読めば流れが分かる ウクライナ危機の背景 プーチン大統領は何を恐れているのか〜後編[2022/02/23 11:00]

1991年の崩壊から2010年にかけてのロシアは、大変混乱した国でした。
新しい資本主義を取り入れることにも失敗し、一部の富める人たちのもとに富が集まり、政治家の間でも賄賂が横行、どうやって国を治めていったらいいかという大変難しい状況下で経済的にも落ち込み、軍事的にも弱っていました。
そこに、追い立てるようにしてNATO(=北大西洋条約機構)が、ロシアに鞭を振るったという感覚がプーチン大統領にはあっただろうと思います。
実際、この時ロシアに対して手を差し伸べたというのは、おそらくあのドイツのコール首相だけです。ほかのヨーロッパ各国、それから特にアメリカは、ロシアに対して、水に落ちた犬を打つようにして背を向けたと、プーチン大統領は考えています。

◆ソ連崩壊後の弱体化とNATOの“仕打ち”

ところが、かつてソ連と一緒にワルシャワ条約機構に入っていた東欧の国は、2004年までにほぼNATOに入り、今度はかつてのソ連の一部であったグルジア(ジョージア)という国がNATOに加盟したいと意思表明しました。この時に同じく旧ソ連のウクライナもNATO入りを目指すということを初めて発表しています。
ロシアは、民族紛争を口実にしてグルジアに攻め込み交戦、戦争状態になります。この時、欧米は、ロシアに対して極めて厳しい経済制裁を検討しました。今でもグルジアとロシアの間は緊張状態が続いたままになっています。

ロシアにとっては、自分たちのひとつの国だったグルジアがNATOに入りたいという意思表示をしたことは、東ヨーロッパ各国が入ったこと以上に大きなショックだったと思います。そして、ウクライナもその意思を表明すると言うことで、大変な脅威を感じていました。プーチン大統領はウクライナがNATOに入るのは、ロシアにとっては核爆弾を落とされるのと、同じようなものだというぐらいの危機感を覚えた、と表明したことがあります。

◆ウクライナの独立と分断

22日、プーチン大統領が演説で「ウクライナはロシア革命後にロシアによって作られた。ウクライナという国はもともとなかった」「革命後にレーニンやスターリンの譲歩によってできた」と言っています。これは決して嘘ではなく、歴史的にはそういった部分があります。ただ、ウクライナというのは、戦後はソ連の中の国でありながらも国連に議席を持っていましたし、独自の外交も続けていました。特に1991年からは一つの独立国として、もう30年の歴史を持つことは忘れてはいけないと思います。

ソ連の崩壊を経て1991年にウクライナはおそらく歴史上初めて、独立国家になりました。そして、1994年に「ブダペストの覚書」を交わします。
これは当時、旧ソ連の中ではロシア、ウクライナ、カザフスタン、そしてベラルーシに置かれていた核兵器をすべてロシアに集め、核兵器がなくなるウクライナの安全保障をどう担保するのかということで交わされた覚書です。
ここで、ロシア、アメリカ、イギリスは、ウクライナの独立、領土保全、武力の不行使、核兵器の不使用を保証するという内容になっています。
だから、本当は今ロシアがウクライナに侵攻して、その領土の保全を犯すことは、「ブダペストの覚書」に反することなのです。

さて、2004年までに東ヨーロッパの10カ国、かつてワルシャワ条約機構だった国々がNATOに加盟します。
ウクライナはというと、2008年にNATOに入りたいという希望を表明しますが、もうこの時点では、国内で「NATOに入りたい」という欧米と接近するべきだという人たちと、「いやロシアとともに歴史を歩むべきだ」という親ロシア派とに、大きく分かれていきます。
2004年以降は何度大統領選挙をやっても、親欧米派と親ロシア派が票数ではほぼ拮抗して、その他の様々な要素で政権ができあがっていくという非常に不安定な時代を迎えていきます。
2004年の12月には「オレンジ革命」という民主革命で、欧米派の政権が誕生しますが、この政権も途中で倒れ、次の選挙でも、その次の選挙でもEUとの協定やNATOへの加盟をめぐって、親ロシア派と欧米派が対立するという極めて不安定な状況が続きます。

ウクライナの領土にロシアが侵攻したら「ブダベストの覚書」に反するのではないか、ということについて、プーチン大統領は「『オレンジ革命』によって、ウクライナはもうかつての政権ではない」「革命政権であって、全く別の政権ができあがっているので、覚書にある領土の保全や武力の不行使というのは、すでに適用されない」という考え方を明らかにしています。

