「戦争を支持した8割の国民は残る」 祖国を去ったロシア人にキルギスで聞いた本音[2022/12/30 10:00]

画像:キルギスの首都 ビシケク市内のカフェ
   テレワークしているロシア人も多い

いま、ロシア人が世界各地に散っている―
ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから7カ月後の9月21日。
プーチン大統領が「部分的動員」を発令すると、多くのロシア人が国を去ることを決めた。
米誌フォーブスによると、最初の2週間でおよそ70万人がロシアを離れたという。空港は出国を求めるロシア人で溢れ大混乱となった。陸路では渋滞が発生し、寒空のもと国境で5日間足止めされるような事態も生じた。

なかでも旧ソ連邦の構成国だったキルギスは、ロシア人の有力な脱出先となった。
当局によると侵攻後、76万人のロシア人がキルギスに入国し、そのうち30万人は今も留まっている。もともといたロシア系住民が34万人だというから、相当なロシア人が避難したことになる。
ビザが不要で、ロシア語が通じ、物価も比較的安いことが避難先として選ばれる大きな理由だが、郊外の安いアパートメントホテルでも1カ月600ドルほどの出費がかかるという。

ロシアからの避難者を支援するSNSには、およそ2万2000人が登録している。
チャットでは、長期滞在のための書類から週末のレジャー活動のおすすめまで、あらゆる質問が飛び交う。
ANN取材団は、このSNSを通じて3人のロシア人に連絡をとった。
彼らはどのような思いで国を去る決断をしたのだろうか?
どのような生活を送り、家族や友人との関係はどうなっているのだろうか?
そして、自分の国の行方についてどう考えているのだろうか?


■監視カメラに恐怖する日々「招集されれば逃れられない」

プーチン大統領による動員の発表後、多くのロシア人男性が召集令状に怯えた。
特に過去に反政府デモに参加し拘束歴があるウラジーミルさんは、外を歩くことすら恐怖だったという。家賃収入で暮らしていたこともあり、避難を決めた。ビザの申請の必要もなく、ロシア語で生活を送ることができという点でキルギスを避難先に選んだ。

【ウラジーミル(仮) 37歳】無職(不動産収入) モスクワから避難

「きっかけは2018年の年金改革でした」
ウラジーミルさんは、政治デモに参加した経験を話しはじめた。
2018年の年金改革とは、プーチン政権が発表した年金の受給開始年齢の大幅な引き上げのことで、ロシア全土で抗議デモが勃発し、プーチン政権の支持率は一時大幅に落ち込んだ。

ウラジーミルさんはその後も、政治に関心を持ち続け、デモなどに参加し続けた。
2021年にはロシア全土に及んだ野党指導者ナワリヌイ氏による抗議デモにも参加した。
ウラジーミルさんはこの時、拘束され、混雑した護送車で警察署に連行された。
当時の様子をこう振り返る。

「裁判所はわずか数分で決定を下しました。彼らは、あらかじめ決められていれた罰金を発表しただけです」
ウラジーミルさんが弁明するチャンスは一切なかった。
「当局の圧力は効果的でした。
罰金を支払った後、私は再び捕まることが恐ろしくて二度とデモに参加しませんでした」
ロシアの法律では、デモやピケなどで、6カ月以内に3回拘束されると、最大で5年の懲役となる恐れがある。

懲役を恐れたウラジーミルさんはデモへの参加を控え、ひっそりと暮らしていた。
ところが、今年9月21日にプーチン大統領が「一部動員」を発表するとウラジーミルさんはパニックに陥った。
「こんなことが起こるなどとは、思ってもいませんでした」
とくに恐れたのはモスクワの市内中に設置されている監視カメラだという。

独立系メディアなどの報道によれば、当局は地下鉄など市内に設置している顔認証システムで動員を回避する男性を特定し、拘束している。顔認証システムは高度な技術が用いられていて、マスクをしていても人物を特定できる。
「一度、拘束歴がある私の顔はシステムに登録されているでしょう。
動員の招集がかかれば、監視カメラから逃れることはできず、拘束されるのは時間の問題だと思いました」
ウラジーミルさんは、そう思った瞬間、通りを歩くことさえ怖くなった。

およそ2週間後の10月上旬、陸路でキルギスに向かった。
「所持金は少しだけでした。今はモスクワにある不動産収入でどうにか暮らしています。 部屋も食事も十分ですが、IT関連の勉強をしています。その技術を生かして新しい職に就きたいと思っています」
ウラジーミルさんは、ロシアを去ったことを後悔していないという。
「今のロシアは、私にとって耐え難いものです。
平和的な集会やデモが罰せられるということは、憲法が機能していない証拠です。
キルギスではリラックスできています」
ただ将来的にはロシアに戻りたいという。
「もし、すべてが終わったら私はロシアに戻り、ロシアの未来に参加したいと思います。
誰も国を再建しようとしなければ、廃墟のままですから。
泥棒や強盗に国を渡したくはありません」


■断絶するロシア―両親とも亀裂「もはや私の国ではない」

ウクライナへの侵攻を支持するか反対するか―。
意見の食い違いが原因で家族さえ断絶するケースは少なくない。
同じくキルギスに避難している41歳のイリヤさんは、今回の侵攻を支持する両親や友人たちと関係が絶たれてしまった。今後も帰国するつもりはなく、ロシアに残した妻と子供3人も呼び寄せ、ドイツへの移住を考えているという。

