゃないかなとか…。なんてことは、想像しながら、今回は脚本を書いていたと思います。そのくらい、楽器には影響力がある。人にとって、影響力があるものだなと思いますね。

――映画を3作監督してみて、1作目の時と2作目、3作目と何か自分の中で、変化はありましたか?

そもそも、やる度に、なぜできたか分からない状態になるのですけど。積み重ねているようで、自分の中では、全く違う世界に入り込んでいっているみたいな気持ちもします。実は、やっている時は集中してやっていますが、なぜああいう映画ができたのか、自分では分からないところがあるんですね。

■“水谷流”脚本術「漠然とイメージから…」

――映画監督とは、一番最初に構想があって、それからどういう作業・手順があるものなのですか?

まず、脚本を書くという時に、僕は脚本家でもないので、イメージをそのまま書いていきます。決まった場所で、決まった時間でというのはないんですね。大体こんなことが起きたらいいなと、大きな漠然としたイメージだけあって、書き始める。だから、登場人物も誰が出てくると、完全に決まっていないんですね。出てきた人を書くと。

頭に浮かんできたことを書いていくのですが、何もメモもしません。書いていって、こんなことが起きる、この人こんなこと言いそうだ、こんなことしそうだって書いているうちに、前に出てきたあの人は今ごろ何やっているだろうと書いていく。こんなこと気になった、こんなこと起きちゃったと、そんな状態で続けているんです。

――全体像をつなげていって、自分のイメージを膨らませながら?

そうですね。最後こんな世界にたどり着いたらいいなというイメージがあって、こういう世界に行こうとしているのかもしれませんね。

――構想、脚本、その次には、キャスティングということになるのですか?

キャスティングはもう、キャスティングプロデューサーもいますし、プロデューサーの皆さんも集まってやります。

――その次は、もうロケハンも行かれるのですか?

ロケハン行きます。ロケハン行って、全部、場所決めますね、行って。全部決めなきゃいけない。

――今回の映画は、空気のきれいな感じの所が、次から次へと出てきますね?

長野・信州です。この映画にはぴったりな、都会であり、どこか大きい街でもあり、自然も近くにあって、また山がある。北アルプスがありますからね。緑と水と川。風も感じてというところで、音楽のクラシックの似合う場所という意味では、他にもありますが、まずはぴったりの場所でできたらと思いますね。

最終的に場所を全部決定していって、今度は全スタッフとの打合わせ。撮影、照明、録音、美術さんと、中には衣装さんも全部入ります。撮影に入るまでに、やることはかなりありますね。

――しかも、コロナがあったので、1年スケジュールが伸びた形になったわけですよね?

2019年、2020年に撮影して、2021年に公開の予定だったのですけど、1年延びました。2020年、2021年に撮影して、2022年公開になりました。

――第1作の「TAP THE LAST SHOW」が2017年、第2作の「轢き逃げ 最高の最悪な日」が2019年、2021年で第3作の「太陽とボレロ」。60代のうちに3本となると、2年に1本というスケジュールになったということですね?

そうなんですね。コロナがあったので、もうどこかそれは無理だというふうには思っていたんですけど。今回、コロナの中で、中止になったり延期になったり、これで結局できなくなったという作品が結構あったという話も聞いていますので。そういう意味では、恵まれているなと思いましたね。

――撮影中の映像も少し拝見したのですが、皆さんリハーサルの時はフェースマスクして、撮影そのものが大変ではなかったでしょうか?

そうですね。でも、そういうことって、慣れるのでしょうね。慣れてしまって、もう気にならない状態でやっていたと思いますね。大体、俳優さんって、何かやり始めたり、夢中になると他の事が分からなくやっていますからね。

■「監督」として…経験と想像が自分の中に

――初めてお聞きするのですが、自分が影響を受けた映画監督とか、こういう映画監督像が自分の中にあるとか、どんな監督から影響を受けているのですか?

いや、これちょっと自分では分からないんですけどね。やる時には、全く自分の見た作品とか、まったく分からない世界、どこか何か別世界にいるような感じになるんです。だから過去のものを引っ張り出してとか、そういうことはイメージとしてないんですよ。

けれども、僕の中に残っているものは、確実に今まで出会った監督であったり、プロデューサーもそうかもしれない。役者さんもそうかもしれないけれども、見た作品かもしれない。それが何か、僕の中で認識しないうちに、おそらく自分の中にあるんだろうというふうに思いますし。

そもそも、経験と想像でしか、まかなえないわけですから、自分は。だから、そう思うと経験してきたことが、僕はあまり意識して、これを勉強しようとか、とっておこうとか思わないタイプなんですよ。そうするとあの、無意識のうちたまっていったことが、無意識の時に出てくるということが起きているかもしれないですね。

――たくさん映画を見ているでしょうし、たくさん映画に出演しているし、映画もテレビも色んなシーン、人生の瞬間というのに立ち会っているのでしょうね。俳優としても、鑑賞者としても。こういうのが、自然と積み重なってきているものなのですか?

ありますね。自分の中に何があるんだろうって、その楽しみでもあるわけです。自分が意識していないことが出てくるので。

――そこで気が付く、新しい自分というのもありますか?

あります。それを楽しみにしているみたいなところも。

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