ロシア軍集結「ウクライナ侵攻」前夜か CIA元副長官が予測する3つのシナリオ[2022/01/20 20:00]

ANNワシントン支局長 布施哲(テレビ朝日)

これは軍事行動の前触れなのだろうか。
米マイクロソフト社は1月15日、ウクライナ政府機関と関連組織のシステムにマルウェア(コンピュータ・ウイルス)が埋め込まれていると発表した。

このマルウェアは感染したコンピューターのデータを削除し機能停止に追い込む「破壊的なマルウェア」だとしている。狙われたのはウクライナ政府の中でも緊急事態に対応する機関と、そのサイバーセキュリティを支援するIT会社。

ロシアが得意とする戦い方の一つにハイブリッド戦がある。武力攻撃、つまり戦争にはならない程度に軍などを使って侵攻し、相手に要求を受け入れさせるやり方だ。具体的には国籍や所属を隠した特殊部隊を投入したり、SNSなどに偽情報を流したり、サイバー攻撃によって通信や情報ネットワークといった相手の神経中枢を麻痺させることを組み合わせる。サイバー攻撃はこのロシアのハイブリッド戦で、作戦の冒頭で必ず使われるとみられている。

情報戦はすでに始まっている。
1月14日、アメリカ国防総省は異例ともいえる発表をする。定例会見の場で突如、カービー報道官が「ロシアがすでに工作員たちを潜入させて、ウクライナがロシアの権益に攻撃を仕掛けたことを偽装させようとしている」と明らかにしたのだった。ロシアが自作自演の攻撃を口実にウクライナに侵攻するつもりだと訴えたのだ。捉えた兆候をあえて国際社会に公にすることでロシアの動きを事前に止めようとする、この動きはアメリカ政府の焦りだともいえた。


◆スウェーデン軍も警戒態勢に

不気味な兆候はまだある。ウクライナから離れたバルト海だ。

バルト海でのロシア海軍の活動が活発化しているのを受けて、スウェーデン軍はゴットランド島に軍を展開させて警備を強化した。戦車揚陸艦と見られる艦艇がロシアの海軍基地を出港し、その後、北海艦隊と合流したという未確認情報も伝えられている。

スウェーデンメディアは2カ所の原発上空で複数のドローンによる不可解な飛来があったことを報じ、SNS上では「同じタイミングでロシアの軍艦が近海にいた」という情報が飛び交った。

なぜロシア軍が北のバルト海で活動を活発化させているのかはわからない。ウクライナから注意をそらす陽動なのか。欧州各国で緊張を高める工作なのか。それとも何か他の意味があるのか。

それだけではない。10万人のロシア軍が集結しているウクライナ国境付近とは別に、ウクライナの首都キエフから遠くない、隣国のベラルーシにもシベリアからロシア軍の増援部隊が続々と到着しているという情報が飛び交った。18日にはこの情報をアメリカ国務省幹部が認めた。同幹部はベラルーシ領内に集結したロシア軍が一気に北方からウクライナに侵攻するリスクを指摘するだけでなく、ベラルーシが領土内にロシアの核兵器配備を認める動きがあることを明らかにした。

そんな中、米露両国は21日にスイス・ジュネーブで外相レベルの協議をおこなうことで合意。外交による解決の兆しに期待の声があがったが、米国務省幹部は「まだ、ロシアの意図はわからない」と慎重姿勢を崩さず、「場合によっては、この会談での決裂が外交的努力の限界という言い訳に使われ、ウクライナ侵攻の口実にもなるかもしれない」と警戒心を隠そうとしない。


◆カギ握るウクライナの天候

果たしてロシアの侵攻は迫っているのか?
ワシントンでは現地ウクライナの天候に注目が集まる。

現地では2月から3月にかけての時期に路面は完全に凍結する。ロシア軍の戦車や装甲車両が行動するのに最適な状況になるという。だが、その後、3月下旬からは氷は溶け始め、路面は逆に泥沼と化す。つまり装甲車両の運用は事実上できなくなるのだ。