【イリヤ(仮)41歳】会社員 チェリャビンスクから避難

ロシアのオンラインマーケティング会社に勤めるイリヤさんは、キルギスに避難後もテレワークで忙しく働いている。
インタビューは、通話アプリで行うことになった。
画面の向こう側に現れたイリヤさんは、襟がほつれた白い T シャツを着ている。
慣れない環境に疲れているようにもみえるが、「おおむね順調です」といい、自らの想いを語り始めた。
イリヤさんが最初にロシアを離れようと思ったのは、2014年。
ロシアが一方的にウクライナ南部のクリミアを併合した時だ。

「ある事件がありました」
イリヤさんは、8年前の出来事をまるで昨日のことのように鮮明に語りだした。
「クリミアについて、バーニャ(※ロシアのサウナ)で友人と話し合ったのです。
私は併合などということには反対だと言いました。するとその友人は『そんなこと言うなよ、さもないと殴られるよ』と言ったのです」
その語も会話は堂々巡りだった。
そしてイリヤさんは気づいた。彼とはいくら話をしても分かり合えることは無く、議論は平行線のままでしかない。イリヤさんは、ロシア人でありながら、ロシア社会との間に越えがたい「壁」を感じたという。

その頃からイリヤさんは、祖父の故郷であるドイツへの移住に向けた準備を始めた。
8年が過ぎた2022年、イリヤさんはドイツ語をどうにか身に付け、3人目の末っ子も3歳になったこともあり、本格的に移住の手続きを始めようとしていた。
その矢先の2月24日、プーチン大統領がウクライナへの特別軍事作戦を開始した。

イリヤさんはとうとう両親との会話も途絶えたという。
「両親はクリミアの併合を支持していましたが、それでも親子の間で話は続けていました。しかし2月24日以降、一切連絡が取れなくなったのです」
実際にロシア国内では、ウクライナへの侵攻をめぐる意見の不一致が原因で、離婚したケースなども報告されていて、ある世論調査では「親しい友人や親戚とのコミュニケーションをやめた」と答えた人は26%にも上る。

9月に一部動員令が発令されると、イリヤさんは身の安全のため10月1日に1人でキルギスに避難した。
今後、ロシアに残した妻と3人の子供とともに一緒にドイツに移住したいと考えているといい、ロシアに戻る選択肢はないようだ。
「もし今回の戦争が終り、プーチンがいなくなったとしても、国民は残ります。
この戦争を支持した80%の人々はどこにも行かないのです。
第二のプーチンが登場し、10年後にはすべてが今と同じようになるしかないのです。
2月24日以降、ロシアはもはや私の国ではないことに気づいたのです」


■核戦争の不安から逃れて…「どうにか平常心を保てるように」

女性が避難するケースも少なくない。
ソフィアさんは連日、テレビが核戦争の脅威を煽るなかで神経をすり減らしていた。
動員の発表後、いずれは国境が封鎖されるだろうと考え、9月末に避難した。行き先を選ぶ余裕はなく、どうにか手にしたチケットでキルギスにたどり着いた。
避難して3カ月近くが経つが、今もホステルに身を寄せている。避難生活は決して楽ではないが、帰国するつもりはないという。

【ソフィア(仮)37歳】言語聴覚士 サンクトペテルブルクから避難

私たちは、首都ビシケクの中心部にある広々としたカフェで待ち合わせた。
ソフィアさんは、厚手の青いセーターに身を包み、長い髪はポニーテールにまとめている。
「侵攻のニュースは、私を震え上がらせました。
それ以来、どうやればニュースを見ずにいられるのだろうか考え続けました。
というのもテレビでは終日、核攻撃についての議論が繰り返されているのです。そんなことが現実になるのではないかと考えざるを得ませんでした。そして、いつ国境が閉鎖されてしまうか気が気でなりませんでした」

不安な日々をどうにかやり過ごしていたソフィアだったが9月21日、プーチン大統領の演説を聞き、脱出を考えはじめた。このままでは国境が閉じられてしまうと思ったのだ。
9月末、仕事を終えるとそのまま空港に行き、チケットを購入した。
独り身でもあり、とにかくロシアを離れることができればよかった。
ビザが不要で、その場で購入できたのがキルギス行きのチケットだった。
翌日、キルギスに飛んだ。

ロシアを去ったことで、落ち着きは取り戻しただろうか?
ソフィアさんはうつむき、考え込むように目をそらす。
「どうにか平常心を保てています」
ロシアにいると不安で押しつぶされそうだったが、いまは平常心を保てるようになった。
異国への避難は決して楽な選択ではない。

ソフィアさんは、避難してすぐビシケクの教育センターでの仕事を見つけた。
言語障害の子供たちの教育にたずさわったが、不規則で過密なスケジュールが続き、1カ月ほどでやめた。
今は、オンラインでロシア人の子どもたちにスピーチレッスンをして、どうにか滞在費をねん出し、低価格のホステルに滞在し続けている。
避難生活は、苦労も多いがロシアに戻るつもりはないようだ。
「私は故郷のサンクトペテルブルクが大好きですが、今は帰るつもりはありません。
うーん…野党の『ヤブロコ』が政権を取ったら、帰るかもしれませんね」
「ヤブロコ」はロシアの野党で、ウクライナ侵攻に反対している。しかし現状で、彼らが政権を奪うことは非現実的だ。
ソフィアさんもそれをわかったうえで言っている。

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自発的または強制的に祖国から離散した状態を「ディアスポラ」という。
世界各地に根付くユダヤ人社会に使われてきたが、現代ではユダヤ人にとどまらず離散状態となったある民族集団を指す。
ウクライナ侵攻をきっかけに「ロシア人ディアスポラ」は今も急速に拡大を続けている。

ANN取材団

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