社会

2022年8月7日 10:30

コロナ第7波直撃の歌舞伎界 脳出血の後遺症と闘う中村福助がそれでも舞台に立つ理由

2022年8月7日 10:30

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歌舞伎界が再びコロナの荒波を受けている。
歌舞伎座での「七月大歌舞伎」は人気役者を含め関係者に計66人の感染者を出し、途中で全公演が休止となった。

8月も依然、厳しい状況が続く中、4日間の“自主公演”という形で舞台に立とうという役者がいる。9年前、脳出血に倒れ、「右半身のまひ」と「失語症」という重い後遺症を抱えながらも、過酷なリハビリを経て舞台に復帰した中村福助(61)だ。

生の舞台で初めて披露する踊り。そこにはコロナ禍だからこそ伝えたい福助のメッセージがあった。共演する息子・中村児太郎(28)が父の思いを語った。

■ 新作舞踊に込めた福助の強い思い

その動きから目が離せなかった。
新作の踊りを舞う、稽古着姿の中村福助。
右半身がまひしているため、動かせるのは左手だけ。
右足につけている装具が、足を運ぶたびにガツンという音を響かせる。
決してなめらかではない動き、なのに優雅で、それでいて力強い。

ここは東京都内の稽古場。8月9日から始まる自主公演「第一回中村福助・児太郎の会」(東京・赤坂「草月ホール」)の稽古が行われている。

公演のメインとなるのが新作舞踊「光福(こうふく)〜華〜」だ。まず児太郎がひとりで登場、続いて福助がひとりで演じ、クライマックスは親子共演での踊りとなる。
その最後の場面、稽古でありながら福助の気持ちのこもった踊りに驚かされたのだった。

実はこの「光福」、最初に披露されたのは2021年の春だ。ただその際は事前に収録したものを限定的にインターネットで配信しただけだった。
当時、収録の様子を取材したのだが、その時に比べて福助の動きにキレが増しているように感じた。

「以前の『光福』は配信だったので、今回、舞台に立ってお客様の目の前で披露できるのをすごく楽しみにしていると思います」
妻・香璃が、今の福助の心境を代弁する。
「夫はずっと舞台に出ていたい人。それが毎日毎日リハビリで、いつ舞台に戻れるかわからない、その頃は本当につらそうでした。そういう時期が長かったので最近は、今、自分ができ得る限りのことをしようと思っているようです」

■ 逆境を乗り越えた福助だから伝えられるもの

福助自身の思いがこもった、この「光福」。
疫病に覆われた世界で人々が耐え忍ぶ中、東の空から天の声が届き希望の光が射すというストーリーだ。
コロナ禍で閉塞感が漂う今の社会に明るさを届けたいというテーマが、前向きに進む福助の姿と重なり合う。

作詞作曲を担当した三味線奏者・杵屋五吉郎(きねや・ごきちろう)は、こう説明する。
「始めに暗い閉塞された世界があって、そこから明るい世界に向かって開けていって、最後は天の声が聞こえてくる。私自身、福助さんの復帰の舞台にとても感動しましたし、これから希望に向かっていくという部分はリンクしているなと思いながら作らせていただきました」

2013年、女方(おんながた・女の役を演じる男の役者)の大名跡である「中村歌右衛門」の名前を継ぐことが発表された福助。
翌春の襲名披露公演に向けて準備を進めていた11月12日、突然の病が福助を襲った。

脳出血。生命の危険があるほどの大規模な出血だった。
緊急手術により一命は取りとめたものの、左脳の一部が機能を失い、右半身のまひ、そして言葉がうまくしゃべれない「失語症」という重い後遺症を抱えることになった。

それから9年。
懸命のリハビリを続けた結果、2018年9月には歌舞伎座で復帰を果たし、その後もコンスタントに舞台に立っている。
かつてのように流暢なせりふは話せないし、激しい動きもできないが、少しずつ前に進み続けてきた。
そして今回、自主公演という形で、息子・児太郎とともに舞台に上がるのだ。

