天皇陛下が退位される平成最後の日を迎えました。1944年、10歳の時に陛下は戦火を避けるために疎開をされていました。当時、陛下はどのような生活を送っていたのでしょうか。栃木県日光市から報告です。
(山崎弘喜アナウンサー報告)
栃木県にある日光田母沢御用邸。この場所は大正天皇、昭和天皇がご利用され、また、陛下ご自身も太平洋戦争の時に約1年間、学童疎開をされた場所にもあたります。今は、記念公園として一般に公開されている場所です。この御用邸は敷地面積が1万1900坪、部屋の数がなんと106部屋にも上ります。中を歩いていても本当に部屋の数も多く、広いので迷ってしまいそうになるぐらいの立派な御用邸です。そもそも、この御用邸は大正天皇のご別邸として今の形になりました。
大正天皇の皇后さま、貞明皇后さまが広い敷地の中で使われていたエリア。ここが陛下が疎開をされている時に主にこのエリアで多くの時間を過ごされたということです。この部屋は本来は高等女官詰所といって、皇后さまの付き人が待機をする部屋。ですが、疎開時にはこの部屋で陛下が駒を回して遊ばれたという部屋です。そして、通路1本挟んでもう1つ似たような部屋がありますが、こちらでは陛下は食事を取られたということです。この部屋に関しては日本庭園にも隣接しているので景色を楽しむこともできます。そして、この通路の奥には、いわゆるリビングであったり、寝室があります。
2階を紹介すると、陛下がある日課を行っていた場所があります。それが2階の畳の部屋の窓。この窓が南側にあたりますが、南側は言い換えると皇居がある方向にあたります。戦時中、当時小学5年生だった陛下はこの場所で皇居にいらっしゃる昭和天皇と皇后様、そして、日本国民の安全を祈る御日拝をするのが日課だったということなんです。約1年間、この場所で疎開をされていた陛下なんですが、その1年間の記憶を鮮明に覚えていらっしゃったあるエピソードがあります。それが2階の窓からも見える太い木と木の間真っすぐ生えている木があります。イチイの木というものですが、この木にまつわるエピソードです。この疎開から約半世紀後、1996年に陛下が再び訪れ、疎開時にあったイチイの木がなくなっていることに気が付かれました。その時に、その話を聞いた栃木県の職員が同じ場所を掘り返したところ、実際にイチイの木の根っこが見つかった。実際にあったということです。つまり、陛下の記憶が正しかったということになります。さらに、その5年後、2001年に美智子さまのご提案で同じ、あの場所に同じ種類のイチイの木をお手植えされたというエピソードがあるんです。そのイチイの木、当時は50センチほどでしたが、3メートルほどまで大きくなっていました。まもなく、数時間で平成の時代が終わりますが、お二人が植えたイチイの木、栃木県日光で成長を続けています。
広告
広告