「2月24日は記念日ではない」 侵攻から1年のキーウで続く暮らし 物価高でも乾杯[2023/03/04 11:00]

「ゥウ〜〜」「ゥゥウウ〜〜」
突然、街に響く不協和音。
注意を引くために敢えてのこの音色なのだが、何度聞いても嫌な気持ちになる。
昨夏ロンドンに赴任してから、ウクライナ取材は4回目となるが、この空襲警報に慣れることはない。

しかし、警報の下、街行く人たちは、コートのポケットからスマホを取り出して一瞥するだけで歩みを止めない。
「キーウ地方にドローン2機侵入」といった具合に、警報の理由がドローン攻撃なのか、ミサイル攻撃なのか、はたまた領空侵犯か、そして、自分がいる地域への脅威の有無などが、軍や行政からSNSを通じて即座に提供されるのだ。

それをさらりと確認し、脅威がなければ警報をやり過ごし、脅威があれば最寄りのシェルターや地下鉄駅へと急ぎ駆け込む。
多ければ日に数回鳴る空襲警報は、ウクライナの街の日常となってしまった。
戦時下でも続く暮らし。2月、ウクライナで見た人々の営みを書きとめてみた。

(ANNロンドン支局長 醍醐穣)


■物資はあれどもトマトの価格は3倍に

満員の地下鉄でスマホをいじる会社員、ウィンドーショッピングを楽しむ若い女性。新鮮な食品や魚介類が並ぶスーパーでは主婦が夕食の献立に頭を悩ませ、ウクライナ料理以外にも中華、イタリアンなどなどレストランではグラスが重なる音が聞こえる。

キーウの日常の一コマを切り取ると、どこか別のヨーロッパの1都市かと見紛うほどだ。
自国の領土内で、現在進行形で戦闘が行われている国の首都であることを忘れてしまう瞬間がある。
激しい戦闘が続く東部地域周辺では、物流も滞り、生鮮食料品を中心に物資が不足している状態だが、キーウや西部に限って言えば、食品や生活物資に関して手に入らないものは、ほぼ無いと言っていい。
イギリスのある大衆紙は「ドンバスのスーパーでも野菜があるのにイギリスのスーパーにはない」と野菜不足のイギリスを揶揄する記事を写真入りで紹介するほどだ。

しかし、モノはあるとはいえ、物価は高騰し市民の暮らしを圧迫している。
キーウ市内のマーケットでは、トマトの値段が戦争前の3倍以上になっていた。燃料費や光熱費の値上がりが影響しているという。去年のウクライナの消費者物価指数の伸びは26.6%。今年は30%を超えるとの予測が出ていて、戦争が終わらない限りこの状況は続くことになる。

■計画停電で暗い街 「勝利の日に乾杯」するため…

夜の帳が降りたキーウの街は暗い。計画停電のためだ。計画停電はエリアごとに行われ、店頭に置かれた発電機が至るところで唸りを上げる。
若い女性店員が不慣れな手つきでスターターの紐を引くが、なかなかエンジンが掛からず途方に暮れる場面もみかけた。

侵攻以降、ウクライナ各地に夜間外出禁止令が出されている。
地域によって時間帯は若干違うが、キーウでは午後11時から午前5時まで外出禁止だ。そのため店のスタッフの帰宅時間を考えると、ほとんどの店は午後9時ごろには閉店してしまう。

訪れたキーウ市内のバーでは、閉店ギリギリまで友人との語らいを楽しむ若者や、休暇で戦地から戻り久々の日常を満喫する兵士の姿があった。
店のカウンター奥の目立つところにある棚には、とっておきのボトルが並ぶ。“勝利の日に”とのメッセージが張られていて、「戦争に勝利した際に全員で乾杯するの」と女性店員がシェイカーを振りながら教えてくれた。

■「将来 狙撃兵になる」少年の的はプーチン

2月上旬、キーウ市内の公園では、冬まつりが行われていた。
特設のスケートリンクに大勢の家族連れが詰めかける中、一角に日本の縁日でもおなじみの射的の屋台を見つけた。
子供たちが真剣な表情で狙う的の中央には、ロシアのプーチン大統領の顔が掲げられていた。小学校低学年くらいの男の子が命中させて大喜びしながら、「将来は狙撃兵になるんだ」と興奮気味に話してくれた。

