「私の使命」76回目の終戦の夏“語り部”の思い[2021/08/13 23:30]

15日は、76回目の終戦記念日です。新型コロナウイルスの感染拡大で活動が制限されるなか、それでも伝え続ける被爆者の思いを聞きました。

9歳のころ、長崎市内の自宅で被爆した羽田麗子さん(85)。県外の企業にオンラインで被爆体験を話しています。羽田さんは、いつも兄のように慕っていた近所の医学生の被爆の様子を語ります。
羽田麗子さん:「髪の毛はじりじり。 上半身は裸、 ズボンはボロボロ、足は裸足。一点を見据える状態で、すっすっすと近づいてこられる。声をかけることさえもできなかった。通り過ぎるときに、後ろを振り返ったら、お兄ちゃんの背中にガラスが、いっぱい刺さっていた」
間もなく、医学生は亡くなったということです。

羽田さんは、30年前から被爆体験の講話を始め、年間70回ほど行ってきました。しかし、去年の新型コロナの感染拡大以降、ほとんどの講話が中止になりました。今年の6月からオンライン講話を始めましたが、戸惑いを隠せません。
羽田麗子さん:「きちんと伝えるためには、相手の表情とか見ながら、『わかってるかな』『ダメかな』と考えながら、話を構成していくので、やっぱり本当は全体の顔が見たい」

それでも、羽田さんは、被爆証言を続けていくと話します。
羽田麗子さん:「被爆者の平均年齢を私も超えてしまった。オンラインであれ、何であれ、どんなことをしてでも伝えていこうと思っている」

広島市内で被爆した在日韓国人2世の李鐘根(イ・ジョングン)さん(92)。9年前から、語り部として活動しています。李さんも、またコロナに翻弄され続けています。
李鐘根さん:「スケジュール表だが、8月に入った予定がキャンセルになったのがある。まだまだ(キャンセルは)あると思う。残念の極み」

今月、埼玉県で予定されていた講話も感染拡大を受け中止となりました。地元の人も心待ちにしていました。
地元の中学生:「体験した方から聞くのと、ネットとかで調べるのでは、実感することも違うし、生で聞きたいなと思った」

李さんは、現在、オンライン講話やYoutubeなど、手探りで被爆証言を続けています。また、地元の高校生らと協力して、被爆当時を再現した絵も描きました。李さんは、直接、会って伝えることを大切にしてきました。
李鐘根さん:「対面の方が心が通じ合える。目を見ながら話をするので、やはり生を見るというのと、オンラインとは全然違う」

76回目の終戦記念日で93歳。李さんは、体力が続く限り、核廃絶を訴えていきます。
李鐘根さん:「原子爆弾というのは、76年後の今の私の体にもそれが残っている。『恐ろしい兵器だから絶対になくそう』この話は、絶対に続けていかなければいけない。私の使命だと思っている」

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