ワクチン敗北〜日本はいかに戦に敗れたのか(前編)[2021/06/05 10:30]

2月17日から医療従事者を優先に始まった日本の新型コロナウイルスのワクチン接種。少なくとも1回でもワクチンを接種した人の割合は、3カ月半経った6月1日現在、全国民の8%程度に留まっている。
東京オリンピック・パラリンピック開催を断行したい菅政権は、高齢者への接種を7月までに終えることを目標に、あの手、この手で接種拡大を目指す。しかし、今頃になってワクチンの打ち手の対象を広げるなど、準備不足があらゆる局面で露呈している。

オックスフォード大学が運営するデータベースサイトによると、6月1日現在、日本の人口100人当たりの接種回数はOECD38か国の中で依然として最下位のままだ。

◆ワクチン対応で露呈した国の危機管理能力

一方、新型コロナウイルスで60万近い犠牲者を出したアメリカでは5月下旬、ワクチン接種を終えた人は国民の半分を超え、屋外でのマスク着用義務も撤廃された。
また、今年頭には最大で1日あたり6万人の感染者を出し、ロックダウンを繰り返したイギリスにも日常が戻りつつある。4月末には1回でも接種した国民の割合が先進国で初めて5割を突破し、6月1日にはウイルスによる死者数は去年3月以降、初めてゼロとなった。

特に欧米で感染の抑え込みに失敗する中、各国はワクチンに望みをかけて、開発と調達に国家レベルで取り組んできた。しかしワクチンをめぐる戦いで日本の敗北は決定的になりつつある。

運が良ければあと半年もすれば、今の欧米並みの接種率に到達できるかもしれない。しかしこの敗北の意味は、その間、感染防止や経済回復が遅れる、ということだけではない。我々に重くのしかかるのは、日本政府が未曽有の危機に迅速に対応できない、という問題ではないか。

ワクチン対策に成功した国と日本、いったい何が違ったのか。

◆官民連携で民間の知恵を積極導入

ワクチン政策においてその手法が注目されている国の一つがイギリスだ。

イギリスが国民のワクチン接種率で先進国トップに立てたのは、ワクチンの開発国だから、という理由だけはない。去年12月、アメリカのファイザーとドイツ・ビオンテックが共同開発したワクチンを世界で最初に承認し使用に踏み切ったのは、アメリカではなくイギリスだった。

イギリス政府は去年4月、年内の大規模なワクチン接種開始を目指し、首相直轄の「ワクチン・タスクフォース」を設置した。トップに起用されたのが、バイオテクノロジー企業への投資に長く携わってきたベンチャーキャピタリストのケイト・ビンガム氏だ。

ビンガム氏は5月の就任当初、「早期に入手できるワクチンができるかどうか、まったくわからなかった」と報告書で振り返っている。困難な状況の中で、タスクフォースは世界で240以上あったワクチン候補を迅速に評価。詳細なデューデリジェンス(価値やリスク分析)を行い、最終的には7つのワクチンの契約にこぎつけた。

暗中模索の中で、チームは大手製薬会社だけでなくベンチャー企業にもリスクを取って投資し、場合によってはワクチンの事前購入に踏み切った。資金は治験の各フェーズや承認など、開発の段階ごとに支払われ、ワクチンが効かないと判断した場合には資金提供を中止する。通常政府は採用しない、「ベンチャーキャピタルの手法」とも言われた。

また、開発がうまくいかなかった場合に備え、「mRNA」や「ウィルスベクター」など4つのワクチンタイプを選び、リスク分散を図ったことも特徴的だ。

◆長期的国家戦略をもって危機対応

イギリスの例で注目すべきは、迅速なワクチン確保を目標としただけでなく、今後のパンデミックに備える体制づくりや産業構造の転換など、明確な長期戦略を描いて進められたことだ。

タスクフォースは、ワクチンの開発支援や調達と同時に、ワクチンの国内の製造拠点の拡充に向けた投資も行った。「国際的なサプライチェーンに依存することによる将来的なリスクを軽減するため」とし、「成長性の高い先端医療産業への労働力移転を促す」ことも当初から視野においている。新型コロナウイルスによる危機をステップに、将来的にイギリスを世界の医療拠点とし、パンデミック対応のグローバルリーダーとしての座を確立したいという狙いも見える。

加えてトップのビンガム氏自身が「重要なレガシー(遺産)」と称するのが、タスクフォースが作り上げた臨床試験のための巨大なボランティアのネットワークだ。

去年7月、タスクフォースはイギリスの既存の国民保険サービス「NHS:National Health Service」と協力してウェブサイトを立ち上げ、臨床試験のボランティアを募集。丁寧にその意義などを説明することで、12月までに参加者は36万人まで広がった。タスクフォースはこれを「世界で初めての臨床試験の登録を促すための国民名簿」だとしている。

