衆院選挙の夜に考える2“格差を解決する方法”[2021/11/01 02:00]

令和初の総選挙が行われました。様々な問題が山積するなか、日本のかじ取りを託されたリーダーたちはどんな未来を描くのでしょうか。

4人の若き賢者『Thinker』と共に日本の未来について考えていきます。

World Road共同代表・平原依文さんは、8歳から単身4カ国に留学。日本の教育を変えるため、幅広い世代にSDGs教育を行う起業家です。

イエール大学助教授・成田悠輔さんは、夜は助教授、昼は日本の会社代表。データ分析でビジネスや政策をデザインする新進気鋭の経済学者です。

時事YouTuber・たかまつななさんは、若者と政治の距離を縮めるため、動画発信や全国の学校で出張授業を行っています。

プロデューサー、研究者・若新雄純さんは、女子高校生がまちづくりを担う鯖江市役所JK課など、社会実験的プロジェクトを企画しています。


『Thinker』の4人にはそれぞれ、日本の未来を大丈夫にする解決策を提案して頂きます。

●テーマ「若者の格差社会をなくすためには」

◆平原依文さんの解決案【学歴中心の履歴書から、経験中心の履歴書へ】

私には夢があって、それは社会にある色んな境界線を溶かしていくことです。そのなかでも最も溶かさなきゃいけない境界線は『学歴の境界線』だと考えています。

正直、今の日本は、学歴を重要視し過ぎだと思います。いい大学を卒業して、いい企業に入社する、それが高収入につながって、それが成功として捉えられる。これが果たして本当に当たり前なのでしょうか。

そのレールに乗れない、または落ちてしまうと、失敗として捉えられ、結果として収入が下がってしまっているというのが今のスタンダードだと思います。

つまり、この学歴社会こそが経済格差の原因であると思います。だからこそ、人を評価する判断基準は学歴ではなく、その人個人が持つ唯一無二の経験。いつからでも、自分の頑張り次第で結果も生み出せて、収入格差がなくなると思います。

そのためにまず、企業が変わる必要があります。企業が学歴を重要視する前に、まずその人個人の経験を重視する社会に変化する必要があります。

ここでもしかしたら「きれいごとを言っているのではないか」みたいなところがあると思いますが、実は企業も動いています。

ユニリーバ・ジャパンは実際に、履歴書から性別や顔写真をなくして、就活に公平性を与えました。これは外資系のユニリーバ・ジャパンだけではなく、日本企業も賛同しています。

「そもそも、これなんであるの?」そんな問いから始まって「それが公平性をなくしてしまっているのではないか」というところで変革を起こしてきました。

これからの企業に必要なのは、学歴ではなく、コロナで私たち一人ひとりが経験したように、誰も予想がつかないことは、たくさんあると思います。ですので、学歴なしで柔軟な思考力、そして生存力を、本当に持っている人材が必要だと思います。

私たち一人ひとりが、誇りを持って語れる人間らしい経験こそが、これからの成長につながる重要なカギであり、そのためにも今の学歴中心の履歴書から経験中心の履歴書に変える必要があると思います。



◆成田悠輔さんの解決案【格差をもっと作り出そう】

これは真面目な答えでして、そもそも日本は経済格差が大して広がってない国です。
例えば、所得や収入の格差を見ても、資産の格差を見ても、ここ10年20年ぐらいで、日本社会ではほとんど格差が広がっていないと知られています。

日本で起きているのは格差の拡大ではなく、むしろある種の“一億総貧困状態”が起きていると思います。

昔に比べて、すごく貧困にあえいでいる家庭や、子どもの貧困が増えていることは事実だと思います。しかし、それは、どこかのお金持ちや恵まれた人たちが、貧しい人からお金をむしり取っている結果で起きているわけではなく、国全体が貧しくなって縮んでいるから、そうなっているのだと思います。

実際、貧しい人もお金持ちも等しく、昔に比べると貧しくなっています。アメリカとかヨーロッパのいくつかの国のような、いわゆる格差が拡大していると言われている国の状況と、全く違うことが起きています。