アメリカの安全保障エスタブリッシュメントに豊富なニュースソースを持つニューヨーク・タイムズのデビッド・サンガー記者は「プーチン大統領が行動を起こせるのは2月から3月の限られた期間しかない」と1月の早い段階から指摘していた。

サンガー記者の取材力を裏付けるかのように、米政府高官は18日に「ロシアの軍事行動は1月中旬から2月中旬の間のいつ起きてもおかしくない」とする米情報機関の分析を明らかにし、19日の会見でバイデン大統領も言及している。

果たしてプーチン大統領は軍事行動を選ぶのか、それとも外交的解決を選ぶのか。
マイク・モレルCIA元副長官は自身のポッドキャストで、プーチン大統領の人物像について「リスクを好んで取るし、そのリスクから果実を得ようとする。だが常軌を逸した人物ではない」と指摘する。

プーチン大統領は「交渉にはウインウインがあるとは信じていない。勝つか、負けるかだけであり、信じられるのは力だけだと考えており、余程強い抵抗に遭うまでは、押しまくれるだけ押し込んでくる」という。


◆CIA元幹部が描く3つのシナリオとは

その上で次の展開についてモレル氏は3つのシナリオをあげる。1プーチン氏が侵攻をやめる、2サイバー攻撃も併用してウクライナ国内のロシア系住民の反乱を扇動する、3大規模侵攻の3つだ。

1つ目はプーチン氏が侵攻を取りやめるシナリオで、ある程度の政治的、外交的成果を得たとして矛を収めるパターンとなる。NATOとウクライナが明言せずとも、ほぼウクライナのNATO加盟はないだろうとプーチン大統領が認識することが前提だ。

このシナリオで最も決定的な要素は軍事侵攻のコストが高すぎるとプーチン大統領が判断することだとモレル氏は言う。この場合、プーチン氏は面目を保つため、すぐには展開中の軍を撤退することはせず、段階的に撤退させていき、並行して米ロの話し合いが進められていくことになるだろうと予測する。18日の会見でバイデン大統領はウクライナの民主化の度合いなどを理由にあげて「ウクライナのNATO加盟が近いうちに実現する可能性は極めて低い」と述べ、プーチン大統領に対して「解決の余地はある」と秋波を送っている。

問題はこの説明でプーチン大統領が納得するかどうか、だ。
短期的には加盟はなくても遠い将来の加盟まで否定することはできないからだ。同盟関係にはないウクライナのこととはいえ、ウクライナを見捨てたと取られるようなことをすれば、アメリカの同盟国(特にNATO諸国の中でもロシアに距離的に近接している国や、インド太平洋地域では中国などと対峙しているフィリピン、日本など)に少なからず動揺が走ることになるだろう。そうなれば世界に同盟のネットワークを張り巡らせることで影響力を維持し、経済的利益につなげているアメリカの世界戦略の根幹が揺らぐことになりかねない。

2つ目のシナリオが、ウクライナ国内のロシア系住民による反乱を支援する(煽動する)展開だ。この場合、ウクライナ国境沿いに展開中のロシア軍でウクライナを威圧し、反乱を鎮圧しないよう牽制するだろうと予測する。モレル氏はこのシナリオが起きるのはプーチン大統領がアメリカやNATOから妥協を引き出せていないと判断した時だと指摘する。

ロシアは過去に「Little Green Man」と呼ばれる、所属や国籍を示すものを一切、身につけない特殊部隊をウクライナに送り込んでいるが、このシナリオでも、ロシア側が特殊部隊や準軍事要員を派遣して反乱の主体となるロシア系住民の武装グループを支援したり、武器や情報を提供したりすることが含まれるかもしれない。これは冒頭に説明した、戦争以下に活動範囲や緊張度を抑えながら目的を達成するハイブリッド戦だといえよう。

そして最後のシナリオ3が大規模軍事侵攻だ。このシナリオではロシア系住民が多いウクライナ東部の一部を占拠するパターンから、ウクライナの領土のほぼ半分にあたる東部全域を奪取してしまうパターンまであり得るという。いわゆる、我々が想像する一般的な戦争に近いもので、戦車や航空機による攻撃も伴う大規模な軍事作戦となる。これが起こるのは、プーチン大統領がまだ政治的目標を達成できておらず、かつ軍事侵攻に対する抵抗は少ない、と判断した時だ。


◆サイバー攻撃が前触れ?

