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2026年9月11日 08:00

【9.11から25年】24年間“封印”された幻の映像…崩壊タワー真下から記録された一部始終と“封印”のワケ

【9.11から25年】24年間“封印”された幻の映像…崩壊タワー真下から記録された一部始終と“封印”のワケ
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轟音と共に巨大な粉塵の塊が建物と建物の間から迫ってくる。

人々が叫びながら逆方向に逃げている。

まさかタワーが崩れ落ちるとは思っていなかったのだろう。

「Oh my God...」

その言葉と共に、撮影者が粉塵の渦にのみ込まれた。

真っ暗になった画面の中で、悲鳴が何度も響く。

画面が一度途切れ、再び少し明るくなった。

そこに広がっていたのは、一変した世界。

人も建物も、何もかもが灰色一色になっていた。

“封印”された崩壊タワー真下の映像

25年前の9月11日、ハイジャックされた2機の旅客機が、立て続けにワールドトレードセンターに突入した。「ニューヨークの顔」だった110階建てのツインタワーは崩壊し、多くの命が奪われた。

そのタワーの真下で撮影され、一部始終を記録したビデオテープが存在する。突入から崩壊まで、最小限の中断だけで撮影された約1時間の映像。実はこのビデオテープ、9.11の1週間後にFBIに提供されたのち、24年間公表されることがなく、去年初めて存在が公になった。

今回テレビ朝日はこの映像の撮影者から放送の許可をいただくことができた。あの日、タワーの真下で何が起きていたのか。そしてなぜ映像は、24年間“封印”されたのか。さらになぜ去年、映像は公開されたのか。

(ニューヨーク支局 大野公二)

「見てはダメだ!見てはダメだ!」

ツインタワー北棟から立ちのぼる黒煙。奥にはオレンジ色の炎も見える。

映像は1機目の突入直後からスタートする。サイレンを鳴らして消防車が集まってくる。人々は不安そうにタワー上部を見上げているが、事故だと思っているのか、そこまでの切迫感はない。

しばらくして、撮影者が異変に気がついた。

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突然画面が揺れる。

「あれって、人が落ちているんじゃないよね…」

周りから次々と悲鳴が上がる。

「見てはダメだ!見てはダメだ!」

あまりの状況に、タワーの方を見るなと叫ぶ声も聞こえる。

2機目がツインタワーの南棟に激突する。

「Oh my God!!」

撮影者が涙声になっている。

「タワーに大きな穴が開いている…」

南棟からも大量の黒煙が立ちのぼる。

カメラは偶然、タワーから逃げてきた人を捉える。

「タワーの中にいたのか」

撮影者が問いかける。

タワーから逃げてきた男性
タワーから逃げてきた男性
「本当にひどい状況だ。71階でエレベーターを降りた時にタワー全体が揺れたんだ」

1機目が突入した北棟から脱出してきたという。

「最初の爆発音は自分がいたタワーだ。ハイジャックされた2機の飛行機だったのだろ?」

脱出した男性は、まだ発生から40分強しか経っていないこの時点で、突入した2機がハイジャックされたものであることを把握していた。

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迎えたタワー崩壊の瞬間 その時…

そして現場は、ツインタワー南棟が崩壊する午前9時42分を迎える。

轟音とともに、あっという間に粉塵の塊にのみ込まれていく人々。

誰もが全身灰色になり、皮膚と服の区別がつかない。ほとんどの人が咳き込み、呼吸するのも困難なことがわかる。

そこかしこで、生き残ったことを神に感謝する言葉が聞こえる。

撮影者も自分の車の中に避難し、現場を離れようとする。

なかなかかからないエンジン。ようやくエンジンがかかると、車内にカーラジオのニュースが流れてきた。

「突撃されたタワーの一つは崩壊した模様で、さらにどれだけ崩壊するかはまだ分かりません」
「何が標的で何が標的ではないのかを連邦政府が調べています」

灰色一色で彷徨い歩く多くの人の間を縫うように車はゆっくりと進み、撮影者は現場から離脱した。

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撮影者が語る あの日の真実

崩壊したタワーの真下で撮影された約1時間のこの映像は、なぜ24年間も“封印”されたのか。9月3日、ニューヨーク市内にある撮影者の自宅を訪れた。

映像を撮影したエドワード・スフェラッザ氏と筆者
映像を撮影したエドワード・スフェラッザ氏と筆者

エドワード・スフェラッザさん(54歳)。空調設備業者の技術者だった彼は、あの日、仕事で現場を訪れていた。

「建物内で『ビルから出ないで』と放送があったのです」

何が起きているのか確認しようと外に出ると、大量の紙が落ちた路上で、皆が燃えるタワーを見上げていた。

「タワーの側面に大きな穴があいていました。最初は炎と瓦礫しか見えませんでしたが、少し近づいて見てみると、人々がタワーから飛び降りていました。炎の熱に耐え難かったのだと思います」