なぜ格差が広がらず“一億総貧困状態”になっているかというと、それも簡単だと思います。普通、どういう時に格差が広がるかを考えてみると、例えば、大きな産業が勃興したり、新しいビジネスが生まれたりして、新しい富が作り出される。その富の分配が歪んでいる場合に格差が広がるというのは、典型的なパターンです。

分かりやすい例は、過去30年間でIT産業が勃興して、そこから生み出された巨大な富が、GAFAみたいな一部の企業の経営者や起業家、投資家だけに回ってしまって、格差が広がっていると思われているアメリカみたいな国だと思います。

これと比べると、日本の場合は幸か不幸か、過去30年間、新しい富や産業を作り出すことが、ほぼ全くできなかったわけです。新しく作り出されていないので、その分配を間違えようもない。単純に格差を広げる力もないということだと思います。

「格差が拡大している」という存在しない問題にこだわりすぎる前に、まず格差を作り出せるぐらいのところまで、日本の経済や産業が力を取り戻すことが先ではないかと思います。

一度、その格差をつくり出す力が生み出されて、格差が一定以上になれば、今のアメリカとか、すごい格差社会だった戦前の日本みたいに、嵐の自浄作用みたいのが起きます。お金持ちに対する反乱運動みたいなものです。戦前の日本でも、大金持ちの暗殺運動などが起きるぐらいのところまでいきました。

そう考えると、格差が広がりすぎてお金持ちが身の危険を感じるぐらいまで、社会がやばくなるまでは、格差拡大について、あまり考える必要はないのではないかと思っています。

(Q.経済成長については、どう考えていますか)

今、僕たちが直面している問題は格差ではなく、貧困と成長が存在してないということだと思います。なので、貧困にどう立ち向かうかという問題と、成長をどう作り出すか、この2つについて考えるべきであって、格差が生まれている、どこかに邪悪なお金持ちがいるみたいな、存在しない問題や分断を作り出す必要はないと思っています。

(Q.貧困に苦しんでいる人たちに対しては、どんな政策が必要だと思いますか)

まず、生活保護みたいなものが、本来はベーシックインカムに近い、皆に行き渡る社会保障の役割を果たすべきだと思います。

現状だと、もらうべき人の数十パーセントしか生活保護をもらっていないような状態です。それを100%に近付ける。可能であれば、ベーシックインカムみたいなものを導入することで、貧困の問題はあまり考えなくても生きていけるような、最低限のセーフティーネットを作ることが重要ではないかと思います。



◆たかまつななさんの解決案【ベーシックインカムの導入】

格差問題での1番の核心は、お金がない人が生きづらくなってしまうことだと思います。そもそも今は「お金持ちが悪い」「いや努力してない貧しい人が悪い」という格差をめぐって不毛な対立が生まれています。努力して大金を稼ぐことは悪いことではないし、誰にだって当然生きる権利があります。なのに、持つ者と持たざるものがいがみ合っている。そして、ギスギスした世の中をつくっている。これが一番の問題だと思います。

例えば、生活保護を受けている人に対する過激なバッシング。生活保護をもらっているのにお出掛けするの、新聞取るんですか、焼き肉食べるんですか、こういうバッシングがありますよね。その結果、生活保護を受けられる状況にあっても、実際に利用している人の割合が、日本は極端に少ないです。国民が当然受けられる権利である生活保護を利用する人が少ないことも問題ですし、それによって不毛な対立が起きることもおかしいです。

その代わりに導入すべきだと思うものが、ベーシックインカムです。ベーシックインカムは一律に前に同じ金額を配るので、保護が必要な人に絶対にお金が行き渡ります。もらう人、もらわない人が生まれないので、対立も生まれないです。税金として高所得者の人から回収するけれど、一律給付だから、高所得者の人も「何で私がもらえないんだ」という不満は生まれません。

また、貧困を救うっていうだけではなく、お金をもらえることで「バイトをやめて、学業に打ち込もうかな」「そのお金を貯めて起用できるんじゃないか」と新しいことに挑戦できる、生活に対して希望が持てる、
そういうワクワクする社会を私は作りたいと考えています。



