全盲ミュージシャン木下航志 復活の舞台裏 長女誕生後に難病…闘病2年の真相

[2024/05/24 17:00]

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2年前、木下航志(きした こうし)(当時34歳)は隔離された部屋のベッドで「絶望の次の景色」を思い浮かべていた。

絶望よりも暗い景色。思い浮かべると言っても、生まれた時から目は見えない。
脳に浮かんだ景色は、黒すらない、ただただ色のない場所だった。

彼は体重わずか910グラム、妊娠7ヶ月の早産で生まれた。
未熟児網膜症にかかり視力を失った。ただ、目が見えないことを不便とは感じなかったそうだ。

なぜ?と聞くと、

「目が見えたことがないから」

と笑って話していた。

2歳でピアノと出会い、小学生になると地元鹿児島で路上ライブを始めた。
少年の奏でる声の評判は瞬く間に音楽業界に広がる。

DREAMS COME TRUEの吉田美和と中村正人は、その“声”の衝撃について

「スティービー・ワンダーと本当に同じ響きを持っていたので、日本人でこういう声を出す人がいるのかと信じられなかった」

と語ってくれた。

高校3年生でプロデビュー。
2002年にはニューヨークライブ、
04年にはアテネオリンピックパラリンピックのNHK番組テーマソングを担当。
弊社の「題名のない音楽会」にも出演していただいた。

私が出会ったのは彼が中学2年生の時。それ以来20年以上、彼の人生をのぞき続けながら、何度かドキュメンタリーにして放送させてもらっている。

(1)「難病発症 〜歓喜と共にやってきた絶望 〜」

2009年6月21日放送 題名のない音楽会
2009年6月21日放送 題名のない音楽会
2009年6月21日放送 題名のない音楽会
小学生の木下さん
小学生の木下さん
「このたび結婚することになりました」

そんなメールが来たのが2020年1月5日。

2年後には長女が生まれた。妻と子供。
彼に初めて守るべき存在ができた時、絶望はやってきた。

長女の新生児定期検診の際に、国が指定する難病「副腎白質ジストロフィー」の疑いが指摘された。

彼は妻と共に長女の健康を祈り続けた。精密検査の結果、幸い長女に異常はなかった。

この難病は遺伝性疾患のため、念のため彼も妻も検査を受けることになった。

すると彼の遺伝子から異常が見つかった。大脳にはすでに、発病の兆候まであらわれていた。この難病の特徴は急速な進行で、1〜2年で植物状態になる恐れがあるという。

治療は骨髄移植しかない。ただドナーがいつ見つかるかは誰にもわからなかった。

(2)「異例のアルバム制作 〜絶望の中の“企画” 〜」

そんな状況だった2022年10月、長年彼を支えてきた音楽プロデューサーが、木下の成長に深く関わってきたミュージシャンたちに声をかけて、一つの企画を立ち上げた。

彼のために曲を作ろう。それも一曲じゃない。
それぞれが彼を想った曲を作り、それでアルバムを作ろう。
このままドナーが見つからなければ、産み出した曲たちは日の目を見ないかもしれない。
それでもいい。何か力になりたい。
それぞれの曲作りが始まった。

小学生5年生のストリートライブ すでにすごい人だかり 2000年@福岡・天神
小学生5年生のストリートライブ すでにすごい人だかり 2000年 福岡・天神
2002年のニューヨークでのライブ
2002年のニューヨークでのライブ

バンド「UNCHAIN」の谷川正憲も曲作りに手を挙げた一人だった。

「病気のことを聞いて正直呆然としていた。でも航志くんの回復を信じて、回復への力になる曲を作りたかった」

病気を克服した復活ステージで、彼と一緒に音を奏でる瞬間を思い浮かべながら言葉と音符を紡いだ。  

  奏でる必ず 奏でられる 誰もが誰もが誰もが
  叶える必ず 叶えられる
  願いを届けてよ あなたの声で
  僕には見える 輝くメロディー達の未来が 

詞と曲を作り上げた谷川は、「カナデル」と曲名を記して彼に届けた。

(3)「再開した曲作り 〜愛娘へ綴った“言葉” 〜」

闘病中に娘に点字絵本を読んでいる
闘病中に娘に点字絵本を読んでいる

病気の発症がわかってから数ヶ月、ドナーが見つからない日々が続いた。
治療の影響で、髪の毛もほとんどが抜け落ちた。

それでも木下は曲作りを再開する。

仲間たちの想いが詰まったアルバムに、どうしても入れたい曲があった。
生まれたばかりの愛娘に向けて作っていた曲。
メロディーはほぼできあがっていたが、歌詞はまだ、まっさらだった。
治療の合間に、点字のタイプライターを叩き始める。

  ようこそ地球へ この世界は痛いよ
  あなたが最初に見たものが 僕なら良かった

自分にはできない「見る」という言葉を使った。愛娘は「見る」ことができるから。

  こんな時代を生きていくんだね
  僕がずっとそばにいるよ

  あなたが踏み出すその旅を
  あなたが愛する人達を
  すべて見つめていたいだけさ
  僕ならいいだろう?

