23日、最高裁の大法廷は選択的夫婦別姓を認めないのは「合憲」と判断し、「国会で議論され判断されるべき」としました。
今から25年前の1996年、法制審議会が選択的夫婦別姓の導入などの民法改正案を答申し、法案が通るとも見られていましたが、結局、自民党の反対で、法案の国会提出は見送られました。
賛成派、慎重派、反対派、それぞれが様々な場面で意見を闘わせた当時、
何が問題となり、どんな議論があったのか、振り返ります。
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選択的夫婦別姓法案の推進を訴える団体などは、多くの報告会や記者会見を開いていました。この動画は1996年4月12日に衆議院議員会館で行われた別姓を求める当事者らのアピールです。
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【弁護士 福島瑞穂氏】
法制審議会で6年近く議論をされて、その折々に発表して、みんなの意見を聞いてきながら、今の場面で、なかなか国会上程、審議ができないもので、6年間きちっと議論してきた。
今までも、議論は十分法制審でもしてきて、これをきちっと国会上程、審議してくれるようにという、きょうはそのアピールにさせていただきたいと思う。
【元文部大臣 赤松良子氏】
私は、ずっと結婚した時から別姓で、私の場合は夫の方が、ペンネームを使っていた。戸籍上はもちろん同じで。私はだから名前変えたことない。離婚もしたが、ずっと、結婚した時も離婚したときも、そういう問題には、困る事はなかったのだが、一方その変えた方の夫は、普通は女性がそっちの立場になるのだろうが、大変迷惑をしていたようだ。
私は自分が困らなかったからといって、迷惑をする人の立場が分からないわけでは決してないので、非常に不便であると。変えた人は。
戸籍を変えてそしてペンネームで別姓を名乗ってる。いいじゃない、学者だったらちっとも困らないかと思いきや、大変不便で、迷惑であったと。長い間私は35年結婚していたが、ずっと別姓だったから長い間。初めはその、惚れた弱みかなんかで、文句言わなかったけれども、後になってからは随分、嫌だとか、くだらんとか、文句をさんざん言っていた。
私は法制審議会の委員で、大臣になるまでずっとしてたのだが、最初の法制審議会の委員になった、女性では。5年ぐらい前になったのだけど。
その時、もう既に分科会で、この民法の問題やって、加藤一郎先生が分科会の委員長をおやりになってて、その親委員会っていうのにいずれ上がってくるだろうと思って楽しみにしていた。でも、そんな親委員会っていうのも、女性が私が最初の一人だっていうぐらい、本当にちょっとしか女はいない。それまでゼロだった。
こんなばかな、民法とかねそういう、非常に女性の地位とか、女性の生活に、関係の深いことを議論するところに、つい5年前まで、ゼロなんちゅう話もおかしいと思っていた。まあ、私がなったら百万くらいの声があるかどうか、それは知らないが、とにかく独りだった。でも法制審議会は良識のある方たちだから、まあまあな審議をしてくださったんだと思っている。私はやめて、肝心の時にいなくてとても残念だったが。
それで、国会にも上程されればちゃんとした議論が、これは超党派で、そんな党別で反対があるわけじゃないんだから、されるんだろうと思うのだが、上程がおぼつかないというような話もチラホラ聞いて、大変残念なこと。
何も全部の人に別姓しろと言って迫っているわけでも何でもないんだから、ただ選択肢を増やすということで、自分の今までの通姓通称を、戸籍名をそのまま使いたいというのを、けしからんから上程もさせないなんて何事だと思います。
【東京家政大学教授 樋口恵子氏】
自分のこと話すと、学校卒業後の結婚後、おめおめと、柴田から樋口恵子に変わってしまった、ごくごく普通の平凡な女。両方、長男長女だったし、夫に自分の姓を名乗らせる、という発想はほとんどなかった。
それも悪くはなかったと、むしろ思ってるぐらい古風な女。皆様のイメージがどうかは別として。大体、物書きとして柴田恵子より樋口恵子の方が、利口そうに聞こえると皆様、おっしゃってくださる。しかし赤松先輩に言わせると、お前さんは学生時代にシバケイといって鳴らしたんだそうなのに、今、ヒグケイといって誰が過去を思い出してくれるか、と言われて、過去の連続性というものをまた考え直しているが、私はその後、最初の夫に死に別れ、そして現在、いわゆる事実婚で25年の歳月を過ごしている。
