拘置所のアクリル板越し 被告が打ち明けた「手紙を書いている」[2023/01/24 18:00]

去年7月、千葉市で、81歳の夫が85歳の妻を殺害したとされる事件があった。妻は体を患い、病院に行くことを嫌った。「楽にしてほしい」と夫にお願いしていた。夫は悩み、妻の首に手をかけた。
夫は何を考え、どうしてそんな道を選んでしまったのか。殺人や強盗などの「捜査1課」を担当する私は、直接夫に会ってそれを確かめようと考えた。
(テレビ朝日報道局 社会部記者冨田和裕)

■拘置所での面会時から話していた夫の“償いとしての夫婦の手紙”

私は夫に会いに千葉刑務所内拘置区に向かった。
9月で西日が厳しく、まだ蚊が飛びまわっていた。
複数人を殺害したとして死刑を言い渡された被告の裁判傍聴もしたことはあるが、直接1対1で被告と話すことは初めてだった。
1日1組しか面会できない。そもそも会えるのか、会えても、質問に答えてくれるのか。
被告が拒んだら面会できないと係員から説明され、待合室で待たされた。

ついに呼び出され、夫とアクリル板越しに向き合った。
初めて会う夫は、耳が少し遠いが、受け答えもはっきりしていて優しそうな顔をした男性だった。
最初に名刺を板越しに見せて挨拶をすると、記者とは話さないという手でバツ印を見せてきた。
「なぜ首を絞めたのか」「逮捕前と逮捕後で心境に変化はあったのか」「裁判ではどういう主張をしていくのか」質問を重ねても、答えはいずれも「お答えできません」だった。
一方で、聞こえなかった質問はきちんと聞き返す生真面目な姿もあった。

一つだけ、夫が自ら話したことがある。
「奥さんはどんな人でしたか」と聞くと、「私の考えや、妻との歩みや思い出を毎日この中で考えている。手紙にしたためて妻の親族などにはいつになるかわからないが配ろうと思っている。記者に見せるものではない」と答えた。かたくなだった夫が妻の質問には自分の言葉で話した姿が印象に残った。この手紙については、法廷で内容が公開されることはなかったものの、裁判の過程でその存在は明らかにされた。

「メモしていなかった」
面会に夢中で、メモも残していないことに気づいたのは、夫との面会後だった。「やっぱり緊張していたんだな」という思いが込み上げた。

2回の裁判を経て夫は懲役3年、執行猶予4年の有罪判決を受けた。判決が言い渡されるとき、頭をそり上げた夫はまっすぐ前を向いて微動もせず座っていた。
判決文を読み上げると裁判長は夫に、「妻への手紙で感じたことを忘れずに一生をかけて償って過ごしてほしい」と告げて閉廷した。
検察側、弁護側とも控訴せず、刑が確定した。

■目の前に「殺してほしい」という妻 自分なら……

私ははじめ、「介護疲れ」の犯罪だと思っていた。裁判では、検察官も弁護士も「介護疲れはなかったか」と夫に質問した。だが、夫は「違います」ときっぱり否定した。
妻に連日のように「殺してくれと」言われ、はじめは無理だと思ったが、「これだけ思い詰めているなら手伝ってあげようか」などと考えるようになったという。妻を思うからこそ出てくる気持ちではなかったか。色々な人に協力を頼みながら自らも介護をした夫は、痛みに苦しむ妻を何度も見てきたからこそ本当に楽にさせようと思い、殺害に至ったのではないか。取材を通して「介護しきれなくなって妻に手をかけたのだろう」という私の見方は変わっていった。

面会した時の印象も強かった。取材の質問はことごとく跳ね返されたが、妻についてきくと、少し間をおいた後、妻のことを考えて書いた手紙のことを、初対面の記者である私に打ち明けた。自分が殺した人について語っているとは思えなかった。頭の中で思い出を再生しているかのように「毎日この中で妻との歩みや思い出を考えて手紙に書いている」と話した。「妻については誤解しないでくれ」という無言のメッセージが私に向けられているようだった。
想像していたような「介護疲れ」の事件ではなかった。日々、多くの事件を取材する中で、勝手に断定してしまっていたのかもしれない。

■夫と妻にとって「幸せ」って何なのか

今回の裁判で裁判長は、夫が、周りに相談せず首を絞めたことの刑事責任は相当重いが、反省の態度や娘がこれ以上の処分を求めていないことなどを総合的に考え、「社会の中で被害者との償いの日々を送らせるのが相当」と判断し、執行猶予をつけた。

取材では、思わず自分だったら、と想像してしまった。
私は「楽にさせてほしい」という妻の思いを跳ね返し続けられるのか。明らかに体が不自由になっていく、愛する妻が目の前で気を失い、倒れて自力で動けないでいたとき、嫌がる病院に連れていけるのか。
あの場で夫が救急車を呼んで妻が助かっていたら、今頃家族はどういう生活をしていたのだろうか。夫は変わらず前向きに介護しながら妻と生活し、妻はまた病院にかかったことに失望しながら日々苦しみつつ生きているのだろうか。病院や治療を嫌がる妻を無理やり施設や病院に入れて別々に暮らした方が幸せなのだろうか。

殺人自体は許されることではない。しかし、一方でどんな刑になっても一生妻のことを思い続けて生きていくと誓った夫に執行猶予判決が出て少しほっとした自分がいた。
何が2人にとっての「幸せ」だったのか。まだ自分の中での考えは、まとめられていない。

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