愛娘の成長を見守る自分を、何度も思い浮かべたことだろう。
曲名は「ようこそ」にした。愛娘に向けた言葉だ。

2023年2月。ミュージシャンたちが、それぞれの曲作りを終えようとしていた頃だった。
ドナーが見つかった。

(4)「復活ライブ 〜絶望の次の景色 〜」

今月19日、東京・目黒BLUES ALLEY JAPANは満席となっていた。拍手の中、バンドメンバーに腕を引かれて木下航志がステージに登場した。

ライブ
「ようこそ」を歌う木下航志 5月19日復活ライブ
「ようこそ」を歌う木下航志 5月19日復活ライブ

客席には、妻と歩き始めたばかりの愛娘もいる。移植手術は成功した。病気の寛解も見えてきた。

盲目で生まれた彼に光を与えたのは音楽だった。難病に打ち勝つ力を与えたのも、音楽だった。

彼の復活ライブが始まった。

「無事にこうやってステージに立つことができて嬉しく思っています。難病を乗り越えて、まだ今も治療中ですが、先生からライブをやってもいいと許可も出ました」

会場は大きな拍手に包まれる。ステージにタイプライターの音が響いた。
彼が作った「ようこそ」は、彼が点字を打つ音から始まる。そしてピアノと声を使い、彼はついに愛娘に曲を届けた。

愛娘は大きな音に驚いて泣くこともなく、ステージの父親をまっすぐ見つめていた。

5月19日復活ライブ
5月19日復活ライブ

ミュージシャン達が木下に向けて作った曲はアルバム「Alive and Well」となって、
今月15日に発売された。

曲ごとにゲストが登場するライブとなった。彼らは皆、どんな思いで木下への曲を作ったのかを語ってから、演奏を始めた。

バンド「UNCHAIN」の谷川正憲もステージに上がった。谷川が産み出した曲「カナデル」。それを歌う木下の力強い声。

曲作りの際に願った光景が現実となった。

  奏でる必ず 奏でられる 誰もが誰もが誰もが
  叶える必ず 叶えられる
  願いを届けてよ あなたの声で
  僕には見える 輝くメロディー達の未来が

この日、会場の空気を最も震わせた。

ライブ

新アルバム全11曲の最後の曲にもなっている「Today is the Day」の前奏が始まった。
ドラマーの桃井裕範が木下に贈った曲だ。

このタイトル、普通に訳せば「まさに今日」というところだが、この曲では「今日こそは」と歌われる。
実はこの曲、木下の妻への気持ちを歌っている。

妻の名前は「京子(きょうこ)」。
「きょうこそは」歌詞に彼女の名前が隠されている。

  強い人だね 諦めないで手を取ってくれた
  今度は僕が抱きしめる番さ
  言えない君への想いを 歌にしたらズルいかな
  今日こそ言えそうな気がした
  いや気がしただけ

  言えない君への想いを 歌にしたらズルいかな
  今日こそ言えそうな気がした 
  今夜は嘘じゃないよ

  君が救ってくれたのは 倒れそうな僕の魂
  またここから旅を続けよう
  ずっと君を連れて

客席の京子さんは、泣いていた。

2時間半のライブを終えた彼はステージからお辞儀をした。顔を上げた彼の前に広がっていたのは「絶望の次の景色」だった。

彼が盲目であることが少し残念だった。

(テレビ朝日報道局 大野公二)

  • ピアノと出会った頃の木下さん
  • 2009年6月21日放送 題名のない音楽会
  • 生まれた直後の木下さん
  • ピアノと出会った頃の木下さん
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  • 小学生5年生のストリートライブ すでにすごい人だかり 2000年 福岡・天神
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  • 2002年のニューヨークでのライブ
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  • 中学2年のとき まだアマチュアだが東京・下北沢でライブをした 
  • 高校時代の木下さん
  • プロとして活躍する木下さん 2010年12月18日 東京・根津教会でのコンサート
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  • 闘病中に娘に点字絵本を読んでいる
  • 5月19日復活ライブ
  • 「ようこそ」を歌う木下航志 5月19日復活ライブ
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  • 木下さんと筆者 2024年5月19日 東京・目黒 復活ライブ直後
  • 5月15日発売のアルバムジャケット

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