秋野暢子さん のどに違和感「食道がん」判明までの経緯と4カ月半の闘病生活[2023/01/25 12:20]

2022年6月にステージ3の食道がんが判明した女優の秋野暢子さん(66)。4カ月半に及ぶ闘病生活を乗り越え、およそ半年ぶりに仕事を再開した。のどの違和感から食道がん判明までの経緯と治療中に考えていたことなど、テレビ朝日の大下容子アナウンサーが話を聞いた。

■人間ドック翌月から“違和感”…がんと判明するまで半年

大下アナ(以下、大下)
「お久しぶりです。この度は、仕事復帰おめでとうございます」

秋野さん(以下、秋野)
「ありがとうございます」

大下
「そして、きょうはお誕生日ということで、おめでとうございます」

秋野
「ありがとうございます」

秋野さんが、およそ半年ぶりに仕事を再開した。

大下
「今どういう思いでいらっしゃいますか?」

秋野
「やっぱり働き続けたいと思って治療方法を選んだので、きょうを迎えられてとても幸せだなって思っています」

秋野さんにがんが判明したのは2022年6月。ステージ3の頸部食道がんなど5つの重複がんだった。

大下
「頸部食道がんという診断に至った経緯を教えて頂けますか?」

秋野
「おととし(2021年)の12月ぐらいから、なんとなくこの辺(のど)が引っ掛かるなっていう感じがしていて。ここに梅干しの種があるような感じ。ただ、(2021年)11月に人間ドックに行ったり、内視鏡検査をしたりして、その時は何もなかった。「何だろうな?」と思い、針に行ったり、整体に行ったり。逆流性食道炎かもしれないなど、色んな判断があったんです。血液検査をしたり、耳鼻科に行ったり、色んなことを調べたんですけど、分かんなくて。段々、食べる物が引っ掛かるようになって、これはやっぱりちょっとおかしいなと思って。(2022年6月に)もう一度内視鏡で調べてたら、もうすでに進行性の食道がんだったんです。だから、半年の間に、進んじゃったんですね、きっと」

人間ドックの翌月から感じ始めた違和感。その理由が分かるまでに半年を要した。

大下
「腫瘍マーカーに出るということはないわけですか?」

秋野
「それも私、びっくりしたんですけど、お医者様に伺うと、実は腫瘍マーカーというのはあるところで判断基準にはなるけど絶対ではない、とおっしゃっていました」

大下
「腫瘍マーカーで出ないケースがある?」

秋野
「私は、そのケースでした」

■声を失いたくない…「化学放射線療法」選択

1957年(昭和32年)に大阪府で生まれた秋野さん。18歳の時にNHKの連続テレビ小説「おはようさん」のヒロインに抜擢された。近年は女優としての活動に加え、健康な生き方をテーマにした本を出版するなど、健康面には人一倍気を遣ってきた秋野さん。それでも、がんに体をむしばまれた。

大下
「(がんの診断を)お聞きになったときは、どういう思いでいらっしゃいましたか?」

秋野
「テレビドラマとか、自分たちで出てて、変な言い方ですけど…頭が真っ白になって、先生のおっしゃってることがよく聞こえない、みたいな感じの設定ってありますよね。そういうことになるのかなと思っていたんですけど。あれ、これどうやって治すの?どうやれば治るんだろうというふうに発想はいったので、がんだということで動揺したりとかは、なかったです」

秋野さんが医師から示された治療法は「手術」、そして抗がん剤と放射線をセットで行う「化学放射線療法」の2つ。秋野さんの場合、がんは声帯近くにもあったため、手術をすれば、声を失う。一方で、化学放射線療法の場合は声帯を残せるが転移や再発の可能性が手術より高くなる。

秋野
「私の場合は当然、喋ることが仕事です。セリフもそうですし、こうやってインタビューを受けさせて頂くのも。そうすると、喋ることができないのはとても困るなと思いまして。先生に『先生、手術は私、選べないんです。だから、何とか手術をしないで治す方法はありませんか?』って伺ったら、『化学的な放射線治療で、抗がん剤と放射線を使う治療のやり方があるのでどうしますか?』っていう話になった。この化学放射線治療は効く人と効かない人がいるらしいんです。だから、手術のほうが全部悪いとこ取っちゃいますから、再発の危険性も少なくなるんですけど、「先生、それ(化学放射線治療)にかけてみます」って言って、それで化学放射線療法を選びました」

■放射線治療は1日1回 20回目を超え“のどに激痛”

そして、2022年7月12日から治療が始まった。秋野さんの抗がん剤治療は、24時間投与の点滴が5日間続き、体調の変化を見ながら、4セット行われる。

秋野
「抗がん剤を打つと白血球が減少していくんですね。そうすると(感染症に)感染しやすくなるんです。抗がん剤が終わって、またしばらくするとまた上がってくるんですね白血球が。上がったところで、また抗がん剤を始めるんです。落ちてる時には抗がん剤できないんです」

そしてもうひとつが放射線治療。これは秋野さんのがんの上に書かれた目印に向け放射線が照射される。少しでもずれることは許されないため、体を固定する必要がある。

秋野
「大体10分くらい機械が動いて、どこに転写するかっていうのを決めるんですね。それで位置が決まって転写しますっていうと1分なんです。こうシューって当たっても、痛くもなくなんともないんですよ」

放射線治療は1日1回で合計30回行われたが、20回目を超えたあたりから、秋野さんの体に変化があったという。のどに激痛が走ったのだ。

秋野
「結局放射線を当てているので、やけどなんですよね。焼いてるわけですよね、中のがんを。のどの中に剣山が入っているみたいな感じになるんです。だから、お水飲んでも痛いみたいな。

痛みは2日ほど続き、パジャマの襟が首の皮膚にあたるだけでもひどいものだったという。しかし、痛みが引いてからは思わぬことが…

秋野
「ある時(皮膚が)ペロッて一部めくれた。やけどの痕のように、ペロッとめくれたら、そこにきれいな肌が見えた。やった!と思って。あれ、これがめくれたら、きれいな肌になるって思ったら、実際、首のしわが減ったんですよ。まあ悪いことばかりじゃないなと。まあそういうふうに思って、これは乗り切ろうと。いずれこれがきれいに取れたら、きれいな首になるんだと思って、頑張ろうみたいな」

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