シナリオ2とシナリオ3はおそらくサイバー攻撃から始まる可能性が高いだろう。
前述のハイブリッド戦あるいは大規模侵攻のいずれのシナリオでも作戦開始時には、敵の対応を麻痺させる目的で、2016年にウクライナの電力網をサイバー攻撃でダウンさせた手法が取られる可能性が高い。サイバー攻撃が好まれる理由はロシアの犯行だと特定されにくく、表向きは関与を否定する余地がある点にある。サイバー攻撃の攻撃源を特定することは難しく、特定できたとしても、その攻撃源がロシア政府の指揮命令系統にある個人、団体であるのかどうかの確定には時間を要するからだ。

事態の把握とロシアの攻撃を認定するのに時間を要する間(認定後も対応の調整に時間を要することは言うまでもない)、アメリカやNATOは効果的な対応が遅れ、ロシアは作戦を継続し、既成事実を積み上げていくだろう。

前述のニューヨーク・タイムズのサンガー記者は「いくらロシアが疑わしくても、サイバー攻撃の攻撃源として厳格に特定できなければ、ロシアと事を構えるようなあぶないことはできない、という声が欧州から出て意見は割れる」と懸念する。

実はハイブリッド戦やサイバー戦に関連してバイデン大統領は19日の会見で失言ともとれる発言をしている。大規模なウクライナ侵攻は制裁の対象だと強く警告する一方、「小規模な侵攻の場合、対応の仕方はいろいろな議論があるだろう」と、あたかも小規模侵攻は経済制裁の対象にならないと受け取れる発言をして物議をかもしている。

この発言にはバイデン政権に好意的な主要メディアからも「プーチンにハイブリッド戦ならいいぞ、とゴーサインを出したようなものだ」という批判が上がり、慌てたホワイトハウスが声明を発表して火消しに走る一幕もあった。戦略的に曖昧にしておけないバイデン大統領らしいともいえる発言だが、アメリカの本音がはからずも飛び出したものともとれる。

後から、この発言がロシアのハイブリッド戦の引き金になった、というようなことにならないことをホワイトハウスの幹部たちは祈っていることだろう。


◆欧州のアキレス腱

不気味な動きをみせるロシアだが、実は欧州の足並みの乱れを誘う強力なカードを持っている。
それはEUがガス供給の3分の1をロシアに依存している点だ。

ロイターは1月14日の記事で、ロシアがEUに対するガス供給を遮断した時に備えて
追加供給が可能か、エネルギー各社にアメリカ政府が打診したと伝えている。打診を受けた各社はアメリカ政府に対し、ガス需給が世界的に逼迫しているために、ロシアからの巨大供給量に見合う追加供給は難しいと答えたという。つまり、真冬の暖房の需要が高まっているこの時期に欧州はロシアにガス供給という人質を取られていることになる。ウクライナという非NATO国のためにどこまで結束を維持できるのか、アメリカとNATOも試されている。

今後の展開についてモレル氏は「変数が多くて断言は難しい」としながらも、悲観的シナリオの可能性を否定しない。「もし、あなたがウクライナに利害を有する政府や企業の関係者であれば、当然、あらゆるシナリオ、つまり限定的な軍事侵攻から大規模な軍事侵攻のシナリオにまで備えるべきだ。」

ウクライナ侵攻があった場合、アメリカは地上部隊を派遣することは考えていないことをバイデン大統領がすでに明らかにしている。バイデン政権は軍事オプションの代わりに強力な制裁で対応する構えを見せている。


