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2024年9月27日 13:35

三浦浩一【2】舞台稽古でダメ出しの嵐…降板しかないと悩んだが妻の「檄」に押されて

2024年9月27日 13:35

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伝説のミュージカル劇団「東京キッドブラザース」で活躍し、時代劇「風神の門」(NHK)で主演に抜擢された三浦浩一さん。劇団のトップスターだった純アリスさんと結婚して共に退団。「本郷菊坂赤門通り」(フジテレビ系)出演をきっかけに、映画「ねらわれた学園」(大林宣彦監督)、「スクール☆ウォーズ」(TBS系)などに出演。「鬼平犯科帳」(フジテレビ系)の密偵・伊三次役、「剣客商売」(フジテレビ系)の目明し・弥七役も代表作として知られている。

■「魔女の宅急便」に声の出演。「子どもたちがパパすごい!って(笑)」

1989年、三浦さんは、宮崎駿監督が魔女の血を受け継ぐ13歳の女の子・キキの成長を描くアニメーション映画「魔女の宅急便」でキキの父親・オキノの声を担当した。

「『天空の城ラピュタ』とか、『風の谷のナウシカ』とか、宮崎駿さんのアニメがいいって役者の間で話題になっていて。 何でみんなそんなにいいって言っているんだろうって思っていたんですよ。

でも、見ないで語るのは良くないと思ったので、両方DVDを借りて見てみたら、もう恥ずかしいぐらいボロボロ泣いちゃって。アニメはもう実写を超えたなと思うぐらい感動したんです。

それからどのぐらい時間が経ったかわからないですけど、スポーツ新聞に宮崎駿監督が『魔女の宅急便』を作るという記事が大きく出ていたので、即マネジャーに電話して、『頼むから何でもいいからちょっとやらせて。交渉してくれ』って言ったの。

それで、マネジャーが一応交渉したら、実は大人の俳優さんはほぼ出てこないと。パン屋さんがあって、街の男の人がちょろちょろっとしゃべるか、あとは頭と最後しか出ないキキのお父さん役だったので、『お父さん役を頼んでみて』と言ったらうれしいことに決まりました」

――声のお仕事はやってみていかがでした?

「うちは息子が3人いるんですけど、子どもたち3人が唯一『うちのパパすごい!』って言っていましたよ(笑)『「魔女の宅急便」のキキのお父さんの声はパパだって自慢だった』って。あれは本当にやって良かったなと思っています」

■「鬼平犯科帳」の密偵・伊三次はハマり役に

1989年、三浦さんは、中村吉右衛門さん主演時代劇「鬼平犯科帳」に出演。密偵・伊三次役を演じた。

――初主演ドラマが「風神の門」(NHK)でしたし、時代劇作品も多いですね

「そうですね。『鬼平犯科帳』とか『剣客商売』など池波正太郎さんの作品もありますしね。

伊三次は、男から見てもカッコいい、いなせな男で、そういう役をいただけて本当にうれしかったです。そういうプロデューサー、監督にも恵まれたし、共演者にも恵まれましたね。

僕にとってこれがあるから今があるという役柄にも恵まれて。『風神の門』の霧隠才蔵も『鬼平犯科帳』の伊三次も『剣客商売』の弥七も、僕の役者としての代表的な役柄ですね」

――シリーズとして長く続くということは、最初から知らされていたのですか

「いいえ、どのくらい続くかはわかってなかったんですけど、『五月闇(さつきやみ)』で伊三次が死ぬということは知っていたんですよ」

――第6シリーズの第11話でしたね

「そうです。雨の中で刺されて殺されちゃう。『五月闇』で伊三次が死ぬのは知っていたから当時のプロデューサーに、『「五月闇」を映像化するのは、鬼平犯科帳がもう最後だという時、最終回にしてほしい』って、勝手なお願いをしていたんですよ。

それで、『五月闇』の台本が来たから、『ああ、「鬼平シリーズ」は終わるんだ』って思ってやって放送も終わりました。そうしたら、次の年にまた新シリーズがあるって聞いて、『終わりじゃなかったの?まだ続くのかよ』ってがっくり来たんですよ。もう出られないと思うと悔しくてね。

