【春闘】交通ゼネスト“後遺症” 駅に5000人押し寄せ…国鉄マヒし首都圏大混乱 1975年[2023/03/15 11:00]

1975年5月10日、午前8時すぎの小田急線新宿駅。

この年の春闘は、私鉄スト、国鉄ストとつづき、前の日の9日にはついにどちらもストに入る「交通ゼネスト」になりました。

翌日のこの日も、午前中は国鉄ストでマヒ状態がつづきます。

そのため、私鉄から都心へ向かう人が、地下鉄丸ノ内線に殺到しました。

駅員に規制されながらすすみます。
週休二日制はまだ普及していないこの時代、土曜日にもかかわらずスーツ姿の利用客がほとんど。

中央・総武線と山手線が止まっていて、都心方向へは営団地下鉄と都営バスだけが動いていました。
欠勤しても公休扱いになった企業も多かったようです。

レールがさびてしまっています。

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《駅員のアナウンス》

昼すぎまでには、国鉄の組合がストライキの中止を決めますが、運転再開は大幅に遅れ、上野駅の構内は一時、5000人ほどの利用客が押し寄せ、機動隊らが規制に入りました。

チューリップハットをかぶったお兄さんが改札を抜けます。

駅員:危ないのですで駆け足はやめてください
《ベル音》

3時間後に発車したようです。

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同じ日の東京駅。
いろいろなスローガンが山手線の車両に書きなぐられています。
そういえば、さきほどの上野発の中距離電車もすごかったですね。

切符売り場はご覧のとおり。販売が再開されたのは、午後6時すぎでした。

利用客が大きな荷物を抱え関西方面に向かう「こだま」に乗ろうと駆け込んでいきます。


「ひかり」「こだま」の終日の運転率は45パーセント程度で、全列車が自由席になりました。

運転再開が大幅に遅れたのと、乗務員の職場復帰に時間がかかったのとで国鉄各線のダイヤは混乱し、この日の夜までなかばマヒ状態が続きました。

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