◆制裁で対抗するアメリカ

具体的にはロシアの金融機関をドル取引から排除することや、半導体の禁輸措置によってロシアの航空産業に打撃を与えるというものだ。

これまでにアメリカは、イギリスと共に対戦車ミサイルといった武器の供与や顧問団としてサイバー部隊を派遣しているほか、侵攻の兆しがあればリアルタイムでロシア軍の位置や動きをウクライナ側に情報提供することが検討されている。

ニューヨーク・タイムズの報道によれば、ロシア軍による侵攻でウクライナ軍が組織的抵抗の停止に追い込まれた場合は、隣国のポーランド、ルーマニアやスロバキアでアメリカ軍がゲリラ戦の訓練を施してウクライナの抵抗活動を支援する案もあるという。

だが、CIAで準軍事作戦に30年以上、従事したキャリアを持つフィリップ・ワイゼルスキー氏は米シンクタンクCSISに寄せたレポートで、アメリカやNATOがウクライナ防衛のために部隊を派遣しない以上(カナダ軍の特殊部隊が教育訓練目的で派遣されているとの一部報道あり)、“拒否的抑止”、つまり事前にロシア侵攻を拒否、阻止することは望めないと指摘する。

残されているのは“懲罰的抑止”、つまり悪さをすると、こんな痛みやコストを伴う懲罰が待っているぞ、だからバカなことはするな、という方法しかない、とワイゼルスキー氏は説く。まさにアメリカ政府がNATO諸国と共に用意している制裁案は、経済的な痛みを伴うことを知らしめることで軍事行動を思いとどまらせようと言うものだ。


◆制裁はロシアを止められない?

問題はアメリカが用意する経済制裁でロシアがどこまで痛みとコストを感じるか、だ。
クリミア併合以降、ロシアは国際社会の制裁に耐え抜いてきており、ロシアは「制裁慣れ」しているとして、制裁がロシアの侵攻をどこまで思い止まらせられるか、疑問視する声もある。

これは北朝鮮、イランの例を見ても言えることで、主権国家が決意した核開発やミサイル開発の計画などを制裁によって断念させることには限界があるといえる。

ロシアである疑いが極めて強いにもかかわらず、サイバー攻撃の事実認定に手間取り、事態は進んでいく―。民主主義国家は有効な対抗策を打ち出せず、世界が注視する中で軍事侵攻が進んでいく。

そして何よりも、リスクを取ることも、世界から批判を受けることも、孤立することも厭わない権威主義国家のトップが軍事侵攻を決意した時、それを押しとどめる方法は限られている。

本当にそんな展開になっていってしまうのだろうか。
今、世界ではタガが外れたかのようにロシア、中国、北朝鮮がアメリカの出方や我慢の限界を試しながら、手痛いしっぺ返しがないと見るや、躊躇うことなくさらに前に出てくる動きを見せている。

なんとも灰色で憂鬱な世界だ。
だが、さらに憂鬱なことはヨーロッパで起きることが、東アジアで起きないと慢心できる理由は何一つない、ということだ。


◆ウクライナ有事は台湾有事の「予行演習」?

「台湾有事は日本有事」とも言われる台湾有事で懸念されているのは、まさにサイバー攻撃であり、電撃的なスピードで神経中枢を攻撃して台湾を屈服させる「Short Sharp War」と呼ばれる戦い方だ。

アメリカ軍が阻止に駆けつける暇を与えず、日米英仏豪が足並みを揃えて対抗策を打ち出してくる前に一気に片をつけてしまう。それを可能にする軍事能力を中国は着実につけつつあり、中国がひとたび決意すれば、それを押しとどめることは難しい構図が出来上がりつつある。
それに対抗する民主主義国家の連携がどこまで維持できるのか、という点もまたウクライナ問題と共通する。

暗くて憂鬱な世界にようこそ、とでも言うべきか。
ウクライナ問題は決して遠い国の出来事ではない。
むしろ私たちにとって「予行演習」なのかもしれない。


ANNワシントン支局長 布施哲(テレビ朝日)

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