それでいくつか僕のいない回があった後、(2002年に亡くなった)市川(久夫)さんというプロデューサーに『伊三次を出したい』って言われて。

僕もあの役は大好きで自分の役だと思っているけど『ちょっと待って。お客さんはもう伊三次は死んでいると思っているわけだし、それでまた出てきたらおかしい。お客さんを裏切ることになるから本当に出たいけどごめんなさい』って最初は断ったんです。

そうしたら、『わかった。じゃあ、「これはまだ伊三次が生きていた時の話である」と、ナレーションで一行足すから、それでどうだ?』って言われて。

『そこまで考えてくださるんだったら、是非出演させてください』ってお願いしました。だから伊三次が生きていた頃の話ということで、それから延々とずっと最後まで出させてもらいました。途中抜けていますけど、平成元年から平成28年まで続いているんですよね」

――三浦さんと言えば「鬼平犯科帳」が浮かびますものね

「そうですよね。あれだけ長く続いていたらそうだと思いますし、あと、時代劇専門チャンネルとかBSなどで、延々とやっているんですよ、『鬼平犯科帳』と『剣客商売』が。だから、池波正太郎さんのおかげですよね」

――あの世界で画になっていますよね。『剣客商売』も正義感が強い弥七さん役で

「一応自分の中では、伊三次と『剣客商売』の弥七は切り替えてやっているつもりなんです。でも、カツラは同じ感じですね。

『鬼平犯科帳』では中村吉右衛門さん、『剣客商売』では藤田まことさんに本当にお世話になりましたね。そういうすばらしい俳優さん、女優さんといっぱいお仕事をさせてもらって、いいところをいっぱい吸収させてもらって…本当にそういう感じですね」

――どちらも京都での撮影でしたね

「そうです。どちらも京都の松竹撮影所です。あの頃は、1年のうち半分は京都でした。それで現代劇のレギュラーも並行してあった時があるから、京都で時代劇を撮って、東京で現代劇を撮る、そういう時期があって、結構すごいスケジュールでしたね。

それで、そういうものが永遠に続くと思っちゃうんですよね、馬鹿だから(笑)。僕は健康だったら、こうやってずっと仕事も続くし、お金も入ってくるだろうみたいな甘い考えだったんだけど、やっぱり見事にそうじゃなくなってきてね。

その頃、僕は生意気にも2時間ドラマなどは断っていたんですよ。要するにレギュラーもあるし、2時間ドラマはやらなくてもいいよって。

ところが、レギュラーなんていつまでも続くものじゃないから、その後、2時間ドラマをいっぱいやることになって。犯人役も相当やっていて、本当かどうかわからないけど、『犯人役で殺した数でいうと5本の指に入っている』っていわれるほど犯人役をやっているんですよ(笑)。

刑事役も山ほどやっていますね。でも、昔はほとんど毎日のようにあった2時間ドラマが今は1個もないでしょう?テレビ東京が時々頑張って作っているぐらい。

昔は本当に毎週どの局もやっていた。連続時代劇も今はもうゼロですからね。本当に行き場がない。僕だけじゃなくて、そういうところで仕事をしていた大人の俳優さんたちの行き場がない。

他人の事を言っていられないけど、どうしているんだろうって思います。舞台ができる人は、今舞台もやっていらっしゃる。僕もありがたいなと思ってやっています」

■舞台を降板しようと思ったほどダメ出しをされて…

2010年、平幹二朗さんの「幹の会」の舞台「冬のライオン」(演出:高瀬久男)に出演。平さんとはお正月の時代劇と舞台「剣客商売」で共演経験があったという。

「『冬のライオン』はギリシャ悲劇で、演出が亡くなった文学座の高瀬久男さんだったんですけど、稽古場で、これでもかっていうぐらいダメ出しの嵐で…。

他の方はそんなにダメ出しされてないんだけど、僕はことごとく、手の上げ下げから、からだの右左…とにかくダメ出しの毎日で、本当にもう稽古場に行くのが嫌になっちゃって(笑)。

家に帰ってカミさんに『もう俺ダメだ。耐えられない。この作品を降りようかと思う』って言ったんですよ。そうしたらカミさんに『あなたね、今そんな風に厳しいことを言ってくれる人なんていないんじゃないの?ありがたいと思ってやりなさいよ』って言われて。

その時は『ふざけるな、俺がこれだけやって苦しんでいるのに』って思ったんですけど、何とか頑張って稽古に行って幕が開いてね。その時にお客さんの僕のお芝居に対しての評価がすごく良くて。

