「藤井聡太の号泣」から10年目の“同い年対決”で伊藤匠五段が考えていたこと[2022/12/25 11:00]

11月29日、東京・千駄ケ谷の将棋会館「特別対局室」。
2人の若き棋士が盤を挟んで向き合った。

1人は、今や将棋の枠を超えた国民的スター、藤井聡太(竜王、王位、叡王、王将、棋聖の五冠)。
もう1人は、その藤井聡太を「泣かせた男」という異名を持つ伊藤匠(五段)。

ともに20歳の同い年対決が、タイトル戦の挑戦者争いという場で実現したのだった。
結果は大激戦の末に藤井が勝利。“絶対王者”の貫録を見せた。

「改めて実力差というものを感じました…」

戦いから半月あまり。インタビューに応じた伊藤は、そう振り返る。
既に5つのタイトルを持ち、将棋界の頂点に君臨する同い年との真剣勝負で、いったい何を感じたのか。

「対局中にも、感心させられてしまうところがありました」

27日に行われる対局で勝利すれば、6つ目のタイトルである「棋王」への挑戦権を獲得する藤井。

その強さを改めて印象付けた一戦を検証するとともに、伊藤匠にとっての藤井聡太はどのような存在なのか、話を聞いた。
(文中敬称略)

■ 「藤井を泣かせた男」の異名を背負って

「今は藤井さんは将棋界で本当にずば抜けた実力を持たれているという認識なので、悔しいとかそういう思いはあんまりなくてですね…」

同い年である藤井との立場が大きく開いてしまった現状について問うと、伊藤は淡々と答えた。
特徴的な低い声。
言葉数は少ないが、ひとつひとつの質問に真しに答えてくれる。

実は藤井と伊藤は2012年、小学三年生の時の将棋大会で対戦したことがある。
このときは伊藤が勝ち、藤井が号泣したという。
その後、プロ棋士となった藤井が次々と記録を塗り替えていくとともに、このエピソードは伝説へと変わっていった。

「藤井聡太を泣かせた男」。
プロになる前から、伊藤はそう呼ばれ注目されていた。
伊藤自体は当時のことは「あまり記憶に残っていない」と言う。

それからちょうど10年。
ともにプロ棋士となった2人は、8大タイトルのひとつ、「棋王戦」の挑戦者決定トーナメント敗者復活戦で相まみえることになった。

2人の公式戦での対局は、今年9月に放送された、早指し将棋のNHK杯(藤井が勝利)に続いて2回目。
だが、4時間以上の長い持ち時間での対局は今回が初めてだ。

藤井も、同い年との対戦について、「長い持ち時間の対局で対戦できることは楽しみにしていました」と語っている。

この対局に勝てば、敗者復活戦の2局目で羽生善治(九段)と対戦することになる。
お互い、タイトル挑戦に近づくための重要な一戦。
午前10時、藤井の先手番で始まった対局は、驚きの展開となった。

■ 「若さがほとばしっています!」

4時間の持ち時間がありながら、それをほとんど消費することなく、どんどん手を進めていく藤井と伊藤。

開始から1時間半、午前11時の時点で、83手まで進んだ。
将棋の平均手数が110手とされるから、異例の進み方だ。
消費時間は藤井が29分、伊藤に至っては15分しか使っていない。

序盤から中盤にかけての猛スピードについて、伊藤はこう振り返る。
「流行している戦法で、かなり盛んに研究されている将棋なので、お互い想定がかみ合った進行になったのだと思います」

序盤で大駒の角を交換する「角換わり」という戦法。
確かに今の将棋界で非常に多く指されている戦法ではある。
それにしても、だ。

ABEMAの中継で解説を務める伊藤真吾(六段、40歳)も「早い」を連発、ついにはこう叫んだ。
「若さがほとばしっていますね!」

だが伊藤匠にとっては驚くことではなかったようだ。
「想定をはずれて以降は難しい局面になるので、やっぱり想定しているところまでは時間を貯めておこうと、そういう感じですね」

実は今回の進行には前例があった。
9月に行われた王座戦五番勝負、永瀬拓矢(王座)対豊島将之(九段)の第2局と67手まで全く同じなのである。
2人はそれぞれ、この対局を深く「研究」してということだ。

現代の棋士たちはAIを駆使して過去の対局を分析、どこでどのように変化すればどちらが優勢となるのか、「研究」を尽くす。
AI時代の申し子とも言える若き2人の戦いは、どちらがより深く「研究」しているかの勝負となっていた。

