【ストライキより酷い順法闘争】乗客の怒りが沸騰し駅も電車も無残な姿に 1973年[2023/04/26 17:00]

−−−−−1973年4月24日−−−「上野駅」−−−−−
上野駅の中央広場が大変な人出です。
一見ふだんのラッシュ時にも見えますが、よく見ると看板が壊れ、人が入り込もうとします。
一向に動く気配のない電車に、乗客たちもあきれ顔です。
1973年、昭和48年4月24日のことです。
よく見ると中距離通勤電車なのに、急行用の車両が使われています。
駅の正面口には炎も見えます。
国労(国鉄労働組合)・動労(国鉄動力車労働組合)の順法闘争がこの日から再び始まり、夕方のラッシュ時の列車の遅れは1時間以上、夜にはほぼマヒ状態になりました。
怒った乗客たちが上野・赤羽・大宮など首都圏38の駅で騒ぎを起こし、100人以上が逮捕されました。
マヒ状態は翌日もつづきました。

※順法闘争:安全確認などの手順や規則を厳格に守ることにより列車に遅れなどが出ることで、ストライキと同じような効果を上げようとする闘争方法


−−−−−4月27日−−−「東京駅」−−−−−−−−−−−−−−−

3日後、27日の東京駅。
ホームに人影はありません。
新幹線が入線していますが、扉は閉まったまま、車内も真っ暗です。
あれだけの騒動があったにもかかわらず、国労・動労がストライキに突入したのです。

−−−−−東名高速道路「東京インターチェンジ」−−−−−

東名高速道路の東京インターチェンジ、上り線が大渋滞しています。

−−−−−甲州街道(国道20号)「西参道口」交差点(新宿区)−−−−−

こちらは甲州街道。
まもなく新宿駅前、というあたりです。
ストの影響でいつも以上に動きがとれないようです。

−−−−−3月13日−−−高崎線「上尾駅」付近−−−−−−

1カ月前の3月13日。
高崎線の上尾駅近くで電車が立ち往生しています。
扉が2つで座席がクロスシート、乗れる人数が少ない急行形車両です。
こちらは上尾駅構内、やはり急行形車両で、「合理化反対、不当処分反対」などとペイントされています。
駅のホームに騒動の発端になった列車が。
どちらも急行形車両で通勤には向いていません。
線路内に立ち入っている乗客の姿も見えます。
9日目を迎えた国労・動労の順法闘争は、この日もダイヤの乱れを引き起こし、上り列車が上尾駅に到着したときは20分から1時間近く遅れていました。
待ちかねていた客が殺到しますが、すでに超満員でほとんど乗れません。
現場は収拾がつかなくなり、暴動になります。
警察官が出動し、映像ではすでに落ち着きを取り戻しつつありますが、それまでの騒動で運転室のガラスは割られ、運転台から引きずり出された運転士は近所の家に逃げ込みました。
列車は完全にストップしてしまいます。
線路に降りて歩き始めた人の中には、近くでストップしていた特急「とき」に襲い掛かる人もいました。
駅長はケガをして病院に担ぎ込まれ、ほとんどの駅員は逃げ出してしまいました。
駅事務室は荒らされ、電話も壊されて、事態を通報する手段も奪われました。
7人が逮捕され、この日の高崎線は夕方までストップしました。

それでも出社しよう歩きつづける人たち。
OLもサラリーマンも、決して「気楽な稼業」ではありません。
ちなみに上尾駅から大宮駅まで線路上を歩くと8.2キロあります。
こんな人や、こんな人の姿も。

−−−−−「国鉄本社」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

驚いた国鉄の総裁と動労の委員長が会談します。
磯崎叡国鉄・日本国有鉄道総裁、目黒今朝次郎動労・国鉄動力車労働組合委員長。
国鉄側が順法闘争の中止を申し入れ、動労も戦術をダウンしたものの、闘争そものものはつづけ、翌月の騒乱に至りました。

<目黒今朝次郎動労委員長>
この異常な事態については、我われ不本意であるけれども、放任できないということについては、お互いに事態として認めるところです。
しかし我われの仲間がですね、命を懸けて働いているというこのことについても、我われとしてはまだ解決されていないと、言うことについては強い組合側の不満もありまして、いろいろ討議した結果、当面の措置としてこのように今決めました。
闘いについては予定どおり続行する。ただし「上尾線」における問題、あるいはけが人が出ているという事態を考慮して、関東周辺における旅客部門、国電、その他を含め旅客部門については戦術を一部調整をする。
その調整の内容については、各線に関係がありますが、早急に本部で調整をして指示をして、15日一杯については今言ったような関東部門の戦術調整をする。
その間に今言ったような懸案事項について、やはり交渉を続行すると。
解決しない場合には16日0時以降、従来の第二波闘争の戦術に帰ると。
そして17日にはストライキ。

そういう時代でした。

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