全てはバンコクの出会いから…和牛“密輸”ルート追跡5年 舞台は“中央アジア”へ[2023/07/28 18:00]

2018年夏のある日、タイ・バンコクの大通りから一本入った路地裏のバー。
当時バンコク支局で勤務していた私は、友人とカウンター席で飲んでいた。
「ワタシは“牛肉”を輸入しています」
横に座った男性が突然、英語と日本語を交えて話しかけてきた。プノンペンで焼き肉店を開いているというカンボジア人の男性。日本を旅行した時に食べた「和牛」の写真を自慢げに見せてくる。「プノンペンでも和牛が食べられるんですか?」と聞くと、彼は笑った。
「カンボジアでは、和牛は高すぎて誰も食べませんよ。偉い人だけです」そして、タイに来た理由を教えてくれた。「バンコクで肉を買って、トラックで持って帰ります」
「確かにタイとカンボジアの陸路の税関は緩いし…できるか」そんなことを考えながら、連絡先を交換することもなく彼とは別れた。
5年後、「和牛」をめぐる謎を解き明かすために彼を探すことになるとは、夢にも思わなかった。
(テレビ朝日社会部 松本健吾)

■「中国の“和牛”闇ルートを日本側で調べられないか」

2022年秋、日本に帰国していた私は、事件取材の合間に「牛」を追っていた。牛は牛でも、肉ではなく「げっぷ」。「牛のげっぷ」に含まれるメタンガスを減らすことで「持続可能な目標」(SDGs)に畜産業界がどう関わっていくか、最新の研究や取り組みを取材していた。
若手の畜産農家や、古い体質から脱却し、積極的に海外輸出を展開する和牛卸業者と知り合った。そんな「げっぷ取材」が佳境に入った2022年10月、中国総局の記者から久しぶりに連絡が来た。
「中国がいよいよ和牛の輸入を解禁するかもしれない」と言う。日本から中国への牛肉の輸出は、牛海綿状脳症(BSE)を理由に2001年から停止されている。20年以上たち、いよいよ再開されるというのだ。

 同僚の記者は声をひそめた。
「実はこれまでも中国には闇ルートで和牛が入ってきていた。そのルートを日本側で調べられないか?」

■浮上した“カンボジアルート” 農家告白「香港経由とか…ブロックでいいから」

取材するとすぐ、中国への密輸ルートとして“カンボジア”が浮上した。支局時代、取材で何度もカンボジアを訪れたが、和牛は見たことも食べたこともなかった。
 “牛のげっぷ取材”を通じて知り合った男性から、「九州の畜産農家がカンボジア向けに和牛を出したことがあるらしい」と情報提供があった。すぐに現地に飛んだ。「匿名なら」と了解を得てインタビューした。
「カンボジア向けの肉を依頼されて、5,6頭分を出したことがあります。中国地方の食肉処理場に運んで、その先は香港経由とかなんだとか…正直そういうのはよくわからないんですよ、俺ら生産者は。ただ、“何でもいいから”、“ブロックでもいいから”欲しいとは言われました」

だが、その肉が本当にカンボジアに行ったのか。取材は難航した。バンコク支局と連携して現地情報を調べてもほとんど出てこない。
そこで思い出したのが、5年前にバンコクで出会ったカンボジア人男性のことだった。

■証言“カンボジアの港には和牛は入ってきていない”

あの人に聞けば突破口が開けるかもしれない。名刺交換をしなかった当時の自分を恨んだが、記憶に残っていた特徴的な名前と顔を頼りにSNSで探し始めた。あるキーワードを打ち込んだところ、1人のカンボジア人男性がヒットした。覚えていた名前とは少し違ったが、プロフィール写真は記憶と一致し、投稿内容からも同一人物と確認できた。バンコクに住む友人経由で何とか連絡をとり、カンボジア・プノンペンで取材の約束を取り付けた。
インタビューしたバンコク支局の同僚のメモには、
▼ルートの存在は知っている。
▼カンボジアの加工工場で手を加えてから「カンボジア産加工肉」として中国へ輸出しないかというビジネスの誘いが来た。
▼そもそも全くカンボジアの港には和牛は入ってきていない。
▼和牛なんて、この国のどこにも見当たらない。
▼カンボジアに入る前に積み替えているのではないか。
と記されていた。

