「心愛さんへの虐待は今も続いている」[2020/03/10 06:36]

 千葉県野田市で栗原心愛さん(10)が死亡した事件の裁判は、9日の公判で審理を終えた。傷害致死など6つの罪に問われた父親(42)は、心愛さんへの暴行のほとんどを否定した。そんな勇一郎被告に、沖縄に住む心愛さんの母方の祖母が怒りをぶつけた。検察側は、父親の行為を「拷問」と表現し、心愛さんに責任を転嫁していることなどを指摘。「虐待は今も続いている」として、懲役18年を求刑した。

―「みーちゃんが一体何をしたというのか」
 裁判の冒頭、心愛さんの母方の祖母が意見を述べた。検察官の後ろに座った祖母の周りにはついたてが置かれ、父親や傍聴席からは姿を見ることができないようになっていた。祖母は時折、言葉に詰まりながらも、心愛さんを「みーちゃん」と優しく呼んでいた。心愛さんは沖縄でこの祖母と一緒に7年間を過ごし、その後、まもなくして父親によって千葉に連れてこられたのだ。

 心愛さんの母方の祖母:「初孫で、みーちゃんは大家族の中心にいて、宝物のような存在でした。優しくていつも笑顔で、外を連れて歩くと『かわいい』と知らない人も、皆も集まってくるような子で、自慢の孫でした。賢くて、叱られるようなこともせず、1回言えば分かる子でした。『どうしたらこんなにいい子に育つの』とよく聞かれるような子でした」「7年間、家族皆で大事に育ててきました」「被告(実際には被告の実名)は沖縄でDVした時も泣くだけで、自分のしたことは認めない。法廷では泣きながら謝っていたそうですが、何も変わっていない。みーちゃんが悪い、(心愛さんの母親)が悪いと言い、(自分が)悪かったなんて少しも感じていない。せめてみーちゃんのことを悪く言うのはやめてほしいです。みーちゃんのことを悪く言う被告の言葉を信じる人が1人でもいたら耐えられません」

 「卑怯な虐待」、祖母は父親の行為をそう表現し、少しでも重い刑を望むと訴えた。

 心愛さんの母方の祖母:「何でみーちゃんがこんな目に合わなければいけないのか、被告にはちゃんと説明して罪を認めてほしいです。被告の命で償ってもらっても救われません。みーちゃんの痛みを感じて、心を入れ替えて反省して謝ってほしいです」「食べるのが大好きだったみーちゃんが、いつもニコニコしていたみーちゃんが、泣くほどつらい思いを、何時間も立たせたり、あざができるほどの暴行を加え、みーちゃんが一体何をしたというのか」「みーちゃんがどれだけ苦しんだか、想像してほしい。被告には少しでも重い刑を望みます」

 父親は目を閉じて聞いていたが、表情を変えることはなかった。

―「虐待は今も続いている」
 続いて行われた検察側の論告。検察側は父親が心愛さんを「筆舌に尽くしがたい壮絶な虐待の末に死亡させた」とした。そのうえで「心愛さんが暴れたから」などと主張する父親について、「虐待を認めていない」と指摘した。心愛さんが死亡した傷害致死の罪については「拷問」「なぶり殺し」という強い表現を用いた。

 検察官:「この期に及んで心愛さんに責任を押し付ける態度には開いた口がふさがらない」「謝罪は空虚で、反省の態度はみじんも感じられず、いまだに心愛さんを虐待していると言うほかない」「心愛さんへの虐待は今も続いている」

 検察側の求刑は懲役18年。1年7カ月という長期間にわたり、身心両面で積極的な虐待があったとして、過去の虐待事件と比べても刑を重くするべき事案だと指摘した。検察側が読み上げる内容を父親は一点を見つめ聞いていた。また、あの表情だ。今回の公判を通して、どこか「他人事」のような、そんな表情をしていることが多かった。

―「事実をお話ししました」
 最後に、裁判長に促され、法廷の真ん中に立った。「何か付け加えたいことがあれば」と声を掛けられると、鼻をすすりながら、用意してきた手元の紙を読み上げた。

 父親:(読み上げた文章全文)「みーちゃん、本当につらい思いをさせてごめんなさい。心愛がどんな思いでいたかと思うと、謝っても謝り切れません。どこに行っても私にそっくりだと言われ、自慢の娘でした。大好きだったのに、私が未来を奪ってしまったことには、言い訳はできません。自分が許せません。心愛への気持ちを持ったうえで、事実をお話ししました。家族にとっても、私にとっても、いいことも悪いこともありのままにお話しさせて頂きました。私は妻(実際は実名)に常に気を使って生活をしていました。妻に対する管理、束縛はなく、日常的なDVは全くありません。私が支配的な立場にあり、それに家族が逆らうことができなかったことは全くありません。心愛という名前は、心にたくさんの愛がある子になるように、2人で名付けました。これから私は心愛のことを、家族・親族とともに、永久に弔い続けます。家族、支援者に感謝しながら、しっかりと罪と向き合い、一日一日をしっかりと、一所懸命に償います。お話しさせて頂く場を頂き、ありがとうございました」

 顔は真っ赤になっていた。そして被告席へと戻った。初公判でも心愛さんへの“謝罪の気持ち”が披露された。その時と何か違いはあったのだろうか。「心愛さんの母親へのDVはなかった」「家族の中で支配的な立場ではなかった」。これが事実ならば、これまでの証人たちの証言は一体何だったのか。父親の涙を見て、疑問だけが残った。

―心愛さんが残したもの
 心愛さんが亡くなった後、虐待の犠牲になる子どもを1人でも多く救いたいと、たくさんの人が考え、国や自治体も改善に向けた動きを始めてきた。虐待事件が後を絶たないなか、子どもを育てる環境に、親へのサポートにどんな課題があるのか、実際の事件の背景を探ることが一番の近道ではないかと思い、裁判の取材に臨んだ。
 しかし、父親が「なぜ虐待をしたのか」は分からなかった。答えにたどり着くことはできなかった。心愛さんの死が残したものは何だったのか。

 父親は初公判から一貫して、法廷に入る時、そして出る時に、検察官、裁判長、傍聴席、各所に深々とお辞儀をする。反省の態度なのか、“誠実さ”のアピールなのか。その真意をつかむことはできなかった。判決は3月19日に言い渡される。

(社会部DV・児童虐待問題取材班 笠井理沙 鈴木大二朗)

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