柏崎刈羽原発所長「信頼関係が大前提」進む政府の“原発回帰”震災12年再稼働を考える[2023/03/10 23:30]

東日本大震災から間もなく12年。福島第一原発の事故は、様々な暮らしを奪っていきました。

しかし、12年の月日は、人々の原発に対する意識を、徐々に変えていったのも事実です。

脱炭素のうねりに加え、ウクライナ戦争によるエネルギー供給の危機。岸田総理はこのタイミングで、原発政策を大きく転換し“原発回帰”を打ち出しました。

なかでも注目されているのが、今年10月の再稼働を目指す、東京電力・柏崎刈羽原子力発電所です。

柏崎刈羽原発・稲垣武之所長:「821万kWと、カナダのブルース原発がほぼ同規模。ウクライナのザポリージャ原発が100万kWが6基ありまので600万と、こういった辺りが世界でも最大規模。これは今一番大きい、世界最大規模の1つ」

合計出力821万kWは世界最大級。しかし、12年前の福島での事故の後、全国の原発は次々と停止。そのまま10年以上、休眠状態が続いていました。

しかし、原発回帰にかじを切った岸田政権。すでに10基が稼働するなか、新たに7基の再稼働を目指すとしています。

岸田総理:「原発再稼働に向け、国が前面に立って、あらゆる対応をとって参ります」

そのなかに含まれているのが、柏崎刈羽原発の6号機と7号機。今回、7号機の中に入りました。

運転停止中のため、圧力容器の中に核燃料はありませんが、先月からは模擬燃料を使った、機械の動作確認が始まっています。

そして、再稼働を行ううえで求められるのが、福島の事故を受けた安全対策。万が一に備え、原子炉の冷却を続けられる手段が、何重にも用意されていました。

電源喪失の事態に備えた、非常用発電機。福島第一原発の事故では、この施設が地下にあったことが、命取りとなりました。

稲垣所長:「福島第一原発では、ディーゼル発電機は地下にある。当時は津波の想定の高さが海抜10メートルよりも低い状態。海水がディーゼル発電機室に入ってくるという話はなかった」

しかし、想定を超える事態が起こり得るのが原発。稲垣所長は12年前、身をもってそれを実感した人物です。

電源を失い、制御不能となった原子炉は、暴走を続けメルトダウン。そして、爆発を起こしました。

当時、福島第一原発の保全部長として、稲垣さんはあの場所にいました。

稲垣所長:「『出てくれ。作業を続けてくれ』と指示を出した時に、1号機で爆発を経験した人は『怖くていけない』と」

復旧の責任者として、不安を抱く部下を説得し、現場に送り込みました。

稲垣所長:「『悪いなりに安定してきて、悪化の傾向はない』『水素爆発はしばらくないんじゃないか』と、非常に拙い説明をした。マネージャーが『部長がそう言うんだから行ってくれ』と。チームリーダーとその下も『頑張って、みんなで行こうじゃないか』と。メンバーさんは渋々行ったと思うが、その3〜4時間後に爆発しましたので。死なせてしまったかもしれない。1人1人戻ってくるんですけど、血を流していたり、真っ青な顔をしていたり、生きた心地がしない状態で。あれは非常にショッキングで、ああいう事態には絶対にしないというのが使命」

福島第一原発では今、莫大な費用をかけて、先の見えない廃炉作業が続いています。

東電にとっては、柏崎刈羽の再稼働は、経営再建への頼みの綱でもあります。

しかし、再稼働の審査には合格しながら、現在、柏崎刈羽原発は事実上の“運転禁止状態”。その原因は、相次いで発覚したセキュリティー問題です。

他人のIDカードで原発の中枢部に入っていたり、侵入者を検知するシステムが壊れたままだったりなど「核物質を扱う資格がない」と、規制委員会から厳しく断罪されました。

この運転禁止命令の直後、所長に就任したのが稲垣さん。まず始めたのは、所員とのコミュニケーションの強化でした。

稲垣所長:「(Q.色々なこれまでのリスクや不祥事に近いものは、最大に起因するのは“コミュニケーション不足”か?)コミュニケーションは大きな問題ですけど、まず1つはリスク認識が甘い。失敗した時に物理的な影響と、対外的に非常に心配をかける。想像力に弱みがある。物事が起こった時に、対処する是正力が非常に弱い」