街行く人に話を聞くと、家族や友人の誰かしらが戦場に赴いていた。
そうした中、敵国の指導者であるプーチン大統領は、もっとも憎むべき存在であることは理解できるが、戦争がなければ、この子の夢は別のものであっただろうに、どうしても複雑な気持ちになる。

■すでに戦後を見据え…“破壊の橋”を保存

川面に大きく垂れ下がったアスファルトの路面。それを横目に未舗装の迂回路を、砂煙を上げながら車が忙しなく行き交う。去年2月の侵攻直後、ロシアは電撃戦で一気に首都キーウを攻略しようとした。ウクライナ軍は、その進軍を阻止するためにキーウへつながるイルピン川にかかる橋を破壊したのだ。

今、この橋の再建工事が続けられていて、破壊された橋に並ぶように新たな橋の土台が築かれている。そして破壊された橋は、ロシアの侵攻を後世に伝えるため、取り除かずに保存する予定だという。
現場の工事を指揮する技師は「この橋はブチャやイルピンの住人たちが避難する『命の道』と呼ばれました。破壊後は車を捨てて苦労しながら歩いて渡らざるをえませんでしたが、そうしなければキーウにも大きな被害が出たはずです。壊れた橋が保存されれば、人々はここで何が起こったのかを思い出すことができるのです」と語ってくれた。
「戦争が終われば多くの観光客も訪れてくれるはず」と、すでに戦後を見据えながら早ければ今夏の完成を目指したいと意気込む。

■増え続ける写真 終わりの見えない戦い

キーウ中心部の高台に位置する聖ミハイル黄金ドーム修道院の壁には、2014年のクリミア侵攻以降、戦闘で亡くなった兵士らの写真が掲げられている。
ウクライナ東部で激しい戦闘が続く中、その数は日々増え続けている。2月に入り1週間空けてこの場所を2度訪れたが、そのわずかな間にも写真は増えていた。
子犬を抱えてほほ笑む若い兵士は、2月15日に亡くなったばかりだった。

ウクライナの墓地を訪れるとほとんどの墓石に、故人の肖像が彫られていたり写真が掲げられていたりすることに気づく。そして簡素なテーブルが備えつけられていることが多く、家族が集まって故人を偲ぶ風習が垣間見える。

■ブチャの墓地でもらったチョコレート

市民が虐殺されたブチャにある墓地は、そういった墓石が並ぶエリアを通り過ぎて奥まで進むと、番号が記されただけのプレートが掛けられた簡素な十字架の群れが突然現れる。
ロシア兵に虐殺され市内の教会の庭に集団埋葬されたあと、掘り起こされた身元が分からない人たちの墓だ。
雪原に林立する十字架に雪が降りつもる無音の世界。
この十字架の周りに故人の家族が集うことはほぼないだろう。

押し潰されそうな気持を抑えて佇んでいると、1人の高齢女性が握手を求めてきた。
私はウクライナ語もロシア語も不勉強で、片言で「日本のテレビ局です」と説明するのが精一杯だった。それでも女性は私の目を見つめながら熱心に語りかけてくれ、握手した掌に1粒のチョコレートを握らせてくれた。
私は勝手に「この悲劇を伝えてくれ」と女性から託されたと思って、このチョコレートを今も食べられずにいる。

今回、“侵攻1年”ということで、私も含め多くのメディアがウクライナで取材を行ったが、我々に同行してくれたウクライナ人の通訳兼コーディネーター、D君の「(侵攻1年の)2月24日は別に記念日ではないよ。戦争が続いているただの1日。」という言葉に、はっとさせられた。いつ終わるとも知れないこの戦争、ウクライナの市民にとって、1年は節目でもなんでもないのだ。
終わりの見えないこの戦争を継続的にしっかりと伝えていかなければと改めて思った。

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