あの日津波で家族が… 仮設住宅の父子の8年 後編[2019/03/09 07:15]

 東日本大震災から8年。今も仮設住宅で暮らす父親と少年がいます。2人は津波で家族3人を失いました。その2人の8年間をカメラが追いました。

 岩手県陸前高田市で電器店を経営する吉田寛さん(41)。息子で高校2年生の芳広さん(17)と2人で暮らしています。仮設住宅での生活はまもなく8年を迎えます。あの津波で芳広さんは母・真紀子さん(当時33)、弟の将寛さん(当時5)、祖母の静子さん(当時73)を失いました。
 避難所から仮設住宅に入れたのは震災から3カ月が経ってから。父と息子、2人だけの生活が始まりました。
 震災の年も開催した「動く七夕まつり」。思いを込めて太鼓をたたきました。
 あの日から6年、芳広さんは中学3年生になっていました。母の墓前で大きくなった自分と父の姿を重ねました。
 卒業式の後に行われた謝恩会で誰よりも喜んでいたのは寛さんでした。たった1人で育てた芳広さんが卒業を迎えたことにうれしさが込み上げていました。
 高校1年生の春休み、芳広さんはお父さんの電気工事を手伝っていました。この頃には、寛さんが台所に立つこともなくなっていました。自分の時間ができた寛さんでしたが、高台移転や災害公営住宅への入居が進み、7年住んだ仮設住宅は集約化で閉鎖されることに。しかし、新たな土地でもう一度、店を建て直したい寛さんはそれまでの間、別の仮設に移ることを選びました。整備が追い付かないかさ上げの市街地。寛さんに引き渡されるはずの土地も造成が遅れていました。昨年11月、ようやく引き渡された土地。ここで8年ぶりに電器店を建て直し、再出発を目指します。父と2人の時間が始まって8年、芳広さんには気付いたことがあります。
 吉田芳広さん:「大変な2人暮らしだったから その2人暮らしで支えというよりかは生きる力を与えてくれたのはお父さんだから、仕事をただしてくれているだけでも全然、俺としては料理とか家事は俺が何でもするから、とりあえず仕事だけはやめないでくれて、大好きな小さい時から好きな電気の仕事、ずっと続けてくれてありがたいと思う」

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