脳出血から復帰の歌舞伎役者・中村福助 新たな挑戦[2021/03/13 11:00]

脳出血で生命の危機に瀕し、生還後も右半身のまひという後遺症と闘いながら、奇跡的に舞台への復帰を果たした歌舞伎役者がいる。

九代目中村福助、60歳。
女形(おんながた・女の役を演じる男の役者)の人気役者として活躍し、2014年の春には「中村歌右衛門(うたえもん)」を襲名することが決まっていた。

復帰はしたものの襲名自体は持ち越したまま、コロナ禍で舞台出演もままならないなど逆境は依然続いているが、今年に入って息子・中村児太郎(こたろう・27)とともに新たな試みも始めている。

父の厳しいリハビリに寄り添った児太郎が、復帰までの道のりと、家族としての思いを初めて語った。(敬称略)

■「中村歌右衛門」襲名直前に襲った病

2018年9月2日。
舞台に組まれた金閣寺の、二階の幕が上がって福助の姿が現れると、割れんばかりの拍手が場内を包み込んだ。
涙をぬぐう観客もいる。

息子・児太郎は自身の出番を終え、舞台袖でその様子を見ていた。
拍手は2分間も続いた。

「あれは衝撃でしたね。ほんとにありがたくて、涙が出そうでした。でも近くにいたお弟子さんや大道具さんがもうボロボロ泣いていて、何で家族より先に泣くの?って思いましたね(笑)」

4年10カ月ぶりの舞台は、東京・歌舞伎座で行われた「金閣寺」の慶寿院尼(けいじゅいんに)役。
「何、春永(はるなが)が迎いとや〜」
 往年と変わらぬ声音でひと言ひと言、しっかりと口にする姿に、再び拍手が沸く。

中村福助。
女形の名門、成駒屋(なりこまや)に生まれ、若いころから数々の大役をこなしてきた。

歌舞伎界に受け継がれる名前の中でも特に重要な名前で「女形の大名跡(だいみょうせき)」と言われる「中村歌右衛門」を襲名することは、本人にとっても悲願だった。

役者人生最高の時を前に突然襲ってきた病…

「自分が同じ状況だったら絶望すると思うんですよね。今こうしてしゃべっている、その数時間後、ふっと意識が戻ったときに自分の体が動かなくなっている… それは絶望しますよ。でもその状況でよく頑張ったなと思います」(児太郎)

今も右手右足のまひは残り、言葉も思うように出てこない。
それでもあの日のことを思えば、舞台に立てるまでに回復したことは正に奇跡だ。

「父もあの瞬間に死ぬ運命もあったと思うんですよね。『生きるか死ぬか』って言われましたから。過去をがんばって乗り越えたから今があると思うんです」

「生きるか死ぬか」。
異変が起きたのは今から7年4カ月前、2013年の11月12日だった。

■“テニスボールくらい”の出血が…

「自宅マンションの前に着いたとき、夫が『頭が痛い』と言って座席に倒れ込んでしまったんです。車から降りない、正確には降りられない様子で、これはただならぬことだと思いました」

歌舞伎座での出演を終え、妻・中村香璃(かおり)の運転する車で自宅に着いたところで、福助は動けなくなった。
香璃はそのまま近所にある東邦大学医療センター大橋病院に福助を運ぶ。

「病院に着いた時、夫はぐったりしていましたが、『お名前は?』と聞かれて自分の名前をちゃんと答えていました。そのあと、処置室に連れて行かれました」

香璃から連絡を受け児太郎は病院に駆けつけた。その時点での医師の説明は「軽度の脳出血」。
ところが…

「先生が急にバタバタし始めて、どうしたんですかって聞いたら『意識状態が悪くなったからもう一度CTを撮ります』と。CTを撮ったらさっきの3倍くらいの出血をしていて、画像を見たら素人でもわかるわけですよ。出血部分がテニスボールくらいあるんです」(児太郎)

香璃と児太郎は、福助が翌春に「歌右衛門」を襲名する予定であることを医師に伝えた。

「3月に襲名がある、と言ったら、医師からは、『今のお父様の状況から単刀直入に言うと生きるか死ぬか、良くて車いすだと思っていただきたい』って言われて、マジかと。あの時はあまりに想像を絶する言葉が来すぎて、良くわからない感情でしたね」
 
当時児太郎は19歳。
緊急手術が成功し、命の危険は乗り越えた。
だが歌舞伎役者・福助と家族の試練はさらに続くのである。

■医師を後押しした妻の言葉

手術の1週間後、福助はリハビリのため、東京・港区の慈恵大学病院に転院した。
リハビリテーション医学講座主任教授の安保(あぼ)雅博の手元に、当時の脳の状態を写したMRI画像がある。

左脳で手や足を動かす命令を出す「運動野(うんどうや)」の辺りが真っ白になっている。
大規模な出血の跡だ。

「脳出血の中でも巨大な脳出血です。それが右半身の片まひを引き起こした典型的な例ですね」

半年後の画像も衝撃的だ。
当初は真っ白だった部分がぽっかりと開いた穴のように黒くなっている。
脳細胞が欠落してしまったのだ。
その部分は二度と元通りになることはないという。

画像だけ見れば悲観的な状況… だが安保は、福助の回復に光明を見出していた。
「実際に福助さんを見ると、体幹がすごくしっかりしているんですよ、普通の人よりも。これはうまく訓練すれば、いいところまでいけるかもしれない」

