「僕らが体験をするかもしれない」 東大教授が伝えるあの日…【関東大震災100年】[2023/09/01 18:30]

「同じ規模の地震が起きると甚大な被害は間違いない」
「国が滅びるかも」

こう語るのは東京大学大学院、渡邉英徳教授だ。渡邉教授はデジタル技術を使って過去の「災い」の教訓を次の世代に伝えようというプロジェクトに取り組んでいる。

教授はこれまでもデジタル技術を駆使して広島の原爆や、沖縄戦の白黒写真をカラー化し、白黒写真では伝えきれなかった被害の実相を提示してきた。今回カラー化したのは、100年前の関東大震災写真だ。「首都直下地震」の発生が現実味を増している今、これを未来の防災に繋げようとする取組みを紹介する。
(テレビ朝日デジタル取材部 廣瀬哲平)

▼カラー化でよみがえる関東大震災

暑さが続く8月、東京大学にある渡邉教授の研究室を訪れた。
大学は夏休み。構内を歩く人も少ない中、教授はひとり研究室に籠り、9月から国立科学博物館で始まる企画展に向けた作業を行っていた。

「関東大震災から復興しつつある東京・浅草の仲見世の写真ですね」

取材を開始すると早速一枚の写真を見せてくれた。既にカラー化されたその写真にはバラック小屋や木造建築が立ち並び、店内で物を売る商人、購入する客など活気のある様子が見てとれた。

渡邉教授は、どのようにカラー化するのか実践して見せてくれた。

▼人工知能=AIが搭載された編集ソフトで色付け

最新の編集ソフトに取り込まれた白黒写真を1回クリックすると自動で色がついた。AIで彩られそこに写る人、空、建物。写真に自分が飛び込めるのではないかと思うくらい鮮やかに変化した。

しかし、AIカラー化写真は不十分な点があるという。

「細かく見てみると、所々変なんですよね。この傘、こんな鮮やかな色が大正時代にあったのだろうかということが疑問だったり、人々の服も随分ビビッドな色が多いです。」

現代風なグラデーションカラーの傘。赤や青など色とりどりの着物を着た人。100年前に撮られたとなると確かに不自然だ。

▼当時の人が残した“作品”を参考に修正

「スライドですね。絵師が色をつけたモノクロ写真」

パソコン画面に映し出されたのは、白黒写真の上に絵の具などで色付けされた一枚。
大正〜昭和初期に制作したとされる。AIだけでは完成できないカラー化作業の次の段階で使う参考資料である。

劇場の前で興味深げに何かを見つめる着物姿の女性が3人写っていた。渡邉教授はその中から深緑色の着物を着た女性を選び、編集ソフトの“スポイト機能”で色を抽出。AIの着色では違和感があった着物の上から塗り直した。

「ちょっと工夫してあって、(AIカラー化写真から)ベタッと塗ってしまうと、モノクロの写真の細かいところは潰れてしまいますから、元々のモノクロ写真のディテールは見えたままで色だけを反映させるっていうやり方をしています」

傘や着物の模様は残すよう丁寧にブラッシングし、100年前の姿に近づけていく。

「あまり当てずっぽうでやっては駄目で、可能な限り、その当時のことなんかを参考にしながら塗っていく必要がある」

白黒写真の正確な色はわからない。しかし、多くの史料を頼りに、約2カ月かけ浅草写真のカラー化が完了した。

「100年前の災害を今に色を取り戻して蘇らせると、今後起きるであろう災害と重ね合わせやすくなるわけですね。服装は今とは違うけれど、恐らく被災した時に僕らがこんな体験をするかもしれないですね」

▼カラー化で読み解く防災 「炎のスピードはすごく速い」

半年かけ10枚のカラー化を行った渡邉教授。
震災直後撮影されたとみられる東京・日比谷のカラー化写真も見せてくれた。

「みんな向こうの方を見ていますから、まだ火が燃え続けていて、どうなることかという感じを受けますよね」

“遠くで起きている大規模火災で多くの人が呆然と見ている”
初見で私はそのような写真だと考えた。

しかしこの写真を元気象庁長官、山本孝二氏に見てもらうと違う見方を示してくれた。

「あれは見ているんじゃなく逃げ惑っているんだと思います。炎のスピードがすごく速いんですよ。白黒写真では煙の広がりしか見えてなかったので、炎が地面を這っている姿はちょっと衝撃強いですよね」

人々が呆然としているように見えたのは炎の速さに対する“諦め”だったと考えられるとのこと。山本氏は、100年前の災害に色がつくことで今後の防災にどう繋がるか話してくれた。

「恐ろしさを人々が実感することによって、初期消火の重要性を理解してもらえるのに
とても役に立つんじゃないでしょうか。地震直後に火を止めるとか、漏電による火災の発生を防ぐとか、こういう火災対策が非常に重要になってくるのが日比谷の写真から教えてもらえます」

▼空撮写真で読み解く関東大震災

渡邉教授の別の部屋には特大ディスプレイが置かれている。50インチの縦型モニターを7面並べた、教授お手製のものである。映し出されているのは、“震災直後の空撮写真”と“その場所の今”を重ね合わせた映像。

東京・江東区。隅田川周辺に現在は近代的なビルが建ち並んでいる。“東京にはこんな多くの人が住んでいるんだ”と、映し出された動画を見ながら考えていたその時…。シャッター音と共に、立ち昇る煙が空を覆った100年前の景色が映し出された。地震が発生したのは正午前、多くの家庭で昼食の準備をしていたことから建物火災が広がったと考えられている。

“ここにいた人たちはどうなった。どこに避難したんだ”
写真を見た私は画面を埋め尽くすような煙に慄然とした。

渡邉教授はこのような映像を東京だけでなく神奈川や静岡など関東大震災の被害があった地域約20カ所で制作した。

「もし今、同じ規模の地震が東京で起きても、このように全焼することはないかもしれないけれども、甚大な被害は間違いないんですよね。そういうことを再確認させてくれる資料だと思います。」

1997年に生まれた私は阪神淡路大震災(1995年)を経験していない。2011年の東日本大震災では、当時大阪で中学生だった私は震災の発生に全く気付かず、学校が終わり友人と遊んだ後、家でテレビを観てその惨状を知った。今まで震災を遠いものとして捉えていた。

被災するまでほとんどの人が同じなのかもしれない。
だが大きな揺れは突如としてやってきて火災からは逃げたくても逃げ切れない。
今回の取材を通じて「自然の脅威の前で人間ができることは少ない。防災について考えられる余裕がある時に対策するべきだ」と感じた。できることは何なのか、カラー化された100年前の写真や空撮写真を見て今、考えている。

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