去年11月、中国で行われた日中首脳会談に合わせ、カンボジア向けに輸出したという農家の証言や貿易統計のデータなどから「中国への和牛輸出解禁への期待」と「和牛迂回輸出疑惑」と報じた。
しかし、密輸の決定的な証拠は最後まで手に入らなかった。放送後、話を聞いた都内の畜産関係者が電話口で笑った。
「見て見ぬふりをするのも必要でしょう。世の中には“必要悪”があるんですよ。タダで入っているわけじゃなくて、売っているんですから」
“必要悪”という言葉に対し、一言二言言い返してやりたかったが、その時の私は「そうですね」と答えることしかできなかった。

■一通のFAXをキッカケに…“番号追跡”が暴いた闇ルート

環境に優しい「牛のげっぷ」を取り上げた特集のオンエアも終わり、「新しい企画を考えないと」…そう思い始めた今年2月、神奈川県警から一通の広報があった。県警を担当する記者が不在で、たまたま代わりに受け取ったものだった。
表題には「関税法違反、家畜伝染病予防法違反事件被疑者の検挙について」と記されていた。
【事案概要:横浜税関に対してカンボジアに輸出する旨の偽った申告をし…冷凍牛肉を…輸出したもの】
途切れていた取材がつながるかもしれない。胸の高まりが止まらなかった。

バンコク支局・中国総局、神奈川県警担当、遊軍…部署の垣根を越え、「和牛闇ルート取材班」が作られた。「なぜ警察は摘発できたのか?何の証拠を掴んだのか」そこを一点突破すると決めた。取材はとんとん拍子に進んだ。(詳細は【狙われた和牛】シリーズ各記事を参照)
コンテナも和牛も、「番号」で管理されている。番号を追えば、不正輸出の実態が見えてきた。日本国内では、“闇”を知る関係者に辿り着いたことで、密輸の手口も細かく知ることができた。

■「ロースの相場が動き出した」 浮上する“中央アジア”の国

6月26日、横浜地裁には、カンボジア向けを偽装し不正輸出した罪に問われた被告の男の姿があった。フチのない眼鏡、少しよれた紺のスーツにチェック柄のシャツを着た男は、40億円もの“和牛”不正輸出を繰り返したとされていた。
言い渡された判決は、「懲役2年6カ月 執行猶予4年 罰金250万円」(法人に対しては、罰金400万円)
被告はじっと前を見据え、浅く一礼をして席にもどった。
裁判長は、罰金刑を科した理由として、「目先の利益目当ての犯行が割に合わないことを実感させるため」と述べた。中国に入れば5倍にも10倍にもなる和牛には、リスクを上回る利益があったのだろうか。

5年前、バンコクのバーでひとりの男性と出会ってから始まった今回の取材。一連の取材で“カンボジアルート”の一部が明らかになった。
しかし、「縦割り」行政の弊害か、今年2月の事件化から4カ月経った今も、日本では密輸を防ぐような具体策は何一つとられていない。

先日、都内の焼き肉店で“闇”を知る畜産業関係者と久しぶりに会った。「最近、またロースの相場が動き出していますよ」とハラミを焼きながら教えてくれた。
ロースの相場が動く…それは日本で売れ残る高級部位が中国向けに“密輸”されていることを意味している。
さらに言葉は続いた。「今は“タジキスタン”が熱いみたいですよ」
ソ連崩壊後に独立した共和国。主要産業は農業、一人当たりのGDPは905.7ドル。そして、周囲をアフガニスタンやキルギスなどに囲まれる、“海”に面していない内陸国だ。
「どういうロジックを組み立てて、税関書類を準備したのだろうか…海として近いのは中東、アラビア海だが…」
舞台を“中央アジア”に移し、「牛」を追いかける日々は続く。

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