そして、今、いわゆる事実婚でやってきて、何の不自由も感じなければ、あるいは、だから一体感がないということはまるで感じていない。
これは私事で、こんなことを書いて頂きたくないのだが、今、現在の姓の違う―事実上の内縁関係というのだろう、法律的には― 夫が死に瀕している。
私は恐らく事実婚の妻としての葬式を、いずれ出すことになるだろうと思うが、もちろん、前の夫も良い人で、哀惜の情が大変深かったが、今、姓が違うからといって、別人だとか別な夫だとか、家族が違うなどとは、毛頭思っていない。
実は、ここへ来る時に、ラジオニッポンの、ミッキー安川の何とかという番組があり、ミッキーさん自身は、私は、あら随分ものの分かる方なのね、と言いたくなるぐらい。アメリカ帰りの、若手の政治評論家だそうだが、フジイさんとおっしゃっていたが、その方は、ミッキーさんはもっと別の問題、住専の問題とかそういうテーマに移そう移そうとしてらっしゃるのに、その若手の男性の学者が、「今ね、出されようとしている夫婦選択別姓制ね、あれは大反対なんですよ」
「何かいい加減な女の弁護士…」福島さんあたりのことでしょう。「女の弁護士は何とかかんとか言ってるけれどあれは、1つ選択肢が増えるだけだっていうのは絶対のトリックでね、あの人たちも行っていることを見ていくと事実婚であろうと、法律婚であろうと、同じ権利にしようというトリックであって」
「それで今アメリカにおいて、民主党も共和党も、全部が認めているのは、アメリカがおかしくなったら家族が崩壊したからだ。今、この家族新しく再生していこうというのがアメリカの動きなのに、日本はそれの逆をやろうとしている」と。それから「ソ連が崩壊したのも子どもを、親が間違っていたら告発するように保育所で育てて、母親から切り離して、子どもをまるで人質に取って、教えてきたから共産主義があれだけ、あのおかしな主義がもったのだ」と。
何か、アメリカ資本主義に対する攻撃と、それから共産主義に対する攻撃を夫婦別姓ひとつとって、この夫婦別姓が何であるかということも論議をしないで、家族の崩壊につながるものであるという宣伝をされているので、私たちが聞けば、非常にそのおかしさがよく分かるのだが、何もかも、ゴタ混ぜにしていて。ただし、今、上程を危ぶんだり、あるいは各市町村の議会において、反対決議をしようとする人たちに、こういう論議で通っているんだな、ということが、よく理解できた。
だから、なぜその夫婦が同姓でないと一体感が保てないのか。
岩手県の大東町から出てきた意見書の中には、家族の一体感ならまだともかく、それを敷衍して地域の一体感、ということを言っている。
それがあの各市町村の議会から出てくる時のひとつの論拠になるのだが、なぜこんな個人の時代と言い、個人の自己決定権と言い ―今、厚生省でひとつ論議の的の公的介護保険、ここも細かな政策の、具体的な論議は別として、一人ひとりの老い方の自己決定権、どのようなサービスを受給するかのを自己決定権ということが基礎になり、規制緩和を言い、自己決定権を言う中で― 何でこんな、家族の一体感はさておき、地域の一体感、地域が一色に塗られなければいけないか。そのあたりの矛盾をぜひ考えていただきたいと思っている。
大体、明治10年に福沢諭吉が、姓などは別の姓を作るといい。梶原の女と山川だったか ―何だっけ、山が付くことは確かだが― 結婚したら山原か、梶川かにすべしと。それが明治10年に言えてるって私はすごいと思ったのだが、この頃、あまりすごいと思わなくなって、逆に明治10年だから言えたんじゃないかという思いがしている。というのは、明治10年以前においては、日本の庶民は姓などなかった。せいぜい屋号とか、私の母方などは群馬県の農民で、聞くところによると「川下んち」という屋号があったようで、例えばそういう屋号で、姓などなくて、要するに明治時代、福沢諭吉がこの論を唱えた明治10年という時期は、国民全体が姓を持つようになって、非常に新しい時期であったからこそ、却ってこういう、大胆な意見が言えたんだと思うし、考えてみたら私どもの先祖たちは、そのそれこそ、姓のない百姓モヘイ一家、である時代から、あえて言うならば家族の絆や家族の愛情は、変わらずに続いてきているのではないかということの、ひとつの証しではないかと思っている。
続く
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