【パンダ来日50年】歓迎!カンカン・ランラン 昭和のゆるかわ&怒涛の見物客 1972年[2022/10/28 10:00]

ちょうど50年前、1972年10月28日、日本に初めてジャイアントパンダがやってきました。
メスのランランとオスのカンカン。
かわいらしいルックスで一躍大スターになり、空前のパンダブームを引き起こしました。


■上野に一大ブーム到来 愉快な見た目のパンダも…

パンダを受け入れる上野動物園を擁する東京・上野は来日前から、沸いていました。
街中、パンダだらけです。

店頭でぬいぐるみを販売する店員:
「いらっしゃませ!
 きょうはパンダが来ます。
 生きてるのはどのくらいするか知ってます? 1億円。
 ここで買いますと1000円で買えるんですよ。
 いらっしゃいませ」
客:
「きょう来るんでしょ?」
店員:
「きょう来るんですよ。いらっしゃいませ!」

おもちゃ売り場には着ぐるみの“パンダ”が登場。
子どもの反応は…悲鳴を上げて逃げてしまいます。
親子パンダのぬいぐるみには、なんと1万8000円の値札!
太鼓をたたくおもちゃは、ちょっと舌を出しているのが昭和っぽい感じです。

上野動物園の来園者:
「早く見たいみたい。きょうもパンダちゃんいるかしらなんて、待ってるんですけどね」
「単純でかわいらしいところがいいんじゃないですか」
「なんとなく見たところが愛嬌があるっていうんでしょうか」

到着する前から、盛り上がる上野動物園。
スターを迎える準備が急ピッチで進みます。

■急遽決まった来日 手探りの受け入れ

パンダの飼育についての事前情報も少ないようです。
飼育員のインタビューも、現在聞くと驚くような内容です。

上野動物園の飼育員
「東京の光化学スモッグとかね。
そういうことを心配されるむきが多いんですけれども、それは心配なのは当然なんですが、もしそれがパンダに対して非常に悪影響を及ぼすということが分かれば、それはそれでまた、色んな対策を考えるのは可能だろうというふうに思います」

「それからもうひとつ、ロンドンのチチ(姫姫)がこの前死にましたね。
あれを解剖してみたましたら、胃袋の中にチューインガムだとかね、ボタンだとか、お客さんが投げたものがかなり入っていたわけですね。
そういうこともありますので、動物園に来て、かわいいですから餌をやりたいという気持ちはよくわかるんですけども、これは絶対やってもらいたくない。」

「それから非常にかわいい感じですからね。
乗り越えて抱きしめをしたいという誘惑があると思うんです。
でもそういうのも、とにかくパンダがよく落ち着いて、非常に人に慣れて、表へでも連れて出せるようになったら、そういうこといくらでもできますのでね。
しばらくの間はね、パンダの好きなようにさせてやってほしいというふうに思います」

■地元の商店も盛り上げ

パンダ関連の本の山を前に、書店員も意気込みを語ります。

「28日に来るっていうところを、ピークにもっていって、こちらの方でも28日に盛り上がるように宣伝なりなんなり、一生懸命打っていきたいと思ってますけどね。
今伸びてる最中ですからね。
来た直前から今以上に忙しくなるんじゃないかと思いますけどね」

商店街の役員も地域一体で盛り上げようと、色んな策を練っていました。

「子どもさんがこの上野の地区は多いもんですから、各商店で全体で30万くらいになると思いますけど、一応パンダの帽子ですね。
これを作って、来たこどもさんに買う買わない別として、全部差し上げようと、こういうことを、これは決定しています。
それと地元のデパートさんは、協賛していただいて、パンダの形のアドバルーンを上げるということが今、進んでおります」

上野公園に歓迎の大きな看板が設置されます。
おおくまねこ。中国語でジャイアントパンダのことです。

■カンカンとランラン ついに羽田空港に

10月28日午後7時前。
「大パンダ」と書かれたコンテナが日本航空の特別機から降ろされます。
「蘭蘭さん」「康康君」と敬称付きのラベルが。
中国から、ついにジャイアントパンダがやってきました!

