潜伏の中核派トップ 半世紀ぶり登場“2つの理由”[2020/10/30 21:50]

「どこで暮らしていたんだろうなぁ」
長年、警視庁公安部に在籍する幹部は本音を漏らした。

過激派“中核派”のトップが51年ぶりに姿を現し、警視庁公安部が確認したというニュース。

トップとは、過激派として知られる「中核派」の清水丈夫議長を指す。
今年で83歳になる、組織の最高幹部である。
9月6日、東京都荒川区で開催された中核派の集会に、半世紀ぶりに姿を現した。

捜査関係者によれば、清水議長の姿を最後に確認したのは、1969年8月だという。51年間にわたって、地球上のどこかで潜伏生活を続けてきたことになる。警視庁公安部は長年追いかけてきたが、その行方はまったくつかめなかったそうだ。

そもそも“中核派”とは…正式名称「革命的共産主義者同盟全国委員会」。
暴力革命による共産主義社会の実現を目指す組織で1963年に結成された(警察白書より)。今もなお4700人のメンバーがいるとみられている。

安保闘争や、成田空港建設阻止などの対権力闘争をしてきたが、1971年には東京・渋谷で警察官を火炎瓶などで襲撃し、新潟県警から派遣された警察官が殺害された「渋谷暴動事件」を起こすなど、警視庁公安部によれば、100件を超えるゲリラ事件を起こしたとされる。

清水議長は、60年安保闘争で全学連書記長として闘い、学生運動の“顔”であった。
一方で、組織内でも姿さえ見たことがない人もいるほど謎の多い人物だ。
“カリスマ的存在”として潜伏していた半世紀の間も、強力な影響力を持ち続けていたという。

最大の疑問は、なぜ今年、突然に姿を現したのか、だ。


◆“半世紀ぶり”登場 2つの可能性

警視庁公安部の幹部を取材すると、2つの可能性が浮かび上がった。

「1つ目は、内部闘争の影響による組織の引き締めが考えられる」(警視庁公安部幹部)

近年、中核派は、執行部と地方組織で運営上の意見が対立し、執行部が解任に追い込まれたという。
現在の新執行部はあくまで暫定という位置づけで、組織全体が分裂してしまうのではないかという危機感から、「カリスマ的リーダー」の清水議長が登壇し、
“お言葉”で引き締めを図ろうとしたのではないか、という見立てである。

「2つ目の可能性は、コロナ渦での潜伏生活に限界がきたんじゃないかな」(警視庁公安部幹部)

清水議長は今年83歳と高齢だ。
どのような潜伏生活を送ってきたかは不明だが、今年に入り、新型コロナウイルスの影響で、それまで受けていた医療が思うように受けられない状況になってしまったのではないか、と推測する捜査関係者もいる。

実際のところはどうなのか?
中核派広報担当者は「本人から反省の意を示したいとの意向が寄せられた」としている。潜伏活動はやめる意向だという。

それを裏付けるように、長らく清水議長の住民票は存在しなかったが、9月の集会の直前に組織の活動拠点である東京・江戸川区の「前進社」に住民登録を復活させたことが確認されている。

10月16日には、中核派の非公然活動家が逮捕された事件で、警視庁公安部が「前進社」を家宅捜索した際、眼鏡をかけ、杖をつく清水議長が立ち会っていたこともわかっている。

本人の体調について詳細は不明だが、9月の集会では、組織の衰退や混乱を「自らの責任」と自己批判しつつ、演説の結びには「11月1日に行われる労働者集会に結集し、自らも戦う」という意思を示したという。

半世紀の沈黙を破り、これからいったい何を語るのか。
コロナという見えない不安や閉塞感が社会に渦巻く中で、「革命」という言葉が現代の若者にどれだけ響くのだろうか。

11月1日には、日比谷野外音楽堂で行われる全国労働者集会に清水議長が姿を現す。

(社会部 警視庁担当)

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