◆若新雄純さんの解決案【富ではなく「運」を分配する】

僕の中では勝手に、成田さんのプランを補完するものだと思っています。基本的に、成長は大事だと思っていて、成長していくためには頑張って競争することが必要だと思いますが、その競争と、どう向き合っていくかが大事だと思っています。

競争すれば勝ち負けが生まれ、報酬にも差が出てしまいます。この勝ち負けによって全体を盛り上げようとすると、そこに格差が生まれてくると思います。ただ、競争して格差が生まれることよりも、競走した結果が、本人の努力・実力によるものと考えられていることが問題だと思っています。

だから「課税されるのが嫌だ」「自分で努力したのにいっぱい持っていかれるって嫌だ」という考えが出てしまって、分配がうまくいっていないのではないかと思います。

僕は幸い、こうやって仕事や色んな場面で恵まれていますが、ほとんど運だったと思っています。
僕はもうかなり自分の人生は運が良かったなと思っていて、それは頑張ってこなかったわけでもないけれども「頑張ったら成果を出せるな」「結果が出そうだな」と思えるような環境にあったからというのもあります。親から遺伝したものもあれば、環境もかなり大きかった。運というものとちゃんと向き合っていく必要があると思います。

色んな競争をやっていますが、遺伝だけではなく、その時代にどんなルールで競争していたかもあります。僕も時代が違えば、同じように運が使えていたと思えないし、この時代だからこそうまくいったと思っています。

結構、たまたまが重なって勝敗は決まっているなと。だから“ガチャ”というのはおかしくないと思っていて、結構、人間の社会のことを上手に表現しているのではないかと思っています。

だから僕が「こんなに運が良かったんだから、人よりも多く納税するのは当然だし、他の人にも運を分けてあげられるように、自分が儲けた結果は皆に回していこう」ということを、学校で教えるのは大事じゃないかと思っています。

小学校の時とかに、入賞した人が朝礼で、校長先生から表彰状をもらったと思いますが、必ず「貴殿の努力と功績をたたえて」と書いてあります。本人が自分の力だけで頑張ったように言っていることが良くないと思っています。今後は賞状の内容を「貴殿の努力と幸運を喜び」のように少し変える。あなたはすごく幸運だったから良い結果だった、今後、良い学校に行けるかもしれないし、仕事もうまくいくかもしれない、その時に余裕ができたら、皆に回してあげてねと。具体的には累進課税などで良いと思います。

そういうふうに、運を喜ぶ社会にして、競争を悲観的にならずに、皆で楽しんでやっていく社会が良いのではないかと思っています。

(Q.ベーシックインカムは、行き過ぎた社会主義の構築になってしまいませんか)

◆成田悠輔さん
そういう懸念はあると思いますが、実はそうでもないというデータがあります。ベーシックインカムをやると世の中に何が起きるかという実験を色んな国がやり始めています。その結果を見てみると、ベーシックインカムを配っても、みんな働くのをやめないし、前と同じようにしっかり仕事をするという結果が出ている場合が多いです。そういう意味では、10万円くらいのベーシックインカムを配ったからといって、みんな急に24時間ゲームをやるみたいなことにはならないのではないかと思います。

社会主義になるにはほど遠くて、10万円くらいでは豊かに生活するには全然足りないので、ベーシックインカムをもらって、そこにさらに働いて上乗せしていくという形になって、ある種の社会主義と資本主義の良いとこどりができるのではないかという気がしています。

◆平原依文さん
もちろんベーシックインカムは良いとは思いますが、ベーシックインカムをどう使うのかという、フィナンシャルリテラシーも必要だと思います。

私も以前、スペインに住んでいましたが、もともと働くのが大好きな国民でした。皆さん一気に職がなくなったので「働きたくても働き口がない」と動揺し始めていました。

このコロナ過で、スペインの友人20〜30人が職を失いました。「ベーシックインカムをどう使いたいか」と聞いたら「次にコロナが落ち着いた時に就職できるため、その準備に備えたい。教育のお金に使いたい」と皆さん話していました。ベーシックインカムに対する教育のリテラシーも、導入するうえでの考慮点なると思います。