そして、空調機器の状態を記録するために持っていたビデオカメラをまわし始めた。

「何が起きているのか分かりませんでした。その時点では単なる事故だと思っていました」

しかし2機目がタワーに突入する。

「ジェット機の音か、ミサイルのような音が聞こえました。それで見上げると旅客機がタワーに突っ込みました。さらに人の一部が地面に落ちてくる音が聞こえてきました。『見てはダメだ、見てはダメだ』と自分に言い聞かせながら、その場から走り出しました」

そしてタワーが崩壊する。

「突然タワーの角が歪み始めて、もの凄い音とともに崩れていきました。そして粉塵の雲が押し寄せてきました。塵の中で溺れるような感覚で、これで死ぬと思いました」

映像を見ると、粉塵にのみ込まれたところで一度画面が途切れていた。

「私がカメラの電源を切りました。ここで死ぬなら映像で私が苦しんでいる姿を家族に見せたくなかったからです」

彼は9.11の前年に結婚したばかりだった。

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明らかにした24年間“封印”のワケ

一命を取り留めた彼は、その後PTSD(心的外傷後ストレス症)に20年以上苦しむことになる。

「私はその場にいて、人の命が失われるのを目の当たりにしました。それは本当に最悪の体験でした。そして長い間、とても辛い思いをしてきました。家族にも地獄のような目に合わせてしまいました」

今でも焦げ臭い匂いを嗅ぐと、あの日の記憶が蘇るという。

「自分が撮影した映像は見たくなかったし、実際に一度も見ませんでした。私はずっとそのことを忘れようとしていたし、立ち直るのに23年間かかりました」

そしてもう一つ、彼が映像を24年間“封印”した理由がある。

「私はあの時、逃げ出したのです。人々がタワーに駆け込んで助けにいく中、私は逃げ出しました。自分は臆病でした」

彼は20年以上ずっと自分を責め続けていた。タワーの人々を助けにいくのではなく、逆方向に走って避難した自分の弱さをずっと許せずにいた。だからこそ、映像を見ることはなかったし、誰にも見せたくなかった。

彼には9.11後に生まれた二人の子供がいる。

「一度だけ子供達に映像を見せようと思ったことがあります。でも再生ボタンを押して、すぐにやめました」

自分が体験したことを我が子に伝えたいという思いはあったが、それもずっとできなかった。逃げた自分を知られたくなかったのだろう。

自分の弱さを責め続けPTSDに苦しんだ彼は、なぜ去年映像を公開する決断をしたのか。

「きっかけは、自分と同じように現場に居合わせた人たちと話したことです。私がこの件でPTSDを抱えていることを話すと『自分たちは神に生かされた。残された時間を有意義なものにすべきだ』『あなたがここにいるのには理由がある。その時間を無駄にしないでください』と言われました。それで私は、できることは全てやろうと思ったのです」

彼は去年、9.11の映像を集めて歴史的記録として保存している団体にビデオテープを提供した。

彼が部屋の奥から持ってきたビデオカメラとバッグ。あの時の粉塵がこびりついたままの状態で保管されていた。

「23年か24年も手付かずのままだったからなのか、まだテープは見られる状態でした。私が映像を公開しようと思った唯一の理由は、あの出来事は、実際に起きたことなんだということを伝えるためです。あの時、まだ生まれてもいなかったような人たちが『9.11テロなんて起きなかった』と言い出しています。でも確かに起きたのです」
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アメリカ社会で進む 記憶の風化

アメリカ社会では9.11の記憶の風化が止まらない。

今や国民の約4割が9.11を直接経験していないか、もしくは全く記憶にない世代になった。世論調査でも「最大の懸念・課題は何か」との問いに、「テロ」と答える人はわずか1%にとどまっている。

彼も記憶の風化に危機感を抱いている。

「歴史を消し去り始めれば、それは必ず繰り返されます。私たちは9.11が再び起こる可能性があることを認識する必要があります。同じ過ちを繰り返さないためには歴史から学ぶ必要があると思うし、人々は真実を知る必要があります。その真実が良いものであっても悪いものであってもです」

9.11同時多発テロから25年。9.11の記憶を「消化」したアメリカのトランプ政権は、今、イランとの戦争に進んでいる。

エドワードさんの二人の子供は23歳と21歳になった。リビングルームには、二人の小さい頃の姿を描いた絵が飾られていた。

「子供たちがテロ行為を経験することのないよう願っています」

あの日の記憶に苦しみ続けた彼の、心からの願いだ。

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