■ 「藤井さんの認識の深さに興味があった」

藤井から4年遅れでプロ棋士になった伊藤だが、周囲は早くからその非凡さを認めてきた。
この日のABEMA中継で解説を務めた伊藤真吾は、奨励会時代の伊藤匠と「研究会」で初めて対局したときの衝撃を語っている。
「この人、違うなと思ったんですよ。駒組みとか指し手のセンスとかがもう、ちょっと違う感じがするな、と。口で表すのが難しいんですけど、何をやっているのかわからない感じなんですよね。『すごい人が研究会に入ってきたな』と思いました。絶対にプロになるな、と」

棋士になって2年目、2021年度の伊藤は目覚ましい成績を上げた。
勝率.818は藤井を上回り、全棋士のトップ。

快進撃は2022年度も続き、棋王戦の挑戦者決定トーナメントで、三浦弘行(九段)や永瀬拓矢といった実力者を撃破。
ベスト4に進出してついに藤井との直接対決にまでたどり着いたのだった。

この対局での心境について伊藤は振り返る。
「今回は正攻法の将棋で、お互いに研究が深そうな感じになりました。その中で藤井さんの認識の深さを知れたらという気持ちもありましたね。
そこは非常に興味があるところでした」

同い年でありながら、自分よりもはるかに先を走る男は、将棋をどこまで深く考えているのか。
単なる勝負を超えて、伊藤は対局相手の頭の中を覗いてみたいと切に願っていたのだ。

■ 流れを変えた「AI超え」の一手

午前11時前。
ようやく前例(永瀬・豊島戦)を離れた2人の戦いは、それでも驚異的なペースで進んでいた。
伊藤が飛車を、藤井が角を相手陣内に成り込み、盤上は早くも終盤に突入しつつある。
伊藤が藤井玉のすぐ近くに飛車を打ち、さらに歩を打って逃げ道をふさぐ。
藤井玉は絶体絶命に見えるが、ABEMAの将棋AIが示す「勝率」は、56%対44%で藤井がわずかにリードしている。

そして83手目、藤井の指し手が分岐点となった。
敵陣近くで、相手の歩を自分の歩で取り込む手。
ABEMAの将棋AIが推奨する上位5つにも入っていない、予想外の一手だった。

繰り返しになるが、藤井の玉はこの時、伊藤の攻勢にさらされている。
だが藤井が指したのは、どちらかというと攻めの手だ。
ただし相手陣内に直接働きかける手でもない。
この手が指された直後、中継画面に表示される「勝率」は伊藤へと傾く。
だが、伊藤は逆に警戒を強めていた。

「かなり研究してないと怖い手という印象なんですけれど、比較的早く決断されたので、研究範囲なのかなとは感じました」
(すごいことをしてくるなと感じました?)
「いや、それは感じましたね」

数分後、将棋AIの示す勝率は、53%対47%で藤井わずかに優勢の状態まで回復した。
するとこれは、いわゆる「AI超え」の一手なのか?

「想定になかった手で、そのあたりから考えることになりました」
意表を突かれた伊藤はこの局で初めての長考に沈む。

■ チームメートになって感じた藤井の強さ

ABEMAの将棋チャンネルで開催されている非公式戦のABEMAトーナメントは、将棋界唯一の団体戦だ。
毎回、各チームのリーダーがドラフト会議で2人ずつメンバーを指名してチームを結成する。
2021年に行われた第4回トーナメントのドラフト会議で、藤井は伊藤をメンバーに指名した。

直後、こんなコメントを残している。
「同い年なんですけど、あまりお話ししたことがなくて、今回をいい機会にできればなと思います」

伊藤にとっても、棋士になって半年、「全く交流はなかった」という藤井からの突然の指名だった。
「ほんとに、藤井さんに選んでもらって純粋にうれしかったというところですね」

ABEMAトーナメントのもうひとつの特徴は超早指し。
伊藤は正確な差し回しで並みいる強豪を次々破り、チームを決勝進出へと導く。
だが、先に5勝を挙げたチームが優勝という戦いで、本領を発揮したのは藤井だった。
伊藤が1勝1敗だったのに対し、藤井は3連勝。「チーム藤井」を頂点へと押し上げた。