児太郎が言う。
「父自身が悩んでることはいろいろあると思うけれども、今回、自分のメッセージがいっぱい入っている『光福』をさせていただけることになり、本人は本当に幸せそうな顔をしています。舞台人としてもあきらめずに頑張ってくれてよかったなと思っています」

■ 「今、舞台に出ていいのか」 続く自問自答

歌舞伎界は今、再び試練にさらされている。

三部制で行われていた歌舞伎座の「七月大歌舞伎」は7月19日から千秋楽まで、すべての公演が中止となった。
第二部に出演していた福助と児太郎も、19日以降、舞台に上がることはできなかった。

松竹はこの「七月大歌舞伎」についてホームページに報告文を掲載。7月公演の期間中、関係者の陽性者が66人にのぼったと明らかにした。その中には市川猿之助や尾上菊之助といった人気役者たちも含まれている。

松竹によれば、「公演に先立ち、劇場全体で数百名に及ぶ事前の一斉PCR検査を行い、全員の陰性を確認したうえで」稽古に入ったとしているが、いざ公演が始まって、体調不良者が続出、さらに周辺の検査でも大量の陽性者が出てしまった。
結果的に「第7波の伝播(でんぱ)力を押さえこむことができなかった」と認めざるを得なかった。

コロナ禍の中で、これまでも休止を繰り返してきた歌舞伎の公演。
予定されていた舞台が直前に突然なくなってしまう。数カ月間、予定がぽっかり空いてしまう…
そんな異常な事態が続き、それは児太郎の心境にも大きな変化をもたらした。

「この3年間、公演の中止が普通になる、それまで当たり前だったことがそうではなくなるというのに直面すると、このまま歌舞伎をやっていていいのか、とか、そもそも歌舞伎が10年後20年後、あるのか?とか考えざるを得なかったですね」

“第7波”で全国の感染者が急増しているというニュースを聞くたびに、強いジレンマに襲われる。

「舞台に出ていいのかというのは毎日自問自答しているし、実際、世間では、今舞台をやるなんてどうかしてるよと思っている方も多分いらっしゃる。でもそれが自分たちの生業である以上、少しでも楽しみにしているお客様がいらっしゃるのであれば、舞台をやり続けて、お客様にメッセージを届けていきたい。父ががんばってるということを皆様にお見せすることができたら、少しはメッセージになるんじゃないかなとも思います」

■ 病気に苦しむ人たちに広がる「共感」と「希望」

2021年秋、テレビ朝日のドキュメンタリー番組の中で、福助は初めて、脳出血の後遺症と闘う姿を「公開」した。

器具を使って行う右手や右足のリハビリ、「箸」や「汗」といった単純な単語を発音するのも難しい「失語症」の現実。女方を代表する人気役者だった福助が見せたありのままの姿は、多くの共感を呼んだ。
その後もSNSを通じて、トレーニングを兼ねた散歩の様子や言語の訓練を公開している福助。反響は大きいという。

「今まで同じ病気で苦しんでいた方たちが、父の姿を希望の光としてとらえてくれている、自分もがんばりたい、一緒にがんばりましょうという連絡を父のSNSに毎日のように寄せていただいています。
そういった方たちは劇場に足を運ぶのが難しいかもしれませんが、父ががんばってるというのが伝われば、じゃあ私たちもがんばろうと思っていただけるんだと思うんですね」(児太郎)

「光福」で福助が演じるのは「人々を照らす光のような存在」なのだという。
福助は、舞台だけでなく自らの生きざまで、人々にとって「光のような存在」になろうとしている。

「それぞれの方に苦しみ、葛藤があると思うんです。父もあきらめなかったから今があるんだし、今舞台で歩くことができるというのは本当に奇跡が起きたと思う。それでもこれからまだまだいろんな葛藤を乗り越えなきゃいけないと思うんですよね。ただ、明けない夜はない。
今回、舞台をご覧になる方に、がんばったらいいことあるんだよということをお届けできればいいなと思っています」

テレビ朝日報道局 佐々木毅

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