MIYAVIがシリア難民のもとへ「行く度に無力」それでも足を運ぶ理由 インタビュー[2023/06/25 17:15]

世界の難民の数は、過去最多の1億1000万人となり、増加の一途をたどっています。国連難民高等弁務官事務所=UNHCRの親善大使を務める「サムライギタリスト」MIYAVIさんが、シリア難民の避難所があるレバノンを緊急訪問。避難所から戻ったばかりのMIYAVIさんに、話を聞きました。

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■「変わってない…むしろ悪くなっている」避難所の現状

Q:レバノンの避難所を訪れて、様子はいかがでしたか―

「現状、何も良くなっていないというのが、自分の中ですごく大きかったです。8年前に初めて、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のミッションとして行かせてもらったんですけど、そこから色んな状況が変わっていく中で、今回また訪れることになって、少しは良くなってるかなと思っていたんですけど、全然変わっていない。むしろ悪くなっているというのが第一印象でした」

Q:特にどんなところが「大変になっている」という風に感じましたか―

「あの頃と比べてシリアの状況も変わっていて、アサド政権がほぼ掌握しているなかで難民の人たちに『帰ってきていいよ』と言ってはいるものの、実際には帰れる状態ではなかったりもする。

そして、レバノン自体も、日本のメディアでも流れていたと思うんですけど、ベイルートで大きな爆破があったり、去年もウクライナ侵攻で、小麦がなくなって、レバノン中からパンがなくなったり。今年のはじめも2月のトルコとシリアの地震、あとは経済破綻ですね。いま、信じられないくらい貨幣価値も変わっていて、レバノンにいる人たちも、食べ物を買えなかったり、薬を買えなかったりする。

政治も不安定で、実際、大統領が不在の中、『経済が悪くなったり、食べ物が買えなかったりというのは、難民のせいだ』みたいな感じの風潮もメディアの発信で大きくなっていて。そのしわ寄せっていうのが、彼らにもすごく影響している状況ですね」

■「行く度に無力感」それでも足を運ぶ理由

「これまでバングラデッシュ、タイ、ケニア、コロンビア、去年もウクライナ侵攻を受けてセルビアとモルドバへ行ったんですけど。やっぱりレバノンというのは初めて訪問させてもらった国で、今回行ったキャンプも当時初めて行ったキャンプ。

当時はすごくビビりながらというか、ちょうどシリア危機が起こった直後だったので。セキュリティガードもたくさんあったし、防弾の車で移動したりとか、すごくピリピリしたなかで訪問したのを強く覚えています。映像でも見てもらったサッカーしてた所とか、山の向こうはすぐシリアで、紛争が起こっているような状況。

自分にとっても今回、彼らともう一度会う、そして彼らの今現在の生活を見るということが、すごくすごく、大事だったというか。実際、個人的にもコロナで親善大使としての活動ができなかったので、もどかしさを感じていました。今回もそうですけど、行く度に無力感を感じるというか、自分が行くことで彼らの生活がいますぐ良くなるわけではないし、戦争を止められるわけでもない。

だけど、それでもやっぱり実際に行って、直接見て、感じたことを、出来るだけたくさんの人に伝えたい。どうやって、グローバルコミュニティ、国際社会がもっとコミットできるか、日本も含めてサポートしていけるかを訴えていくことが自分にできる役割なのかなと思っています」

■電気がくるのは「一日2、3時間」

Q:いま、最も多いのがシリア難民ということですけれども、MIYAVIさんから『レバノンも大変だ』というお話もありました。そのレバノンが受け入れてるわけですから、より大変なのでしょうね―

「難民キャンプに暮らしている人たちと、あとは実際、レバノンの街の中に住んでる難民の方も半分ぐらいいて。「MADE51」という、難民の職業支援があるんですが、難民の方々がカバンとか、色んなものを作って、それを売って支援のサポートにするプロジェクトです。その工場に行った時、工場といっても小さなビルの一角なんですけど、通りを歩いていたら、たまたま子どもがベランダから見ていたので、話しかけたら彼らも難民で。