同じチームで戦って藤井の印象は変わったのか。
「うーん、そんなに変わってなくて…やっぱり何というか、将棋が強い方だと、そういう印象ですね」

大会期間中は多くの会話を交わした伊藤と藤井だったが、その後、再び交流は途絶えたという。

■ 「藤井さんに完全に上回られた…」

再び棋王戦の戦いに戻る。
83手目、藤井の「AI超え」の一手の後も、伊藤は攻め続けた。
だが、どうしても決め手が見つからない。

「何か手はないかなと思っているんですけど… 何もないと藤井さんは間違えてくれないので、やっぱり苦しいのかなとずっと考えていました。
こっちの攻めが足りないのかなと感じていました」

藤井の玉は伊藤の攻めをするするとかわして上部に脱出、ついには伊藤陣内に突入する。
「入玉」だ。
やがて反撃に転じる藤井。拠点となったのが、あの「AI超え」の歩だ。
伊藤も粘り、双方の玉が超接近する最終盤となったが、藤井がしっかり勝ち切った。

驚異的なのは、藤井の指し手と将棋AIが示す最善手との一致率である。
前例を離れた68手目以降、終局までに藤井は34手を指しているが、AIの最善手と一致しなかったのはわずか3手だけ。
そのうちの一手、AIが推奨しなった83手目が最後に威力を発揮した。

戦いを振り返って伊藤がうなる。
「藤井さんの研究の深さ、ただ将棋ソフト(AI)が示す手をたどっていくだけでなく、その局面でしっかり考えて、最善を探すということも研究段階でやっているのかなと感じました」

伊藤も、今回の対戦に向けて、入念に準備をしていた。
AIを使っての事前研究にも自信を持っていた。
だが、こう認めざるを得ない。
「完全に上回られたと感じています」

同い年との対局を楽しめたか、問うとこんな答えが返ってきた。
「楽しいというよりも…対局中にも結構、感心させられてしまうところはありましたね」

■ 「藤井世代」は「羽生世代」を超えられるか

「羽生世代」という言葉がある。
1996年に当時の7大タイトルを独占した羽生善治だが、その圧倒的強さは、同世代の棋士たちとの切磋琢磨があってこそ、と指摘されている。
竜王・名人などタイトル通算13期の佐藤康光(九段)、名人8期で永世名人の資格を持つ森内俊之(九段)ら、同年代の強者(つわもの)たちがしのぎを削って将棋界を盛り上げてきた。

20歳にしてタイトルを5つも保持する藤井聡太にはまだライバルと呼べる同世代の棋士がいない。
伊藤匠がその役割を担う最有力候補なのだが…

「まだまだとてもライバルとは言えない気がします」
(「藤井世代」という意識はない?)
「同世代というより、藤井さんがやっぱりずば抜けて強いですから。今年公式戦で2局対戦して、改めて実力差というものを感じさせられました」

直接対峙してわかった藤井聡太のすごさとは。
「将棋に対する認識の深さですかね。読みの深さというのも大きいと思いますね」
その人に勝つための道筋はみえたのか。
「いやあ、なかなかそれは…なるべく直感的にいい手が見えるようになるとか、そういうところが大事なのかなとは思いますけど、どうしたらそうなるのかというのはなかなか難しい気がします」

藤井はその後、敗者復活戦で羽生を破り、挑戦者決定戦第1局で佐藤天彦にも勝つ。
27日に再度、佐藤と戦って勝てば渡辺明棋王への挑戦権獲得だ。
6つめのタイトル獲得、そして8大タイトルの独占もいよいよ視野に入ってくる。
その話をすると、伊藤は初めて複雑な思いを口にした。
「確かに、あんまり七冠八冠取ってほしいとは思わないですけど…
それにふさわしい実力を持たれているとは言わざるを得ないというか」

八冠を取るなら取って、そこに自分が挑戦するというのを思い描くことはあるのか。
「自分もいずれタイトル戦に出たいという思いはあって、藤井さんとタイトル戦を戦ってみたいとは思いますね」

小学生時代に「藤井聡太を泣かせ」て以降、遠ざかるばかりだった同い年の天才の背中。
懸命に追い続けて、ようやく手の届きそうなところまでたどり着いた。
これから2人がどれだけの名勝負を繰り広げていくのか。
20歳の伊藤匠にとっては、早くも正念場が訪れている。

テレビ朝日報道局 佐々木毅

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