【独自】長井健司さんのパスポート・携帯は戻るもカメラは…何度も返還求める[2023/04/26 23:30]

2007年にミャンマーで民主化デモを取材中、国軍の兵士に銃撃されて亡くなったジャーナリストの長井健司さん。16年が経ち、長井さんが最後まで握りしめていたとされるカメラが26日、遺族に返されました。

長井さんが撃たれたとき、そして、その後のミャンマー情勢について整理します。

ミャンマーでは、1988年に国軍が政権を掌握し、長らく軍事政権が続いていました。2007年、軍の圧政に抗議した僧侶や民主運動家らによる
全国的なデモが発生。9月、デモを取材していた長井さんが撃たれ、死亡しました。

その後、2011年、テインセイン大統領の政権が発足。民主化が進みます。2015年、アウンサンスーチー氏が率いるNLD=国民民主連盟が総選挙で圧勝して、翌年、新政権が発足します。

2021年、民主政権に対抗する国軍がクーデターを起こし、大統領やスーチー氏らを拘束。国軍が全権を掌握しました。今年3月、NLDの政党登録が抹消されます。総選挙が行われても参加することができず、民主化が遠のくような状態となっています。今月、国軍が民主派組織の村を空爆し、住民ら100人以上が亡くなるという事態も起きています。

政権が二転三転するなかで、長井さんの遺品は、どういった経緯をたどってきたのでしょうか。

パスポートや携帯電話などは戻りましたが、長井さんが銃撃されたとき、最後まで握りしめていたビデオカメラ。日本政府は、ミャンマー政府に対して、事件直後から何度も返還を求めてきました。2007年の外相会談での場でも、日本政府は、ビデオカメラを含むすべての遺留品の返還について、ミャンマー側の早急かつ誠実な対応を改めて求めました。ミャンマー政府は、「ビデオカメラについては混乱した状況のなかで起こった事件であり、検証は難しい面もあろうが、内務省に働きかけていく」としました。その後も、数年にわたって、カメラの返還を求めてきましたが、ミャンマー政府からは明確な回答はなく、返還されることはありませんでした。

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