ロシアによるウクライナ産小麦の略奪疑惑…このうち少なくとも10万トン前後がシリアに“密輸”されたとみられることがわかった。1カ月に及ぶ“疑惑の貨物船”の追跡で浮かび上がったのは、何かを隠そうとするかのような貨物船の“不自然な動き”だった。
◆記録に残された“疑惑の貨物船”の足取り
アメリカのCNNが5月初旬、「ロシア保有の貨物船『マトロス・ポジニッチ』号が、ウクライナから略奪した穀物をシリアに密輸している」と報じた。これが取材を始めたきっかけだ。記事にあったのは、「最も可能性の高い目的地はシリア」というウクライナ当局の見立て。略奪小麦は本当にシリアへ輸送されたのだろうか?それを自分の目で確かめたいと思い、船舶追跡サイト「マリントラフィック」のモニターを始めた。
マリントラフィックは、船から発信されるAIS(船の位置情報・航行速度などの情報が含まれた信号)を地図上に反映する。いつ、どこを、どのくらいの速度で航行したかなどが確認できる。約1カ月間、動向の確認を続けた。その結果、ポジニッチ号は5月、クリミア半島付近からシリア方面へ2往復していることがわかった。
ところが…。航海記録を細かく確認すると、ポジニッチ号はシリア付近でUターンしているように見える。シリアの港に着岸していないのか?さらによく見ると記録には破線部分がある。AISが最後に発信された日と、再開された日の位置を結んだもので、実際の航行経路ではない。これは、AISが一定期間発信されなかったことを示している。AISが途絶えたのは、5月5日〜12日と5月25日〜6月1日。そう、2往復ともシリア沖合でAISが途絶えているのだ。
船からの発信がなくなったことについて、神戸大学大学院の若林伸和教授(航海学)は、船が発信を意図的に切っていた可能性があると指摘した。
そもそも航海中にAISを一切発信しなければ、記録を残さずに済むのではないか。これについて若林教授は、「発信しないことで周囲の船から不審に思われる可能性があり、安全面を含めてAISを出していたのでは」と話した。
◆宇宙から丸見え 衛星画像が捉えたシリア“着岸”の証拠
ではAISが途絶えた間、ポジニッチ号はどこへ行ったのか?その答えは、宇宙から撮影された衛星画像にあった。
アメリカの衛星運用会社「Maxar Technologies」が5月8日に撮影した画像には、ポジニッチ号とみられる貨物船が写っている。船倉を覆うハッチカバーが開き、備え付けのクレーンで貨物をトラックに移す作業をしているように見える。港には順番待ちをしているのか、10台以上のトラックが列をなしている。
ポジニッチ号からのAISが途絶えたのは、5月5日から12日。画像が撮影されたのは5月8日。AISが途絶えた期間に、ポジニッチ号はシリア・ラタキア港にいたとみられる。5月、2回目の航海となった27日にも、ラタキア港に接岸した様子が衛星画像に収められていた。やはりポジニッチ号は、5月中に2度、シリアの港を訪れたことは間違いなさそうだ。果たして船から降ろされた貨物は本当に小麦なのか?そうであるなら、どれだけの量が荷下ろしされたのか?
◆“密輸”の謎を解くカギは「喫水」にある
マリントラフィックには、船が水に浸かっている深さを示す「喫水」も表示される。若林教授は、密輸を把握するのには喫水を見ることが重要だと教えてくれた。若林教授は「船が入港したあと、喫水が減ってから出港するというのは積み荷を降ろしたということになる」と話した。
ポジニッチ号は5月5日からAISが発信されなくなり、12日に再開された。5日に9.8メートルだった喫水は、12日には5.3メートルに変化している。「喫水が浅くなった」ということは、「船が軽くなった」ということ。つまり、この間にポジニッチ号は、荷物を降ろしていたことがわかるのだ。
この喫水の変化から、ポジニッチ号が運んだ物資の量は1万5千トンから2万トンであったことが若林教授の分析で分かった。若林教授は「この船の最大積載量が2万8千トン程度ということから、輸送した貨物量は、おそらく満載の半分強くらいだったと計算される」と話した。
ポジニッチ号の足取りが徐々に明らかになってきた。こうした客観的証拠をもとに、私たちは関係当局への裏取り取材を並行して行った。
◆「小麦をシリアに密輸」ようやく届いた1通のメール
「何もコメントできない。」ポジニッチ号を所有する会社(ロシア)に取材を試みたところ、電話をすぐに切られてしまった。運行を管理する会社(ギリシャ)にも質問を送ったが、6月15日現在、返信はない。
シリアには国内事情に詳しい通訳を介し、港湾当局に電話したところ、「盗聴されたときに聞こえる特有のノイズがした」という。先方は外務省に正式な手続きをするようにと言うと、電話を切った。シリア外務省は途中で電話がつながらなくなってしまった。
その後も、トルコやエジプトなど周辺国に取材範囲を拡げ、関係部局への問い合わせを続けた。しかし、有力な証言はなかなか得られなかった。
6月8日、1通のメールが届いた。差出人は、レバノンにあるウクライナ大使館。「ウクライナの小麦がシリアに密輸された」という内容。大使館によると、当初ポジニッチ号はシリアではなく、レバノンの首都・ベイルートを目指していたという。レバノン港湾当局も取材に対し、「この船がレバノンに向かっているという情報をウクライナ大使館が伝えてくれた」と述べたうえで、ポジニッチ号の入港を禁じたのは事実だと認めた。
さらに、在レバノンのウクライナ大使館は、「ポジニッチ号以外に別のロシア貨物船2隻が密輸に関与している」という。これらの船が2万7000トン程度を積載できるとしたうえで「シリアへ密輸された小麦は13万5千トンに上る可能性がある」と主張する。仮に事実であれば、日本人一人当たりの年間小麦消費量に換算すると約430万人分に相当する膨大な量だ。大使館は、「(ロシアが密輸したウクライナ産小麦について)法的機関も犯罪案件として現在調査を行っている」と述べた。
一方、小麦をめぐる一連の問題についてロシア大統領府のペスコフ報道官は、「そうした情報はない、フェイクだ」として、自国の関与を否定している。
◆そしてポジニッチ号は、3度目の航海へ…
今回の取材では、1隻の貨物船がクリミアからシリアに“何か”を大量に複数回運んでいることがわかった。シリアを介して中東など、さらに別の国に小麦が再輸出された可能性を指摘する海外報道もある。事実ならばシリアへの密輸の目的は何なのか、一旦シリアへ密輸された小麦はどこへ向かったのか…新たな謎も湧いてきた。
改めてマリントラフィックを確認してみる。6月17日、ポジニッチ号はキプロス沖を東に向かって航行していた。このルートの先にあるのは、シリアだ。
テレビ朝日社会部 ウクライナ侵攻専従取材班 西井紘輝
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