タスクフォースはこのネットワークを使って、治験のデータを迅速に集めるとともに、分析結果をデーターベース化し、ワクチン開発に役立てた。さらに今回の危機だけでなく、「将来のワクチン開発のための永続的なレガシーとなる」と、その意義を強調している。

イギリスではタスクフォースの作業と並行して、ワクチン接種に向けた実務的な準備も進められた。運営主体となったのが前述した「NHS」だ。

◆成功のカギはトップダウンと医療データの一元管理

NHSの制度では、国民は原則、近所の「かかりつけ医」に登録。医療情報はすべて電子カルテ化されている。今回のワクチン接種でも強みとなったのは、NHSの集中管理体制の下で、既存のシステムが活用されたことだ。

イギリスでは、すでに登録してある「かかりつけ医」から連絡が来て、オンラインで予約する流れになっている。接種サイトは薬局も含め様々場所に設置されたが、接種記録は、最終的に個人の電子カルテに記録される。ワクチン接種に関するITシステムも、NHSのシステムを統括する「NHS Digital」によって一元管理されている。

さらに、ワクチンの打ち手を増やすため規制緩和も早い段階で行われた。イギリス政府は去年10月には、准看護師、救急救命士、理学療法士、薬剤師、学生看護師なども訓練したうえでワクチン接種ができるように対象を拡大した。

こうした迅速で異例な対応の結果、イギリスは去年12月2日、世界で初めてファイザー製ワクチンを承認し、6日後、世界に先駆けて実用化を開始した。2カ月間で優先する高齢者と医療従事者、合わせて1500万人に1回でも接種することを目標に掲げ、これを2月中旬には達成。ジョンソン首相が「偉業」と称賛した。

◆「楽観ムード」が日本にもたらしたものは

去年4月、イギリス政府が「ワクチン・タスクフォース」の設置を決めたころ、日本では新型コロナ対策のための第一次補正予算が閣議決定された。「国内におけるワクチン開発の支援」に投じられた費用は100億円あまり。一方で「Go Toキャンペーン」など経済回復に向けた対策には約1兆8000億円が計上された。

財務省が作成した補正予算の説明資料には、「第2段階V字回復フェーズ」として、ポストコロナを見越した施策が強調されている。ある政府高官は、「その年の夏ごろには経済が『V字回復』すると多くの人が本気で思っていた」、と当時を振り返る。

去年5月下旬には、欧米で新型コロナウイルスが猛威を振るい死者数が拡大する中、日本では安倍晋三総理大臣(当時)が、「わずか1カ月半で流行をほぼ収束させ、日本モデルの力を示した」として、具体的な規制がない日本の感染策に胸を張った。

実際にこの年の夏ごろまでは、「奇跡的」と思われるほど感染者の数は減少する。官邸内部にいたある官僚は、ワクチンに対する危機感は当時、「全然なかった」と明かす。

こうした楽観ムードの中で、日本政府のワクチンへの取り組みは後手に回っていった。

◆「穴だらけ」のワクチン契約

現実問題として、日本では短期間での国産ワクチン開発は不可能だと広くみなされていた。

ワクチンの集団訴訟での度重なる国の敗訴、国内マーケットの縮小、国民のワクチンへの警戒感などを理由に、独自のワクチン開発に政府が本気で取り組む様子は見られなかった。

さらに海外からの調達についても、日本政府の動きはあまりに鈍かった。ある省庁の幹部は、当初ワクチンの調達交渉を一手に担っていた厚生労働省に対する憤りが今でも収まらない。

「厚労省に何度契約書を見せろと言っても、『ちゃんとやってる』という返事ばかりで、概要すら一向に明らかにしない。今年に入ってやっと明らかにした契約書は穴だらけだった」

日本政府がファイザーと最初の合意にこぎつけたのは去年7月末。加藤勝信厚生労働大臣(当時)が、「2021年6月末までに6千万人分(1億2000万回)の供給を受ける」ことで「基本合意」したと発表した。

「基本合意」は、個数と単価、そして問題が起こっても製薬会社は免責され日本政府が責任負うという内容で主に構成されていた。

最初の合意のタイミングとしては、アメリカにもほとんど後れを取っていない。しかし、具体的な調達時期も不明確で製薬会社に義務やペナルティーはなく、「契約」とは言えないような内容だったという。

総理官邸内でワクチンに対する焦りが募り始めたのは秋も深まった11月ごろだった。

テレビ朝日 外報部デスク・新谷時子

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