トラックに乗せ換えて、パトカーの先導で羽田空港を後にします。
沿道には大勢が集まっています。ぬいぐるみを持った子どもいました。
上野動物園の到着は午後8時半でした。

コンテナのカバーが開けられました。
オスのカンカンです。
昭和の子どもは、目の間が離れた愛嬌がある顔をしている方がカンカンと見分けたものです。
この時2歳でした。

メスのランランは4歳。
丸いお尻しか見せてくれません。
眠っているようです。

2頭は日中国交正常化を記念して、友好のシンボルとして中国から贈られました。
来日が発表されたのは国交正常化が実現した9月29日。
ひと月後には日本に到着したのです。
慌ただしい引っ越しでした。

■“パンダ外交” 大役を担っての来日

中国人民の友情の使者「パンダ」を歓迎する集い

カンカンとランランに付き添って来日した、北京動物園の飼育係3人を迎えて歓迎会が開かれました。

当時の友好ムードをさらに高める、まさしくパンダ外交。
飼育係の緒宏章さんは「2頭とも元気です」と挨拶しました。
上野動物園の浅野三義園長が歓迎。

会場のぬいぐるみは、ポスターの写真もあるのにあまりパンダっぽくないような…

2頭を運んだ日本航空のキャビンアテンダントによる花束贈呈です。
当時は「スチュワーデス」と呼ばれていました。

2頭は飼育係の緒さんが言うように元気なようです。
日本到着のわずか8日後に、一般公開を控えていました。

■パンダに会いたい! 一般公開前夜

こちらの男性陣、徹夜で一番乗りを狙うのでしょう。
本に寝袋で備えます。

近所の芸大の学生も垂れ幕を準備。
子どもが被っているのは商店街で配られたものでしょうか。

一般公開の前の日、11月4日です。
紅白の幕が張られ、パンダの「贈呈式」が行われました。

自民党の橋本登美三郎幹事長が出席しています。
パンダと言えばもちろん、黒柳徹子さん!
二階堂進官房長官に、記念の額が贈られます。

■その頃 主役のパンダは…2頭の見分けがつきますか?

一般公開に先立ち、この日、報道陣らに2頭が特別公開されました。
こちらはカンカンです。
活発に動きまわっています。

上野動物園に来ることが決まってから間がなかったため、
新しく建てたトラ用の檻を急遽パンダの新居に転用することになりました。
トラはというと、再び元の古い檻に戻されることになったのです。
パンダのために寝床や、観客と隔てるガラスなどが設置されました。
カンカンは新しい家にも馴染んでいるようです。

ランランの顔がよく見える映像です。
目の周りの黒い部分がカンカンより近いのが分かりますか?
体はカンカンより大きく、当時、美人さんだと言われていました。

令和のみなさんも、見分けられるようになりましたか?

■大フィーバー! 見物客殺到!! やっと会えた!!!

そして、ついに一般公開の日。門の前には、この長蛇の列です。

入場料は大人100円。
「客寄せパンダ」の語源になったカンカンとランランの面目躍如、大人気です。
上野だけでなく、列島を巻き込んでの空前のフィーバーでした。

警備員:
「押さないでください、押さないで」
「待ってください、待って」

警備員の絶叫空しく、パンダに向かって突進する人々。
初めて見るパンダにこんな感想も…

見物客:
「全然、“猫”なんて入ってないじゃんな」

ランランは群衆にも動じていないようです。
この時代にも“DJポリス”がいたんですね。

“DJポリス”:
「押し合わないで、歩きながらでも十分見ることができます。
立ち止まりますと後ろの方は見ることができません」

2時間並んで対面はわずか50秒ともいわれましたが、パンダに会えた子どもたちはきっと翌日、お友達に自慢できたことでしょう。

少年:
「かわいかった。テレビでは何回も見たけど」
幼い子どもたち:
「Q初めて見てどうだった
「かわいかった」「かわいかったぁ」

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