彼らは学校に行けてはいるんですが、レバノンの子どもたちと一緒の学校に行っているなかで、やはり風当たりも強かったりする。でも学校に行けている子はラッキーな方で、ほとんどの子どもたちは学校に行けない状況。今回、現地のNGO団体がやっている学校にもいくつか行くことができました。小さな卒業式に参加させてもらって、一緒に歌い、紙でつくった卒業帽を投げたりしました。

7年前行った時に比べたら、地元の人たちや民間からのサポートも増えていると感じましたが、実際のところ、大人が働けないから子どもたちが働かなくちゃいけない。月収も80ドルとか、ひとり頭20ドルとかそんなレベルで。難民キャンプに住むのにも、やっぱり17ドル、20ドル近く払って、電気も15ドル払って。

しかも、電気って、難民だけじゃなくてレバノンに住んでいる人やUNHCRの職員とかも、国から流れてくる電気が一日2時間とか3時間しかない。それ以外は自分たちで発電機を買って、ジェネレートしないといけない状況。そのなかで子どもたちも、家計を助けるために働かないといけないから、学校に行けない、というような状況をたくさん目の当たりにしました」

■再開を望んだ少年は、避難所を離れていた

Q:お話を伺っていると、子どもたちも様々な状況に置かれているなかで、VTRの中でもひと際、印象的だったウサマ君のような人たちが増えたら、本当に希望が持てるのにな、というふうに感じました―

「本当にそうですね。難民が『難しい民』と書くように、ある種、重荷のような暗いイメージを持ってしまいがちですけど、彼らこそ困難をくぐり抜けてきた人たちだし、子どもたちも含めて、彼らのその人間味というか、子どもたちのあの笑顔とかを見ていると、こっちもやっぱりパワーをもらうし、その明るい部分にフォーカスするのが、自分の親善大使としての役割だと感じています。

ウサマ君のように、色んな難民キャンプへ行くなかで、ちょっと強いボンドというか、コネクトができる子たちがいるんですけど、彼とも8年前に初めて会って、次の年にまた訪ねた時に、彼、自力で英語を勉強していたんですよね。今回も会えるかなと思ってUNHCR職員にも聞いてもらった時に『もうキャンプにはいない』と聞いて、正直、残念だったんですが。

でも、よくよく考えてみると、これってむしろ喜ばしいことだよね、って。『第三国定住プログラム』で、違う国に移住することができるのは、世界中の難民の1%しかいません。彼はいま、スウェーデンで看護師になる勉強をしているんですけど、第三国定住は、難民にとって未来が開ける数少ない選択肢のひとつ。

今回、レバノンに行ったのは、自分の中で難民支援という活動に対しての向き合い方を再確認するっていう部分もありました。彼と電話で話した時、『ああ、僕はこのためにレバノンへ戻ってきたんだな』と感じました。

あの場で、僕は彼と電話で色んな話をして、その電話をそのキャンプに住む子どもたちと繋ぐことができました。彼らが話をしている時、泣きそうだった。キャンプにいる子どもたちにとっては、やっぱりウサマ君が希望だし、興味や、正直羨ましさもあったと思う。

ウサマ君にとっても、キャンプの様子や友達のことを気にかけて、色々と聞いていました。ウサマ君のような子どもたちが移住した先で活躍したりして、この第三国定住プログラムを通じての結果として、いい例を作っていけば、もっともっとたくさんの子どもたちが、同じように自分の夢を追いかけられる状況を作っていける。その瞬間に立ち会えたのは、自分にとっても意義のある瞬間でした。

彼がそうやって新しい土地で英語も喋れなかったのに、まあ『まだ彼女できてない』って言ってましたけど(笑)。頑張って一歩一歩あの自分の道を切り開いていこうとする姿を見れて、すごく嬉しかったですし、何より、それを他の子どもたちに見せてあげられたのは、今回の旅の中でもひとつの大きな成果だったなぁと思ってます」

