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2022年3月3日 20:00

読めば流れがわかる 国連はロシアのウクライナ侵攻を止めることができるのか?

2022年3月3日 20:00

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 ウクライナへの軍事侵攻を続けるロシア。国連安全保障理事会常任理事国の強引な行動を、当の安保理は押しとどめることができない。

 国連では緊急特別総会が開かれ、2日には、ロシア軍のウクライナからの即時撤退を求める決議案が141カ国の賛成により採択された。だがこの決議に法的な拘束力はない。

 国連は、加盟国同士の争いに対してなぜ無力なのか。ANN特派員としてソ連崩壊直後のモスクワに駐在した武隈喜一が解説する。

■“単独で”戦いを続けるウクライナ

 ロシア軍が圧倒的な兵力でウクライナに侵攻し、ゼレンスキー大統領は「武器を提供してほしい」と必死になって世界に呼びかけています。NATOやアメリカは直接ロシアと戦うことを避けて、ウクライナに軍隊を投入しようとはしていません。ウクライナは絶望的に不利な状況で孤立した戦いを続けています。

 2月28日には安保理の要請では40年ぶりとなる国連緊急特別総会が開かれ、各国からロシアを非難する声が次々にあがりました。でも、なぜ国連は、この悲惨な戦争を止めることができないのでしょうか?それを知るために歴史を遡ってみましょう。

■ 国連は何のために生まれたのか

 国連(国際連合:United Nations)は第二次世界大戦が終結した直後の1945年10月24日に創設されました。この時の参加国は51カ国で、第二次世界大戦の敗戦国だったドイツや日本、イタリアはこの創立メンバーには入っていません。

国連の目的は大きくいって三つあります。
1.国際平和・安全を保つこと
2.国同士の友好関係を発展させること
3.経済的・社会的・文化的・人道的な国際問題の解決のため、そして人権・基本的自由を発展させるために協力しあうこと

 この三つを定めたのが国連の憲法ともいえる「国連憲章」です。国連憲章は1944年8月から10月にかけ、アメリカ、イギリス、ソ連、中国(当時は中華民国)の代表がワシントン郊外で話し合った原案が元になり、1945年6月26日に51カ国によって署名されました。

 原案が話し合われていた1944年8月から10月といえば、日本軍がグアム島で玉砕し、フィリピンのレイテ島沖で、支援のない絶望的な戦いを始めた時期です。そして1945年6月26日は、住民を巻き込んだ沖縄戦の勝敗が決した6月23日の直後です。つまり、日本は国連の創設にも、国連憲章の作成にも寄与することはできなかったのです。

■ 自国の都合で「拒否権」使う常任理事国

 国連のなかで安全保障について話し合う機関が、15カ国からなる国連安全保障理事会(安保理)です。その中でも特別の権限を持っているのが、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の安保理常任理事国です。この5カ国は第二次世界大戦の戦勝国です。重要問題を決める際には、この5カ国は「拒否権」を持っていて、常任理事国のうち1カ国でも「拒否権」を使って反対すると、重要事項は決定されません。

 もともと「拒否権」は第一次世界大戦後に生まれた国際連盟でもすべての理事国に与えられていたものですが、15の理事国がすべて拒否権をもち、なおかつ、創設を言い出したアメリカ自身が加盟しなかった国際連盟は、何も決めらない国際機関となってしまいました。これがナチスの台頭や日本の軍国主義を止められなかった一因だという反省があります。

 「国連憲章」を作る議論の中で、「拒否権」をどうするかについても激しい議論があったのですが、5カ国の代表は「拒否権」にこだわりました。拒否権が付与されなければ国連創設はありえない、という5カ国の強硬な主張によって、戦後の国連安保理常任理事国の地位が固まったのです。

 これまでも常任理事国は自国に利害のからむ問題ではたびたび「拒否権」を発動して、多くの提案が決まりませんでした。ちなみにこれまでにアメリカは82回、旧ソ連を含むロシアは119回、イギリスは29回、フランスは16回、中国は17回の「拒否権発動」をおこなっています。

 ことにソ連は1946年から3年間で「拒否権」を42回も行使し、当時のグロムイコ国連代表は「ミスター・ニエット(ミスター・ノー)」と呼ばれました。これはソ連の影響圏にある東欧諸国の国連加盟にアメリカが強く反対して国連内での東西陣営のバランスが崩れていたため、ソ連がみずからの国益を守るために頻繁に行使したものです。