◆若新雄純さん
ベーシックインカムは、人生のすべてを保障してくれるわけではなく、全然だめだった場合でも腐らなくて済むようにする。最悪でもこれぐらいはできるから、言い方は難しいですが「ゲーム感覚で一生懸命競争したりしようよ」といった前向きなメッセージになる気がしています。

平原さんの学歴の話ですが、学歴は完璧にフェアな競争にはなってないと思いますが、経験主義になると、経験の方が貧富の差が出てしまうと思います。

お金持ちの方が海外に行かせるとか、楽しいことをさせるとか。もちろん、お金を持っている人が附属から上がっていけるという部分はありますが、受験は、学びの本質に直結していなかったとしても、誰でも頑張ればある程度チャンスがめぐってくるものの一つかと思います。

◆平原依文さん
お金で買える経験もあれば、お金で買えない経験もあると思います。例えば、最近、友人に赤ちゃんが生まれました。赤ちゃんにとっては、ひっくり返ったりするのも経験ですし、ワーカホリックの友人がずっと子どもに尽くすことも大きな経験でした。

そのように、自分の中で毎日、色んな経験が実はあると思います。それを経験と捉えるのか、それとも日常と捉えるのか。今一度立ち止まって、整理する必要あると思います。

◆若新雄純さん
それは履歴書には書けないものですよね。履歴書に書ける経験となってしまうと、チャンスが多い方ができる気がします。本人が人生の中でたくさん価値のある経験をできたということを、ちゃんと味わえるようになってくると良いなと思いますが、履歴書にタイトルを書くこと自体が微妙な気がしました。

◆たかまつななさん
私はAO入試で大学に入りました。AO入試は自分を推薦する入試なので、まさに経験や、何を学びたいかが重視されました。

そこで起きていたのは、大学に行きたいって思いがある人と、塾とかが対策をして、嘘とまではいかないけど、受かるためにNPOを作りましたというものもありました。

そこを判断することが非常に難しくて、AO入試をやめている学校もあります。AO入試をやめた学校には、制度が悪いわけではなく、大学側が採用するための能力を持ち合わせていませんというところもあります。

うまくやらないと、採用側にすごいコストがかかるのではないかと思います。

◆成田悠輔さん
経験重視は、最も格差を作り出すタイプのものではないかと思っています。僕がいる大学も含めて、アメリカの有名大学は、あまり知られていませんが、入学試験などがありません。これまでの経験値のようなものを総合的に出願書類にまとめて、それを総合的に判断して入れる。すべてがAO入試のような世界です。

そういう世界で何が起きているかというと、高校生とかがみんな、多様な経験と称するものを手に入れるために、2週間で100万円といった、経験を買うためのパッケージツアーなどに参加します。そして、NPOや会社を作って「社会起業家です」と自分をプレゼンするといったことがすごく起きています。

その結果として、イエールやハーバード大学は、入学している人の親の平均年収が2500万円という状態になっているといいます。そういう意味でいうと、経験というのも履歴書に書けるような経験にしてしまうと、お金で買う、賢い豊かな家の子どもほど、その経験をしっかり蓄えられるみたいなことなってしまう気がします。

◆たかまつななさん
私はベーシックインカムを提案しましたが「財源をどうするか」という話になると思います。私が1つ考えているのは『AIへの課税』です。

これからの時代は、AIに仕事を奪われてしまうと思います。AIは仕事を奪うけど、消費はしてくれません。いっぱいものが作り出されても消費する人がいない。ベーシックインカムだと消費する人が増えます。仕事を奪われても消費する人が増えるということは、すごく大事なことだと考えています。

お金があることで、勉強したい人は勉強をするかもしれないし、貯めたい人は貯めるかもしれないですし、介護や子育てに力そ入れるために働く日数を半分にするなど、多様な働き方や生き方を肯定するものになると思います。


