米軍施設を五輪の選手村に ワシントンハイツ返還[2021/07/20 20:00]

1964年の前回のオリンピックに向けて、東京はインフラ整備が急ピッチで進み、景色が大きく変わりました。
当時の映像を、シリーズで公開します。

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アメリカ軍の駐留施設、埼玉県のキャンプ・ドレイク(朝霞キャンプ)と東京・代々木のワシントンハイツの映像です。
オリンピックの選手村として使うため、アメリカ軍の駐留施設を返還してもらう交渉が始まります。
当初は朝霞キャンプの一部とワシントンハイツの両方が候補地として挙がっていました。

1961年05月10日、東京オリンピック組織委員会は、赤坂プリンスホテルで緊急総会を開き、対策を協議しました。
初代会長の津島寿一氏、大河ドラマ「いだてん」で知られる事務総長の田畑政治氏の姿が見えます。

都議会の五輪実行特別委員会も議題として取り上げ、
いままでのいきさつを都側に説明を求めました。
東龍太郎都知事が答弁に臨んでいます。

同じ日に政府も官邸で東京五輪準備対策協議会の幹事会が開催されました。

この日は、朝霞キャンプとワシントンハイツの1部返還を実現するようアメリカ側と再交渉することを決定しました。

藤枝泉介総務庁長官:「根本的に朝霞地区に立派な選手村を作るという方針のもとに色々折衝をやろうと。すなわち向こうの回答によりましても一部は返還してもよろしいという地域もありますし、また、一時使用といっても色々そこに建てる建物等の問題もございましょうからそれらを含めて具体案を事務当局で今週中くらいには作りまして、そして外務大臣が中心になってアメリカ側と折衝ををする。一方、ワシントンハイツについては、全面的に返還をしていただくと。これは東京都あるいは地元の非常に強い要望でもありますから、しかし、その実施にあたっては年次計画を作ってやっていきたい」


空から見たワシントンハイツの映像です。
1961年10月、アメリカ側が日本が移転費用を負担することなどを条件にワシントンハイツの返還に応じました。
東京都議会は10月16日と17日、全員協議会を開いて協議し、都心と朝霞キャンプを結ぶ環状7号線など、建設中の五輪関連道路を既定方針通り完成させるなど、5項目にわたる条件を出し、「これらの条件が閣議で決定されるならワシントンハイツへの選手村変更もやむを得ない」との結論に達しました。

小平久雄総務庁長官:「なるべく、明日の閣議において、こちらの点について、政府として了解を決めておきたいと、こう考えております。ただ正式の閣議決定は、組織委員会の正式な決定を待ってこれを行う、こういうことになると思います。それから続いて米軍からのワシントンハイツの返還等について、正式の交渉に入るとこういう段取りを考えておるわけであります。

オリンピックまで10カ月、1963年12月10日、ワシントンハイツでは米軍人、家族の引越しが終り、施設返還式が行われました。
日米の国旗旗が半旗なのは、11月22日に暗殺された故ケネディ大統領に哀悼の意を示したものです。
ロッキー中佐から高野防衛施設局管理課長に鍵の束が手渡されました。
セレモニー後は、星条旗に代わってオリンピック旗が掲揚されました。

※この映像にはナレーションはありません。ご了承ください。

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