ワクチン敗北〜日本はいかに戦に敗れたのか(後編)[2021/06/05 18:00]

ワクチンの開発、調達、治験、接種と長期的な戦略を立て、去年12月に世界でいち早く接種開始にこぎつけたイギリスに対して、日本の対応は明らかに後手に回っていた。

総理官邸内でワクチンに対する焦りが募り始めたのは秋も深まった11月ごろだった。

日本でも新型コロナウイルスの感染者が増加し始めたことに加え、ワクチンの承認に不可欠な国内での治験手続きがほとんど進んでいなかったことも危機感を強めた。

◆ようやくつながったファイザー社トップとの電話

欧米で接種が進みだし、ワクチンの争奪戦に突入すると、入手の見通しはさらに厳しくなる。

官邸にもたらされたファイザーの初期の提案では、ワクチンの供給は早くて3月から4月、本格化するのは5月という見通しだったという。主にファイザーの日本法人を相手にしていた厚労省の交渉は完全に行き詰まっていた。

菅義偉総理大臣がこうした状況を問題視したときには、すでに年の瀬が迫っていた。

「2021年の前半までに全ての国民に提供できる数量を確保する」
所信表明演説でもこう約束した菅氏は、側近の和泉洋人補佐官に対し、外務省も巻き込んでワクチンの入手を急ぐよう指示を飛ばした。ようやく、政府一丸となっての取り組みが始まった。

ワシントンにいた杉山晋輔駐米大使(当時)に、ファイザーのトップと直談判するよう東京から要請が来たのは年が明けてからだった。官邸の命を受けてファイザーのアルバート・ブーラCEOにコンタクトを試みたものの、つながらない。そこで、杉山氏はワシントンで関係を築いていたトランプ政権の厚生長官、アレックス・アザー氏に仲介を依頼する。

アザー氏の働きかけで、ようやくブーラ氏に電話がつながった。杉山氏が供給を前倒しするよう要請したのに対し、ブーラ氏からは「どれだけできるかはわからないが、できるだけ早くする」という回答だった。杉山氏はまた、直後に控えていた田村憲久厚生労働大臣の電話も「絶対に取ってほしい」とブーラ氏に強く要請したという。

さらに1月にワクチン担当大臣に就任した河野太郎氏も別ルートでファイザーとの交渉を進めた。こうした積み重ねで、最初の到着便は、2月中旬と見込まれていた厚労省のワクチン承認のタイミングに合わせて、前倒しされることになった。

しかし、形ばかり早期調達にこだわったことで、2月12日に到着した初便はわずか約6万4000瓶、39万回分に留まった。ただでさえ少ないワクチンを公平に各自治体に配分したことで、品薄感に拍車をかけ、不満も募った。ワクチンが不足する中、最優先である医療従事者の接種が終わる前に高齢者の接種が始まるなど、全国で長く混乱が続くことになる。

◆「デジタル」漂流 連携なきシステムの乱立

ワクチン調達での遅れに加え、日本政府の危機対応に疑問を抱かせるのが、乱立する政府のシステムだ。

現在、ワクチン接種をめぐっては主に3つのシステムが使われている。厚労省所管の「V−SYS」、内閣府の「VRS」、従来からある自治体の「予防接種台帳」だ。問題は各システム間の連携が乏しいことだ。

「予防接種台帳」とはもともと各市町村が管理する、主に子どものワクチン接種のためのシステムで、これをもとに個人に接種券が発行されている。「V−SYS」とは「ワクチン接種円滑化システム」と呼ばれ、ワクチンをどの自治体にどれだけ分配するかを決めるために厚労省が去年9月に新たに発注したものだ。「VRS」は誰がいつどのワクチンを接種したかを記録する「ワクチン接種記録システム」。今年に入ってワクチン担当の河野大臣の指示で作られたことで「河野システム」とも呼ばれている。

◆「システム乱立」 その背景にあるものは

複数の関係者によると、厚労省はもともと、ワクチン接種は地方自治体の業務であり、国の仕事はワクチンを届けること、という整理だった。

このため厚労省が作ったのが、ワクチンの流通に特化し、「予防接種台帳」とは連携していない「V−SYS」である。一方、個別の接種を管理する「予防接種台帳」は、基本入力は手作業、さらに市町村ごとの個別システムになっているため、国単位での集計に2〜3カ月かかるという。さらに、市町村をまたいで引っ越しした人のデータの共有はできない仕組みが大きな障害だった。

この2つのシステムだけでは全国民への大規模接種に対応できない。そう直感的に判断したのが、1月にワクチン担当に任命された河野大臣だった。こうして急きょ、国民に個別に割り当てられたマイナンバーを使って、全国的レベルでの接種状況をリアルタイムで把握したり、自治体間でも共有したりできるシステム作りが始まった。およそ2か月の「突貫工事」で「VRS」が完成する。

しかし付け焼刃的に3つのシステムが共存することで、自治体の事務は煩雑化する。まず「予防接種台帳」で接種券を作って住民に発送、接種の際にその情報を専用のタブレット端末で読み取り「VRS」に反映させ、さらに「V−SYS」に接種回数などを別入力するという多重作業が現場の負担をさらに重くした。

システムの機能不全への危惧は、去年の段階から政府内外から上がっていたという。それならなぜ、厚労省が去年の夏に「V−SYS」を発注する際、接種券の発券から接種情報、ワクチンの在庫管理・発注まで管理する、統一システムを作らなかったのか。

▼未曽有の危機で「従来型の発想」

厚労省の担当部署は、「V−SYS」と「予防接種台帳」、それぞれ目的が違うと説明する。

一方、「VRS」の開発に携わった内閣府の担当者は「厚労省には従来型の発想しかなかった」と語る。つまり、「縦割り」意識で、国全体を見渡した危機対応ができていなかったという指摘だ。

このほかにも、新型コロナウイルスの発生以降、厚労省によって様々なシステムが作られている。感染状況に関する「HER−SYS」(新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム)もその一つだが、個別のワクチン接種情報が記録される「VRS」とは連携していない。

ワクチンの効果はどのぐらい続くのか。新型コロナウイルスに感染歴がある人とない人とでは、効果や持続性に違いがあるのか。年齢や既往症別で違いはあるのか。今後のワクチン開発に役立つデータを一元的にまとめるシステムはなく、改めてリソースを費やして調査を行わなければならない。「デジタル化」のメリットをほとんど生かせていない、デジタル後進国の状態が続いている。

◆失敗から学び次の危機に備えた改革を

日本政府も、国産ワクチンの生産に向けて、ようやく重い腰を上げ始めた。

政府は6月1日、「ワクチン開発・生産体制強化戦略」を閣議決定した。「世界トップレベルの研究開発拠点形成」を目指し、アメリカが新型コロナワクチンにも適用した「緊急使用許可」の制度も参考に、薬事承認プロセスの迅速化についても検討していくという。ただ、日本での法改正は早くても来年になる見通しだ。

今回の新型コロナウイルスによるパンデミックは、ある意味、その国の危機管理能力を内外に露呈させることになった。そうした中で、日本政府の対応はあらゆる局面で後手に回った。将来を見越して布石を打ったものがこれまで果たしてどれだけあるのか。

日本政府には次への対応を早急に進めると同時に、この1年半の危機対応をぜひ検証してもらいたい。失敗から学ばなければ、同じ過ちを犯し続け、気がつけば改革を進める国との差は埋めようがないほど拡大し、日本が世界で取り残される。そんな日が来るのも、そう先のことではないかもしれない。


テレビ朝日 外報部デスク・新谷時子

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