Q:きっと、ウサマ君は、皆にとってのヒーローなんだな、ということを感じながらVTRを拝見していましたけれども―

「なんだかんだ髪型も結構イケてるんですよね。いつもね」

Q:次は『彼女ができた』という報告を聞きたいなぁと思いますけれどもね―

「いやあの、モテてると思いますよ」

■「手を差し伸べるだけじゃない」MIYAVIが考える難民との共存

Q:こうしてMIYAVIさんも、日本に向けて現状を伝えて下さっていますし、例えば、日本では『世界難民の日』で、日本中をブルーライトでライトアップをするという取り組みを行いながら難民について考えるという一日ではあるんですけれども。やっぱり日本で考えてみると、難民問題は少し遠い国のことで、まだまだ知られていない気がするんですよね。これってどのようにしていけばいいのか、どう受け止めていけばいいのでしょう―

「僕も活動していくなかで、例えばライブのステージで言ったりとか、色んなところでスピーチさせてもらったりしますが、どうしたらいいんでしょう?自分たちに何ができるでしょう?と聞かれることが多いです。

もちろん、募金はできます。他に何ができるかとなると、やはりアンテナを立てて継続的に動くしかない。この日本という国が難民問題に対して遠い存在であるということ、これは決して悪いことではないというか、日本が平和だからそういう状態なだけであって、むしろ世界がそうなればいい。こういった難民問題がない世界になればいいと。

ただ、この日本でいま、僕たちが享受している安全っていうのは、世界では決して当たり前のことじゃない。こういった問題は日夜当たり前に起きている。これはもう難民問題も飢餓もそう、環境問題、性差別などの人権問題も含めて、世界で色んな問題が起こっているということは、僕たちもっともっと知るべきだし、コミットしていくべきだと思います。

入管法の問題も、可決されてしまいましたが、僕たち自身がこの世界で起こっていることに対して、どれだけ敏感に情報キャッチできて自分たちなりにアクトできるか、行動できるかで現状は変えられると強く感じています」

「難民問題って、こう重いし、ヘビーな話題なので、実際、人って、本当に楽しい時間、例えばパーティーしてたりとか、お祝い事してる時に、暗い内容の話を聞きたくないじゃないですか。普通にライブに行って、わざわざ暗い現実的なことを聞きたくないですよね。

それは当然で、みんな日々、頑張ってるなかでそれを忘れたり、また活力をもらいに、ライブに来てくれてるわけで。そんな暗い話なんて聞きたくない。でも、やっぱりこういった問題が世界で起きていることは頭の片隅にでもずっと置いておきたいし、そう在りたい。

あとは、難民と呼ばれている人たちが、決して、ただ救いの手を求めているだけではないということ。彼らこそ、本当にもう何日も着の身着のまま、自分の国から逃れてきた尋常じゃないバイタリティとパワーで、いまを生きている人たち。僕も本当に毎回行く度にパワーをもらいますし。

これから先、難民問題を考える時に、僕たちが、こう、弱い人とか困っている人に、手を差し伸べるっていうだけじゃなくて、逆に、彼らとどう共存していく、共生していけるか。彼らのスキルとかバイタリティも含め、お互いの可能性を活かしてどうやって一緒に、共にいい社会を作るために暮らしていけるか。そうあるべきだと強く感じています。

昨年、モルドバへ行かせてもらって、モルドバは、ヨーロッパでも一番豊かではない国でもあるんですけど。ウクライナから難民の人たちがモルドバに来て、地元の人たちのサポートと共にすごいおしゃれなレストランを作ってたりとか。モルドバにはない技術とか知識を、難民として来た人たちが伝えて、共に作り上げたすごくいいロールモデル。

今回拝見させてもらった『MADE51』っていう職業支援のプロジェクトもそうですけど、難民の人たちとレバノンの職人がコラボして作品をつくっていたり。日本においても、ユニクロさんとか、色んなところで、難民を雇用したりとかしてるんですけど。そういった取り組みというか、難民の皆さんと一緒にコラボレートしていけるようなきっかけ作りをしていければ、もっともっと難民支援の敷井が低くなっていくのかなと感じています」

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また、MIYAVIさんの目を通して私たちに伝えてもらえる世界、難民の人たちの暮らしなども見せていただけたらと思いました。MIYAVIさん、ありがとうございました―

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