原発を最大限活用するとした政府の方針転換を背景に、柏崎刈羽の再稼働へと動き出した東京電力。あの事故を経験した稲垣さんは、何を感じているのでしょうか。

稲垣所長:「(Q.政府が先行する形で“今年の夏以降”に再稼働のスケジュール感。所長自身は“夏以降”を目指すか?)政府が色々考えていることは、もちろん存じ上げていますが、地域や地元の皆さまの目は非常に厳しいと思っています。中も変えようとしていますし、外にお伝えすることを努力している。一生懸命、努力しているところです。(Q.必ずしも政府が号令をかけている“夏”は、所長自身の頭にはない?)一つ一つ積み上げていくしかありません。きちんと地元や地域の皆さまにお伝えして『お前の発電所は信頼できる』という声を一定程度いただいたうえでないと『再稼働できます』とはならない。時期にはこだわるべきではない。私自身が納得しない限りは、再稼働させることはないというのは、会長や社長にも伝え、同意をもらっている」

静かに近付いてきた、再稼働の足音。12年前、福島・富岡町から柏崎まで避難した石原政人さん(60)。今、再び“原発”という存在に直面しています。

石原政人さん:「私たちも富岡町にいた時には、東京電力という大きな会社で、地域が潤っていた。この地域も同じなんですよね」

地元にとっての必要性。一方で、東電に対する思いは。

石原政人さん:「原子力の運転者を替えていただければ、再稼働してもいいのかなと。事故を起こした会社が運転するのは怖い」

立地自治体のトップは再稼働容認の姿勢を見せていますが、県は態度を明らかにしていません。

ANNの世論調査によりますと、原発の活用に「賛成」という声は49%と半数近くに上り、「反対」の34%を上回っています。

稲垣所長:「(Q.世の中の情勢が変わってきて、政府の方針に翻弄されたり影響されたりすることはあるか?)政府の方針はもちろん、GX含め、カーボンニュートラル、エネルギーセキュリティーの面で、原子力発電所がゼロになるのが良いとは、原子力のエンジニアとして感じていない。運転するからには、安全性と我々自身の力量、組織としての信頼関係を築きあげるのが大前提。そこに向けて注力するのが、発電所長の全ての役割」

【震災から12年“重い沈黙”】

◆原発事故が起きた福島第一原発のある福島県大熊町で取材を続けている、大越健介キャスターに聞きます。

大越健介キャスター:「エネルギー事情が苦しいとはいえ、原発再稼働に一気に前のめりになっていいのだろうかという疑問を持って、私は柏崎刈羽原発に取材に向かいました。そこで感じたのは、政府が旗を振ったとしても、それによってイコール、再稼働が一気に進むとは考えにくいということでした。そのことは、稲垣所長の『政府の考えはあるだろうが、柏崎刈羽はまだ一定の信頼を得るには至っていない。時期にこだわるべきではない』という言葉に表れていました。特に、福島で事故を起こした東京電力に対しては、視線は依然厳しいものがあります」

大越健介キャスター:「取材を終えて、改めてこの福島・大熊町に立って感じたのは、12年も続く、この沈黙の重さです。紙一重の命の危険にさらされた恐怖の記憶と、生活を奪われた住民の悲痛な思いが、この沈黙には詰まっています。今後、休止中の原発が、安全審査を経て、再稼働へと向かう流れは、今の時代背景を考えれば、合理的なのかもしれません。しかし、福島の事故を経験した日本に住む私たちは、リスクと安全性、街の復興の方向性の全てを、その都度立ち止まって熟慮を重ねる必要があります。今、この場所を覆う沈黙が、むしろそのことを雄弁に語っています」

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