【独自】エホバの子たち 高校生の妹が輸血拒否で死亡「苦しみは消えない…」兄の告白[2023/05/22 19:46]

 キリスト教系の宗教団体「エホバの証人」の元2世、3世らが22日会見を開き、「子どもたちの権利や命が信教の自由のもとで奪われてきた。この問題は私たちの代で終わらせなければならない」と訴えた。
 聖書の記述を厳格に守る教義で知られるエホバの証人。教団を巡っては、子どもへの躾と称した「鞭打ち」や排斥された人を避ける「忌避」と呼ばれる行為について、児童虐待の疑いがあると指摘されている。
 さらに子どもの権利が根本から問われているのが「輸血拒否」の教義だ。1985年に川崎市で起きた事故では、信者の親が輸血を拒否、小学5年生の男の子が死亡した。当時、ドラマにもなるほど注目を集めたが、その後長い間この話題が取り上げられることはなかった。

 ここにきて宗教2世の深刻な実態が明らかになり、エホバについても1月、支援する弁護団が立ち上がった。弁護団は、教団内部ではいまも「子どもへの輸血拒否」が信者に指導されているとして、虐待にあたると国に通告、国も実態調査などに乗り出した。
 「信仰の自由」と「子どもの生きる権利」を巡るテーマを番組にしようと決めた私は、教団幹部の証言のほか、2世3世や医療現場が直面する現実や苦悩の声を取材してきた。

 「最後の手段を自分で断ってしまった…」。元信者で現在35歳の男性は、電話越しに言葉を濁した。
 2010年、当時17歳の妹が大量出血で病院に運ばれた際、医師から「輸血すれば助かる可能性がある」と説明されたが、熱心な信者だった母親が輸血を拒否。教団の関係者にも囲まれ、男性も最後まで輸血の同意書にサインできず、妹は息を引き取った。
 電話での取材を重ねたあと、男性は伝えたい思いを手紙に託してくれた。4月29日に放送した番組「輸血拒否 誰がために…〜エホバの子 信仰か虐待か〜」では、その一部を紹介したが、本人の許可を得て、その詳細な内容を公開する。
(テレビ朝日社会部 厚生労働省担当 松本拓也)

▼「事あるごとに“鞭打ち”…ゲームや漫画、学校での国歌斉唱も禁止」エホバの証人の2世として育てられて
 
 エホバの証人の2世として育てられた私と私の家族に起きた話を紹介いたします。あくまでエホバの証人を取り巻く問題のうちの単なる一例です。私個人の考えや感じ方にもバイアスがかかっているかもしれない点をご承知おき願います。
 物心ついた時には母は研究生(バプテスマを受ける前の勉強段階)で、司会者の勧めに従って集会や大会に、基本的には全て参加していました。
私も妹も弟も、母についていき伝道活動にもそれなりに定期的に参加していました。母はバリバリのエリート信者ではないものの、1990年代のエホバの証人らしく熱心な信者でした。出版される文書の言葉に従って暮らしていて、「その通りに生活できなければ滅ぼされる」という緊迫感を持って生活していた感じです。時代的に“鞭世代”の全盛期で、事あるごとに鞭をされていました。柔道、剣道、校歌や国歌の斉唱、国旗掲揚などはエホバの証人としてふさわしくないとの教えがあったため、我が家でも例にもれずそれらは禁止。うちの場合はゲームやマンガも厳しく禁止されていました。

▼「気持ちがバラバラな家族」宗教活動第一の母親に子どもたちの心も徐々に蝕まれて…
 
 母は父の家族サービスの予定や願いよりも、司会者や長老に従って、何よりも宗教活動を優先していました。詳細は本人たちにしかわからない事でしょうが、それもあってか私が5歳の頃に両親は離婚しています。それから母は女手ひとつで必死に子育てをしていました。宗教を第一にしなければいけないため、経済的にはいつもギリギリ。そんな中に組織内での人間関係のトラブルも頻繁に起きており、精神的にも身体的にもボロボロだったように思います。
 私自身は、そんな母の愚痴を聞くなど相談相手を小学生の頃からしていました。時には真夜中の3時くらいまで話を聞いていたのを覚えています。
 (中略)弟と妹の良い兄でいなければいけない。父親代わりをしてやらないといけない。そんなプライドも強く、子どもの私には何も出来やしないのですが、何もかもを抱え込んでいました。いつも追い詰められている感覚で、夜寝る前の布団の中で一人になると理由もわからず、しょっちゅう泣いていました。
 そんな状態で家族みんな、自分の辛さで頭がいっぱいだったと思います。実は妹も精神的にかなり危険な状態だったようで、通院していることや、自傷行為も辞められない状態であったことは友人から聞かされて初めて知ったくらいで、そんな事にも家族のだれひとり気づかないくらい、気持ちがバラバラな家族でした。

