日本ロケット黎明期 秋田の実験場“カッパ”の軌跡[2021/12/15 19:30]

東京大学・生産技術研究所の糸川英夫教授のもとに多くの研究者が集まり、
そして企業が賛同し、日本のロケット開発が始まります。

この映像は、秋田県で行われた「カッパロケット」開発の1959年から1962年までの記録です。
東京・国分寺の工場跡地で1955年に制作された全長23cmの「ペンシルロケット」から始まった研究は、「ベビーロケット」、そしてこの「カッパロケット」へと発展していきます。

本格的な飛翔実験のため、文部省が中心となって場所の選定を行い、
1955年に日本海に面した秋田県由利郡岩城町、現在の由利本荘市の道川海岸に日本で最初のロケット打ち上げ場が建設されました。
正式名称は「秋田ロケット実験場」です。

集合写真撮影の看板にはMARCH 11 1959と書いてあります。
この映像は「カッパ6型RS3号機」の打ち上げる際のものです。
風と気温を観測するためのロケットでした。

数日後に迫った発射に向けて準備が進んでいます。
「カッパロケット」では、金属に加えて強化プラスチックを採用するなど、ロケットの改良が繰り返されました。
ちなみに「カッパロケット」の「カッパ」の語源はギリシャ文字の「Κ(カッパ)」。
名前をつけるのに苦労した糸川教授が、日本の妖怪「河童」と同じその語感のよさから命名しました。

その後、糸川教授らが開発するロケットはアルファベットの順番通りラムダ(Λ)、ミュー(M)と、ギリシャ文字を使用することになります。

「カッパ6型RS3号機」が発射台に取り付けられました。
設置には梯子も使われているようです。糸川教授は屋内でスタンバイしています。
本番さながらのカウントダウン。スイッチが入れられます。
屋外のスタッフと屋内のスタッフが交信しています。
丸い窓はロケットの機体のものでしょうか。
テストが繰り返されデータが記録されます。

スタッフのデスクには書類が山積みです。
並んだボタンの上に「ランチャ角度セット」「コントローラースタート」など、丁寧な手書きの文字が見えます。
電光で表示をする機械もあります。
計器の最終チェックが進められます。

3月17日、いよいよ打ち上げです。
初代2mレーダのパラボラアンテナが首をふります。
見守る人たちの中には、頭に手ぬぐいやスカーフをかぶった地元の住民もいます。
じっと、その瞬間を待ちます。
警察官は無線機で連絡をとっています。

いよいよ発射です。
カッパ6型RS3号機は晴れた空に白い軌道を残し、ぐんぐん上昇していきます。
海に何かが落下しました。

糸川教授が記者会見に臨んでいます。
打ち上げ自体は上手くいったものの、切り離した機器が回収できず一部予定通りにいきませんでした。

同じ年の11月、その年度の第1次観測ロケットの発射実験が行われます。
格納庫からゆっくりと出てきたのは、「カッパ7型1号機」です。
発射の仰角は80度。機体の全長は6.71メートル、外径42センチ、重さ11トンです。
発射の最終準備が進みます。

計器の前にはジャンパーを着たスタッフ。
糸川教授も書類に目をおとします。
打ち上げ時間は午後2時3分。
スイッチが押されました。
発射された機体はあっと言う間に曇り空に消えていきました。
「カッパ7型1号機」の打ち上げは成功しました。

翌1960年3月の映像です。
28日に予定されている「カッパ8D型」打ち上げ準備の様子が前日に公開されました。
観測班は、景気の点検やデータのチェックなどで忙しそうです。
この映像では、当時の秋田ロケット実験場の全貌が分かります。
アンテナが立っている“塔“の他は、平屋の木造の建物で、テントも見えます。

この日は、アメリカから科学者が見学に来ていました。
記者らの前に、ロケットが、姿を現しました。
トレーラーでゆっくりと、カッパ8D型が発射台に運ばれます。
強風でメモが煽られます。
発射台の固定も手作業があるようです。
日本海の荒波と発射を待つロケットを背に、
日本のスタッフとアメリカの科学者らが記念撮影です。

こちらのロケットは、「カッパ8型1号機」。
同じ1960年の7月11日、午後1時24分の発射予定です。
その前に風速を調べる白い風船気球が上がります。
新型の観測用ロケットは、発射後38秒で上空110キロに達し、打ち上げは成功。
1955年に秋田ロケット実験場で発射実験を開始してから、69発目のロケットでした。
カッパ6型の打ち上げも継続されていました。

9月17日に発射されたのは6型18号機です。
発射98秒後には最高高度46.5kmに達し、実験は成功しました。
結果を発表したのは、実験主任の森大吉郎助教授でした。

翌1961年3月26日、ランチャーに乗っているのは「カッパ9L型1号機」です。
日本初の3段式ロケットの打ち上げ準備が進んでいます。

6日後の4月1日、警察官らが見守る中、全長12.5メートル、重さ1.53トンの「カッパ9L型1号機」は仰角80度で日本海に向けて発射されました。
高度310kmに到達し、打ち上げは成功します。

秋田ロケット実験場は1962年5月の失敗した打ち上げを最後に役目を終えます。

なお、現在、由利本荘市の秋田ロケット実験場の跡地に、施設は存在せず、海岸に「日本ロケット発祥記念之碑」が建立されています。

糸川教授はロケット開発や宇宙開発を先導し、「日本の宇宙開発の父」と呼ばれるようになります。
東京大学・生産技術研究所の宇宙開発は現在のJAXA宇宙科学研究所へと受け継がれています。

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