 国連が安全保障のための武力行使とする「国連軍」の派遣にも、安保理15カ国のうち9カ国の賛同が必要ですが、常任理事国が1カ国でも「拒否権」を発動すると、派遣は成り立ちません。今回は常任理事国のロシアが軍事行動をとっている張本人ですから、「国連軍」は話にも上りません。
 
■“核で脅す”プーチン大統領の傲慢

 実は、この「安保理常任理事国」は核兵器の保有と大きなつながりがあります。核実験の歴史を見ると、1945年7月のアメリカによる世界初の核実験のあと、ソ連(1949年)、イギリス(1952年)、フランス(1960年)、中国(1964年)が核実験に成功し、核保有国となります。戦争で疲弊した国々は自分の国を立て直すことが精いっぱいで、とても核兵器の開発に乗り出す資金も科学的知見も持ち合わせていなかったのです。

 この5カ国が、他の国々の核兵器保有を禁止し、核兵器の削減に取り組むことを目指すための条約が1970年に発行した核拡散防止条約(NPT)です。この条約は1967年1月1日以前に核実験を行った5大国を「核兵器保有国」と認めるもので、他の国には核を開発、保有させないためのものです。つまり、結果として、戦争に勝った5カ国である常任理事国が、核兵器を独占することになったのです。それはこの5カ国の軍事的な優位を決定づけるものでした。

 本来ならばこの5カ国は「国際社会に責任のある大国」として核の削減と廃棄に向けて努力するはずだったのですが、核兵器を持つか持たないかというのは軍事上決定的な力の差であるために、冷戦の間は核兵器が減ることはなかったのです。またプーチン大統領が核兵器の使用をチラつかせて脅しをかけるのも、ロシアが「核保有国」であるがゆえの傲慢な行動です。

 今回、ロシアのウクライナ侵攻に対して国連安保理ではロシアに対する非難決議案が提出されましたが、ロシアの「拒否権」によって採択されませんでした。国連が目指した「国際平和・安全を保つこと」という最も重要な目的を、核を独占的に保有する常任理事国の「拒否権」という仕組みが台無しにしてしまっているのです。

■“40年ぶり”の緊急特別総会が目指したもの

 本来、世界の平和と安全を担うべき安保理が機能しない場合、「平和のための結集」という決議にもとづき、国連は全加盟国の参加を求めて「緊急特別総会」を開くことができます。今回開かれたのがこの緊急特別総会でした。これまで10回開かれた緊急特別総会は多くがパレスチナでの紛争をめぐるものでした。ソ連・ロシアに関するものとしては1956年のソ連軍によるハンガリー侵攻と1980年のアフガニスタン侵攻に次いで、今回のウクライナ侵攻が3回目です。安保理の要請による開催は、ソ連軍によるアフガニスタン侵攻以来40年ぶりのことです。

 この国連緊急特別総会は、理論的には武力行使を含む措置をとれることになっているのですが、「国連軍」の創設や「武力行使」の主体をめぐる議論と手続きを始めると、前に述べてきた安保理常任理事国の「拒否権」との間で堂々巡りになってしまうのです。

 ですから、現実的には緊急特別総会によって、多くの国々が一致して当該国(今回はロシア)を非難することを国際社会に見せつけることはできますが、実効性のある法的拘束力を持つ決定を下すことはできません。

 第二次世界大戦の戦勝国だった5カ国が、「拒否権」を持つ「安保理常任理事国」の席を占め、しかもこの5カ国が、本来なら責任をもって管理すべき核兵器を、時に恫喝として使うことができる「核保有国」であるという理不尽が、いまの国連の置かれた状況だと言えるのです。

 国連は、日本の自衛隊も参加したような「国連平和維持軍」を組織することもできます。平和維持活動は、カンボジアや東ティモールで停戦を平和につなげていく役割を果たしましたが、これも安保理の承認のもとに行われる停戦合意後の監視活動であるうえ、ロシアという安保理常任理事国が当事者である紛争の最中には、組織することもできません。

 しかしながらUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)やWFP(国連世界食糧計画)といった国連の機関は、今回のウクライナ危機でも迅速に行動し、多くのNPOと連携しながら、難民問題や食料の支援に必要不可欠な役割を果たしています。


テレビ朝日 コメンテーター室 武隈喜一(元ANNモスクワ支局長)

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