▼「自分が生まれたせい…」精神的な病で通院していた妹が兄に打ち明けた胸の内は
 
 妹は母とまともな会話ができない状態で、母に病院に連れて行ってもらうことは断固拒否していました。その理由ははっきりは分からないのですが、母親の精神的な不安定さは「自分が生まれたせいだ」と思っていることは話してくれました。自分が居なくなることで母を楽にしてやれるという考えに取り憑かれているようでした。
 私が妹のケアをするようになってからは、少しずつ家族の足並みが揃ってきました。(中略)半年ほどケアに取り組み、妹の自傷行為は徐々に減っていっていました。妹が病気だと知った最初の頃は部屋から出るのも難しい時期もありましたが、この頃には年の近い友達とお出かけできるまでに回復していました。

▼その日は突然に…医師からは「輸血が必要」
 
 ある日、妹は友達とお出かけしていたのですが、少し無理をしすぎたようで、帰宅後に過呼吸を起こしたり、久々に激しくリストカットをしてしまいました。私は、妹の感情がおちつくまで話を聞きながら横になっていました。(中略)ただその日、私は日中の仕事と毎日のストレスでかなり疲労が溜まっていて、妹が寝る前に眠ってしまいました。
 直後に妹は5階の窓から飛び降りてしまったらしく、音を聞いた弟から叩き起こされて気付きました。下に急いで降りてみると、地面に倒れた妹に意識はなく、苦しそうな荒い息が聞こえていました。
 検査をしてくれた医師によると、心臓から出る太い血管が破れていて、胸の膜の内側にどんどん出血しているとのことでした。一刻も早くメスを入れて縫合し輸血すれば助かる可能性はある。血管の破れにステントというものを入れて塞ぐ方法もあるが望みは薄く、いずれにしても輸血は必要だろうという話でした。
 医師から“相対的無輸血に同意する”という旨の書面にサインしなければ手術はできないと言われました。その同意書は「無輸血での手術を望むが、最悪の場合は医師の判断で輸血することに同意します」という意味合いのものだったと記憶しています。

▼息絶えそうな妹を前に母は「死んでも復活できる…」 教団関係者に囲まれサインできなかった同意書

 私は、エホバの証人の集会や資料で見聞きしていた事から、輸血無しでほとんどの医療は受けられると思っていましたし、2世として育てられてきているので“輸血はだめなこと”としか思っていませんでした。こっそりサインをすることも考えましたが、長老達(教団の幹部)数人が取り囲むあの場で、ずっと守ってきた宗教の決まりを破ることはできませんでした。
 ただ、何としても妹を助けたくて、なんとしてでも手術してほしくて、医師に「いいから手術して下さい!それで亡くなっても訴えたりしませんから!」とかなり食ってかかっていました。
 それから何分後か、何時間後か忘れましたが、しばらくしてその日のうちに妹は息を引き取りました。妹は当時17歳、私は22歳。今から13年前のことです。
 母は絶対に輸血はダメだと言っていました。もし輸血されたらどうしようと、普段から異常に気にしていました。もし死んでも復活できるから永遠に一緒にいられる。今の一時的な命にすがって輸血でもしようものなら滅ぼされる。本心でそう語っていましたし、今も母はそう思っていると思います。

▼悲しみを紛らわすように宗教に打ち込むも、苦しみ消えず…兄が下した決断

 妹の死後は、私は死者が復活してくるという確信を強くするために教会の資料を勉強することや宗教活動にもっと熱心に参加することで、苦しみをやわらげようとしていました。しかし、エホバの証人の教えをいくら学んでも、妹を亡くした苦しみは楽にはなりませんでしたし、手術の際に同意書にサインしなかったことが正しかったという確信がもてませんでした。
 それから、私自身も無力感や罪悪感で5年ほど鬱病になり、苦しい時期を過ごしました。あの時、同意書にサインしておけばよかったのか。あの夜、先に眠ってしまわなければこうならなかったかもしれない…などと考えてしまっていました。
 同意書に私がサインをしていれば妹は助かったのか。それはわかりません。ただ、サインしなかったという行為が、人として間違っていた。それを認めることができた時に、全てが吹っ切れてしまって、エホバの証人を辞める決意ができ始めました。
 自分の意思で、自分の責任で一生懸命生きていく方が、健全だ。私はそういう結論に至りました。

▼「信じることを否定する気はない」でも、後悔を抱え苦しんだからこそ望むこと…
 
 今も信者でいる友人たちについて、思うことがあります。私が鬱で苦しい時期、家族や友人が本当に支えてくれ、いつも話を聞いてくれていました。皆、私は正しいことをしたと言ってくれていました。私は、彼らに本当に感謝しています。
 人の死に関する苦しみとどう向き合うのかは、その人次第。個人個人が自由に決めることだと思います。エホバの証人が信じていることを否定しようという気は私にはありません。
 教団には新たな苦しみが生まれることが、出来るだけないようにしていただきたいと思っています。信者の一人一人は、私もかつてそうであったように毎日、一生懸命に日々の問題と向き合って生活しています。あなた達の組織の信者に、悲しい思いをさせないで下さい。
 彼らの人生と命を左右する宗教だという自覚をもって運営をお願いします。一人で勝手に組織を抜けた無責任な私より。人生を振り回してくれた宗教組織へのささやかなお願いです。

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