「今でも愛しています」妻の首に手をかけた夫の「空白の30分」[2023/01/24 18:00]

去年7月5日、千葉市の住宅で事件は起きた。
被害者は事件現場に住む85歳の女性。殺人容疑で逮捕されたのは、81歳の夫だった。
「介護疲れ殺人か」。日々、殺人や強盗といった「1課事件」を取材してきた私は、長年連れ添った妻を殺害するに至るまでにどんな背景があったのか知りたいと思い、取材を始めた。
裁判に通い、被告と対面すると予想を覆す事件の裏側が見えてきた。
(テレビ朝日報道局 社会部記者冨田和裕)

■「楽にしてあげたい」横たわった妻 夫は30分後、通報ボタンを押した

2022年7月5日午前11時15分、「妻の首を絞めて殺した」と110番通報が入った。
通報したのは殺された女性の夫。「介護疲れからの犯行ではないか」。これまでの取材の経験から、私は直感的にそう思っていた。被害者の妻は体を悪くしていたという。

殺人容疑で逮捕された夫が起訴されたのは、「承諾殺人罪」だった。相手に頼まれて殺したという罪だ。妻から何か投げかけがあったのか。亡くなった妻はもう話すことはできない。結局はつらい介護が背景にあっての夫の行為だったのではないか、という思いはぬぐえなかった。

夫は裁判で当時の様子を証言した。
朝、妻はトイレに行きたいと言い、夫に支えられながら向かったが途中で足が震え倒れこみ、気を失ってしまう。
夫は倒れた妻をベッドに戻そうとするが、「気を失った人を抱えるのは気のある人の何倍も重い」。1人では戻せずにいた。

この時、夫はとっさに
「このままベッドに戻しても妻は苦しむだけで、首を絞めて楽にしてあげたい」と思ったという。
妻を戻すはずのベッドからタオルをとり、2回固結びをして首に巻き、約5分間絞めつけた。失敗はできない、と両手で体重をかけながらさらに10分ほど首を絞めた。妻を楽にさせるために体がクタクタに疲れるほどだったという。
「(妻の表情は)苦しそうではなく、きわめて普通の表情だった」。
夫は、妻の胸に手を当ててみたり、脈を確認して反応がないことを確認したりした。
110番通報したのはその30分後だった。

■2人の望んでいたセカンドライフ かわったのは10年前

事件現場となった千葉市に2人が住み始めたのはおよそ20年前。
これまで都内でマンションに暮らしていて「次は戸建てに住みたい」という妻の願いを、夫が定年後に実現した形だった。
2人とも趣味に時間を費やし、良いセカンドライフの始まりだと夫は感じていたという。

趣味は庭いじりだったという妻はよく庭で花を植え替えていた。
人づきあいも好きで、近所の人に太極拳を教えていた。

一方、妻の4つ下だった夫。引っ越して早々に自ら町内会を立ち上げて会長になったり、近所の畑で農作業をしたり、妻に負けず社交的だった。学生の頃からの趣味だった写真は毎年、“風景”というタイトルで千葉県内を中心とした空き地や建物などを映した写真集を7冊、自費出版するほどの腕前だった。しかし最近、補聴器を使うなど、耳が遠くなっていた。

妻は10年ほど前から体が弱り始めた。
診断を受けても病名はわからなかった。過労気味で疲れて寝込むことが日に日に増えていった。

■「救急車を呼ばないで!」妻は訴えた

去年5月に昼食として茶碗半分くらいのご飯を食べていた時、妻は3,4回、胃液が出るまで吐いた。トイレに行きたいというので連れていくと、便座に座った瞬間に気を失って床に落ちて意識をなくした。
救急車を呼んで病室までついて行ったがその時も妻の意識ははっきりしていなかった。

実は以前から夫は妻に「救急車を呼ばないでほしい」と言われていた。だが、夫は「助かってほしい」と思い、とっさに救急車を呼んでしまった。病院で意識を取り戻すと、妻は「病院に入りたくなかった」と言った。

入院中も妻の体調は悪化したが、「家で死にたい」「(退院できなかったら)病院の窓から飛び降りて死んでやる」などと訴えた。
妻は強く退院を希望し、夫は「病院での治療は精神的にも肉体的にも苦痛」であろうと考え、病院から自宅に戻ることになった。

妻の要介護度は「5」。歩くのも難しく、介護がないと日常生活が不可能な状態だった。
それまでも週に2回ヘルパーに来てもらって掃除などの家事を手伝ってもらっていた。退院後、夫はケアマネジャーらに毎日来てもらい、訪問介護員や医師、56歳の娘も合わせてみんなで妻を支える介護生活が始まった。

■「もう首を絞めてあげた方が……」夫の心は揺れた

夫は、どうしたら妻の足腰がよくなるか、自立した生活に近づけるか、ケアマネジャーと相談しながら自宅で介護するできる限りの仕組みをつくり、妻とトイレの訓練をした。本を読んで、栄養バランスを考え、妻に任せっきりだった料理もした。
「介護を投げ出したいとは思わなかった」。
夫は裁判で言った。

一方、妻は毎日のように「首を絞めて殺してくれ」と言っていた。
「そんなことはできない」と答えていた夫だが、次第に「切実にお願いされていると感じるようになった」という。
夫は裁判で、「本人の希望は『早く死にたい』で私の気持ちは『早く楽にさせてあげたい』というもの。『首を絞めて』という言葉は私たち夫婦の間にだけ通じるものだと考えていた」と話している。

事件当日、夫は倒れた妻を見て「もう首を絞めてあげた方がいいのかも」。妻の首を絞める決意を固めた。
妻を手にかけた時の気持ちについて夫は裁判で、「失敗しないようにという気持ちでいっぱいいっぱいだった」と話した。

夫は自分の行為について、「夫婦2人の個人的な願いがかなっただけで最初は殺人には当たらないと考えていた」と証言した。だが後から、「罪を償うべきと考えなおした」と言った。

首を絞めてから110番通報するまでの空白の30分、夫の頭の中を様々な思いが駆け巡ったに違いない。夫は首を絞めるまでは自分が何をしたのかを詳細に覚えていたが、この空白の30分間については「覚えていない」と語らなかった。

裁判では滞りなく答えていた夫だったが、この部分だけは言葉が出なかった。30分間に思い出せないくらい様々な思いがこみ上げていたのではないか、と感じた。「妻から頼まれたのだからよかったんだ」という思い。一方で「妻はかえってこない」という気持ち。「娘になんて説明すればいいのか」というつらさもあったかもしれない。

「介護疲れの結果ではないか」という私の思いは覆され、この事件、そしてこの夫婦に引き込まれていった。

こちらも読まれています