(Q.ベーシックインカムが対処療法だとするなら、日本の未来はどう作り上げていけばいいと思いますか)

◆成田悠輔さん
それが成長をどう作り上げていくかという話になると思います。よくこういう場所で議論になるのは、どういう産業が次に来るのかとか、次にどういうビジネスが来るのかだとおもいますが、正直に言ってよく分からないと思います。もしそれを僕が分かっているのだとしたら、多分ここで語る代わりに、そういう産業の株を買う方がよっぽどお得だと思います。

コメンテーターや学者、政治家、官僚とかが、将来どういう産業が伸びるか予測しても、大抵外れると思います。成長する産業が生まれてきた時に、それを邪魔しないような仕組みを作る。無駄な規制を作らないとか、これまでと違うようなことやっている人が出てきた時に袋だたきにしたり、突然捕まえたりしないという形で邪魔をしない状態を作っておくことが重要。

◆若新雄純さん
成田さんが仰っていることは、競争と、その結果の成長というのが偶然であり、僕が言いたい運も入っているということだと思います。事前に全部分かっているのであれば、貧乏だけど賢い人たちが次の成長をやればいいだけです。ところがこれを完全にフェアに分配できない。だから、たまたま誰かが儲かったり、たまたま誰かが成長してしまったりするけれど、その足を引っ張ろうとするよりは、そうじゃなかった人に回そうとする。

あとは、競争の結果に対して納得がいかないことは良くないと思います。みんなが納得して結果を受け入れればいいわけで、学歴がなんだかんだ支持されるのは、ルールが明確になっているから、負けた時にも納得しやすい。

ただ、この構造も自分がダメだった時の納得感がだんだん下がってきて「親ガチャ」という言葉も「全然、自分の努力関係ないじゃん」という納得がいってないメッセージの一つだったと思います。

競争の中での納得と、次にどう回していくのかという視点に切り替えていくことも大事だと思います。

(Q.失敗を運のせいにしてしまうのではないでしょうか)

◆若新雄純さん
失敗を運のせいにできるというのは、すごく良いと思います。またチャレンジできるじゃないですか。

今までは、失敗したら本人の努力が足りなかった、恥ずかしいとなって「もう次はあまり難しいことをやらないでおこう」「無難にいこう」となってしまう。チャレンジできる人に、どんどんチャンスが回っていくのは一つの格差だと思うので、今回は運が悪かったな。

なぜ人間が自由な環境を作ると競争し始めるかというと、人間には、チャンスがあればつかみ取りたい、新しいことをしたいというエネルギーがもともとあるんだと思います。成田さんは「そこは邪魔しないほうが良いのではないか」と仰っているんだと思っていて、問題は、その後にできた結果をどううまく回していくのかだと思います。

◆たかまつななさん
運の分配について、具体的にどうするのかを考えた時に、色々あると思います。私はやはり教育だと考えています。

教育は今「義務教育は無償」と言っても、実情としては、塾に行かないと高学歴をなかなか勝ち取れないと思います。教育にかかるお金をできる限り支援していく、塾などを含めて完全無償化に近い状態にしていく。若新さんの案の具体化を考えると、教育とベーシックインカムかなと思っています。

◆平原依文さん
私も教育だなと思います。教育の中で経験というものをどう捉えるのかを、それぞれに理解させていくことが大事かなと思っています。

履歴書の話に戻りますが、別に海外に行ったということは経験ですが、そこで何を学んだのか。

例えば私は、履歴書に「いじめられました」という経験を書きました。日本でいじめられましたが、そこでお金も何も発生していません。いじめられた時に誰も話してくれなかったから、すごく寂しい思いをしましたが、その時に話しかけてくれた子が、自分が今の原動力につながりました。

そういう子になりたい、私も誰一人取り残さないようなコミュニケーションしたい、建設的な対話をしたいというのは、そこで学んだことでした。

そういった小さな経験を履歴書に書くということを、大きなことじゃなくても、勇気を持って書けるような社会になれば良いなと思います。

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