“女形”としての美しさを追求する中で鍛えられた体幹。安保は長年の経験から「いける」と確信した。

妻・香璃から言われた言葉も後押しになった。
「奥さんが、(夫は)絶対に舞台に戻りますからと言うんですよ、僕に。なのでこちらは、わかりました、やれることは全部やりますからと」

勝負は最初の1か月半。
「特に最初の1か月半はものすごく大事なので、その期間はできるだけのリハビリをやったつもりです。もうこれ以上のことはできないというくらい、やりました」

■「奇跡は起こせると信じている」

穏やかな日の光が差し込むその部屋に、時折うめき声が響いていた。
慈恵大学病院リハビリテーション室。右腕を上げる訓練中の福助が挙げる苦悶の声である。

まひによって、どうしても固まりがちになる腕や脚の筋肉を意識的に伸ばす、
その時に出てしまう痛み。そんなリハビリを、歯を食いしばりながら地道に続けてきた。

慈恵大学病院ではこうした通常のリハビリと、「反復性経頭蓋(けいずがい)磁気刺激療法」という治療法とを併用して効果を上げているという。

障害を受けた脳に対し、コイルを使って頭の外側から磁気刺激し、機能を活発にする治療だ。
脳の一部は欠落してしまったが、それ以外の部分でその機能を肩代わりできるよう、繰り返し訓練を行ってきた。
 
これまでのリハビリを振り返って児太郎は言う。

「家族がお願いしますと言って先生たちが、無理ですよとかやめましょうとか言うことはなかったですね。逆に、こういうのはどうですか、ああいうのはどうですかというのをずっと言ってくれました。先生たちが全くあきらめなかったから、こちらもじゃあ一緒に頑張らせてください、と」

リハビリを始めて2年が経った2015年12月のインタビューで安保はこう答えている。
「舞台に復帰できたら、それは奇跡に近い」。
ただ続けて、「奇跡は起こせると信じている」とも語っていた。
 
そして2018年9月、本当にそれは起きた。

復帰の舞台では座ったまま、左手と表情で慶寿院尼の心情を表した福助。
その様子を客席から観た安保は心から驚いたという。

「びしっと座って、すごく滑らかにしゃべっていたし間違わないし、すごいなーと。リハビリやって良かったな、頑張ってやって良かったなと思いましたね。それと…『もうちょっと良くなってもらおうかな』と(笑)」

実はリハビリの世界ではかつて、脳卒中によるまひは、半年を過ぎるとほとんど改善しないというのが通説だったという。
だが安保は、やる気と周囲のサポートさえあれば何年経っても患者は良くなると確信している。

「若くてもやる気がなかったら良くならないし年をとっていても、やる気に加えて、こういうステップを踏めば良くなるという指標があれば、半年過ぎても良くなると感じています。比較的若くてなおかつ、やる気があるならさら良くなる可能性は十分あると思います」

■児太郎が同じ境遇の人たちに伝えたいこと

今年2月、東京・世田谷区。
小田急線の成城学園前駅にほど近いビルの一室で、福助と児太郎の親子が、三味線の音に合わせて踊っていた。
3月下旬に有料配信する動画の撮影だ。

演出役も担った児太郎は動画を制作する意図について、こう語る。
「コロナ禍もあって父がなかなか舞台に立てない中、一生懸命リハビリしてチャレンジしている、その姿を少しでも多くの人に見て知ってほしいんです」

新型コロナウイルスの感染拡大により歌舞伎界も大きな打撃を受けた。
東京・歌舞伎座での公演は去年3月から5か月間、中止。
その後、対策をとったうえで再開されたが、いまだ闘病中の福助は、舞台出演がままならない状況だ。

その福助が今、カメラの前で踊っている。 
左手に一輪の花を持って、体の動く部分、働く機能を最大限に使って、舞う。

今回の動画のために作られた曲のタイトルは「光福(こうふく)」。
疫病に覆われた世界で人々が耐え忍ぶ中、東の空から天の声が届き希望の光が射すというストーリーだ。

コロナ禍で閉塞感が漂う今の社会に、明るさを届けたいという思いと、福助が前向きに進む姿とを重ね合わせた曲だ。

家族が脳出血という病になって初めてわかったリハビリの大変さ、社会復帰の難しさ。
児太郎には、同じような境遇の人たちに伝えたいことがある。

「『やってもダメだ』って父も言っていました。『やってもダメ』、でもやり続けたから歩いて踊れるようになる。少しずつしゃべれる、手が動くようになる。やめなかったから今があると思うんですよね。やめたらおしまいなんです。
同じような病気で苦しんでいる方、リハビリが大変な方、あるいは違う病気で苦しんでいる方たちにも、奇跡は起こるかもしれないということをお見せできたらいいなという気持ちです」

児太郎自身、父が不在の間に女形として大きく成長、“大役”とされる役を何度もつとめるまでになった。
中村福助と児太郎… 夢をあきらめない親子は、これからも共に歩んでいく。

「多分父にはまだまだできないことやしんどいこと、制約がいろいろあって苦しむと思うんですよ。それでも、一番近い目標である『歌右衛門になりたい』という夢をかなえるために、今を積み重ねていく。せっかくここまで来たなら頑張ろうよって思っています」


報道局 佐々木 毅

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