◆ロシアによるウクライナ侵攻の始まり

2014年2月に親ロ派と欧米派が対立して「マイダン革命」というキエフの真ん中の広場で民衆が何日にもわたってデモをして、それに対して警察部隊が発砲するとそこにロシアも介入したのですが、親欧米派の政権が誕生しました。
この政権はNATOへの加盟を非常に強く意識した政権だったので、プーチン大統領はそれに対抗してクリミア半島に侵攻して併合していきます。
直接的には、この2014年の「クリミア併合」というのが、現在のロシアのウクライナに対する領土の侵攻につながっています。この年に今、最も緊迫しているルガンスク、ドネツクで親ロシア派勢力が武装蜂起をして、自治区を作っていったわけです。

この翌年、「ミンスク合意」が結ばれますが、この合意はどちらかというと、ロシアに有利な内容でした。東部地域に特別な自治を認めるということで、ロシアとしては早く「ミンスク合意」を実行したい訳です。しかし、ウクライナ側はなかなか実行したくないということで、大きな対立のもとになってきました。そしてこの間もずっとルガンスク、ドネツク地域では、親ロシア勢力と、ウクライナ軍や警察との間で銃撃戦などが続き、この8年間で1万4000人が死亡しているのです。ですから、ウクライナとロシアの戦争、内戦は始まるのかというと、実はルガンスクとドネツクで、もうかれこれ8年間続いてきているのです。ただ、日本でニュースになることはあまりありませんでした。

◆プーチン大統領 真の野望は…?

さて、この間ずっと歴史をお話してきましたが、プーチンは何を望んでいるのか、野望は何なのかという話です。
おそらく近いところでは、ウクライナ東部のロシア人の支配地域をロシアに併合して、自分たちの領土にするということがあり得ると思います。ルガンスク、ドネツクの人民共和国を承認し、そして今、まさしく軍を向かわせているこの2つの地域をロシアの地域として受け入れていこうという準備だと思います。

次にもっと、大きくキエフへ侵攻して、今の欧米寄りのゼレンスキー政権を倒して親ロシアの政権を樹立し、NATOへの加盟を断念させるということを、望んでいるのかどうか。
ここまでに至ると大規模な戦争になって、おそらく欧米の介入を招きます。それから経済制裁もあるでしょう。クリミア半島に侵攻した時のような、軽い経済制裁では済まなくなってくると思います。それをしてまでキエフに侵攻して、親ロシア政権を樹立してNATOの加盟を断念させようとしているのかどうか。

もう一つ、もっと大きな目標、野望が、プーチン大統領にはあるのではないかと思うのです。
プーチンのロシアでは、実はLGBTQの人たちはほとんど犯罪者として扱われてしまっています。つまりプーチン大統領は欧米の自由、民主主義、それから多様性といった価値観というのはまやかしだと考えています。
この30年、ロシアが自由や民主主義の国を目指した時期に、アメリカは全くロシアに手を差し伸べることはなかったではないか。アメリカの自由と民主主義とは一体何なんだというアメリカ的な価値観に対する不信感、そして恐怖感があると思います。
プーチン大統領は、そのアメリカ的な価値観を貶めて、ロシアの歴史的な意義、―前編の最初に言った、第二次世界大戦で2000万人を犠牲にして、現在のヨーロッパを作り上げたロシアの歴史的な意義―、そしてその役割を世界に思い知らせるということが野望の中にはあるのではないかと思います。

プーチン大統領が、2008年と2012年の大統領選挙に出たときのスローガンの一つが「メイク・ロシア・グレート・アゲイン」でした。どこかで聞いたことがあると思うんですが、これはあの「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」と全く相通じるものでプーチン大統領は「強いロシアを取り戻すんだ」ということを、2012年の選挙の時に既に非常に強く言っていました。

プーチン大統領は実は最初からこんなに反米反ヨーロッパではなかったのです。
2000年代はまだ何とかして、世界経済の中に、そして世界の安全保障の枠組みの中にロシアが入っていけるよう、G8の中でも交渉していたのですが、それが果たせない。アメリカもヨーロッパもロシアを一緒にしていくつもりはないというのが分かった時点で、プーチンは「メイク・ロシア・グレート・アゲイン」というスローガンに帰っていったわけです。そこから2012年、クリミアへの侵攻があり、ウクライナをロシアの一部だという言い方を自分の演説の中でも強くするようになっていきました。
プーチン大統領は、この20年の間にどんどん追い込まれ、なおかつ自分たちの価値観は、アメリカ、ヨーロッパとは別にあるんだということを強く国内にも宣伝をして、そのイデオロギーを創り上げてきています。それが現在のロシアの姿だと思います。


テレビ朝日 コメンテーター室 武隈喜一(元ANNモスクワ支局長)

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