それでわかったんですよね。キッド(東京キッドブラザース)で身についた余計なものを高瀬さんが全部取っ払ってくれたんだって。キッドは全部客掛け、お客さんにセリフを掛けるんですよ。役者同士でしゃべっている人も、どこかでからだがお客さんを向いているとかね。そういうやり方が染みついていたんでしょうね。だから本当に高瀬さんにも感謝です。僕は本当にそういう人たちに恵まれましたよね」

――平さんとは「冬のライオン」のあともご一緒されていますね

「はい。『冬のライオン』のロングランをやって、その後、『王女メディア』を2回やっています。その時も、本当に舞台の上で平さんが演じている姿を少しでも脳裏に焼き付けるように見ていました。やっぱりそのくらいすばらしかったですね」

――舞台の合間などにはどのようなお話をされていたのですか

「そう言われると、何でもっと話をしなかったのかなって悔やまれますけど。みんな(酒を)飲む人ばかりだったんですよ。だから平さんが号令をかけて、みんなでイタリアンかフレンチによく行きましたね。

平さんはワインなんですよ。ワインのボトルがどれだけ並んだのかというぐらい空いていましたね。みんな飲む人ばかりでいろんな話をしました。演技の真面目な話をするときもあるし、くだらない話も多かったですね(笑)。

あと、きれいな木とか花が咲いているようなところがあって。私有地なんだけど、開放していて見せてくれるような山があったので、そこにみんなで散歩に行ったりしてね。

その時に、山の中にくつろげる小屋があって、そこで平さんが朝、ご自分で野菜にバルサミコ酢とかをかけたサラダとちょっとしたものを振る舞ってくれたんですけど、そのサラダがすごく美味しくて。そういうのは本当にうれしかったですね」

――昔はみなさん、撮影の合間や終演後に飲みに行かれたりしていましたけど、コロナでめっきり減りましたね

「そうです。コロナで完全にそういうのがなくなって。それに今の若い子たちは、役者さんもスタッフさんも自分の時間が大事みたいで、先輩たちとああだこうだしゃべるのは苦手みたいですね。サラリーマンの人とかでもそういう話を聞くじゃないですか。

だけど、そういうくだらない話から得るものって結構多いと思うんですよ、だから寂しいなっていう気はするんです」

――会社で上司が「飲みに行こう」と言うと、「残業代がつきますか?」って聞かれたという話も聞きました

「信じられないですよね。何かそういうのが楽しかった。先輩たちの本当に結構くだらない話を聞いたりするのがね。2時間ドラマのロケで旅館を借りて撮影すると、大広間でスタッフと役者みんなでご飯を食べて、ちょっと飲んで。食事が終わって片付けが始まっても、飲みたいやつは部屋の端っこの方に集まって監督や役者のバカ話を聞いてゲラゲラ笑って(笑)。

そういう時間が必ずあったんだけど、今の若い人たちはサッサと自分の部屋に行ってゲームをやったり音楽を聞いたり…という感じですごいですよね。ドライというか。はっきり言って、貪欲さに欠けるというか。それで成り立っていくのかなというのは、やっぱりちょっと不思議な感じがしますね。

そういうところも大事なんだということを僕たちがちゃんと教えてあげればいいのかもしれないですけど、下手に言うとパワハラだなんだってなるじゃないですか。だから怖くてしょうがないです。今はもう下手なこと言えないから、本当に大人しくしなきゃって思いますよ。でも、そんなことでいいものができるのかなって疑問ですよね。

お芝居にしても映画にしても、作品を良くしようと思って意見を戦わせて、時にそれが行き過ぎちゃってケンカなんてことも昔は山ほどあったんですけど、今それはなかなか難しい。

でも、作品を作るということは、意見を交換する、ぶつかり合う…そういうので練って練ってできていく、そういう世界だと思うんです。

遠慮し合って、言いたいことも言わないでって、何か形には一応なるんですけど、熱がないというか、深みを感じないというか…。難しいですよね。僕は本当に良い時代にすばらしい先輩たちとご一緒出来て良かったなあって思います」

今年は初めてシェイクスピア作品に挑戦し、8月29日(木)〜9月2日(月)まで「リア王2024」(演出:横内正)に出演。次回はその舞台裏、海外の映画祭への思い、11月1日(金)に公開される映画「ぴっぱらん!!」についても紹介。(津島令子)

※宮崎駿の「崎」は立つ崎(たつさき)が正式表記