「飲んでも大丈夫」と悪魔のささやきが…飲酒運転をやめられない人たち 悲劇防ぐには

[2023/12/21 18:00]

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「飲酒運転で摘発されるのは氷山のほんの一角で、何年間も逃れ続けている方は結構いると思いますよ」
そう語ったのはかつて飲酒運転を繰り返した経験のある男性。

2001年に「危険運転致死傷罪」が創設されて以来、減少が続いてきた飲酒運転の事故件数だが、ここに来て下げ止まりの兆しを見せている。
その要因のひとつとして考えられるのが、違法とわかっていても酒を飲んで運転してしまう人たちの存在だ。

記憶に新しいのが2021年6月、千葉県八街(やちまた)市で飲酒ドライバーのトラックが小学生の列に突っ込み、5人が死傷した事故。飲酒運転の根絶が難しいことを改めて痛感させた。

なぜ酒を飲んで運転してしまうのか。
「飲酒運転をやめられない人たち」の心理とやめさせられない家族の苦悩、そして飲酒運転撲滅のために奮闘する人の思いを取材した。
(テレビ朝日報道局 佐々木毅)

■ 検挙されても…「酔うとモラルがガーッと下がる」

「ほんとにお酒に支配されていました、脳が。自分ではやってはいけないとわかっているのに…完全に脳が病気になっていました」

NPO法人「高知県断酒連合会」の小松重洋会長(55)。
1990年代半ばから10年以上、飲酒運転を続けていた過去がある。

学生時代はほとんど酒を飲まなかったが、社会人になって仕事の付き合いで連日飲むようになり、どんどん強くなった。
休日は自宅でも500mlの缶ビールを5、6缶飲み、それでも飲み足りない。当時は近所にコンビニがなく、代わりにビールの自動販売機があった。
自宅からの距離は2キロほど。どうしても酒が飲みたくて深夜に車を走らせた。

「捕まったらやばいなという自覚はあったので、警察署の近くは通らないようにしていたんですが、ある日、後ろで(パトカーの)回転灯が光って。警察官が『何かちょっと変なにおいがしますけど、降りてきてもらえんでしょうか』と」

当時、酒気帯び運転での免許停止期間は30日間。1日の講習を受ければこれが短縮され、すぐ運転することができた。
ただ、初めて検挙されたショックは大きかった。

「後ろで回転灯が光ったという恐怖がすごく残りまして、もうきれいに飲酒欲求がなくなって酒を飲まなくなりました」

飲酒運転中、後ろでパトカーの回転灯が…

それでも数カ月すれば、恐怖は薄れていく。
まずは“ミニ缶”のビールを一缶だけ飲んでみる。驚くほど心地よく飲めたという。
やがて飲む量は増えていき、以前と同様、車に乗ってビールを買いに行く習慣が復活した。

「酔ってしまうと悪魔のささやきが、『あの時は運が悪かっただけや。飲酒運転で事故もしてないし、人様に迷惑もかけてない』と。『酔ってもちゃんと運転できるから大丈夫や』と。そうすると自分の中のモラルがすごい勢いで、ガーッと下がっていくんです」

1997年に結婚した後も、妻の目を盗んで酒を飲み、飲酒運転を続けた小松さん。
その行為はさらにエスカレートしていく。

■ 妻が胸ぐらつかんで「『断酒会』に行くか、離婚か」

東名高速道路上で飲酒運転のトラックが乗用車に追突し炎上した(1999年11月)

1999年11月。
東名高速道路で飲酒運転のトラックによる追突炎上事故が起きた。
追突された車の後部座席に乗っていた女児2人が死亡する。

この事故をきっかけに「危険運転致死傷罪」が創設され、飲酒運転など悪質・危険な運転への厳罰化が進んだ。
それとともに交通事故の死者数も激減。2000年に9千人を超えていた死者数は2010年に5千人を切るまでになった。

だが、小松さんの飲酒運転は、厳罰化でも止まることはなかった。
「しらふの時には、もし飲酒運転で事故を起こしたらとんでもないことになる、家族にも社会にも多大な迷惑をかけるから絶対にしてはいけないと思っているんです。でもアルコールが入ると、してはいけないというハードルが下がってしまう」

妻に気づかれないよう晩酌ではビール2缶程度にしておき、妻が眠った後に追加で飲む。音で起こさないようにタオルで缶をくるんでプルタブを開ける。
追加のビールを買うため、玄関のドアも静かに開け閉めして深夜に車を出す。
やがて…

「会社が終わって車で自宅に帰るんですが、途中にスーパーがあって、そこでビールを買う。家まではそこからわずか7、8分なのに、それが待てない。助手席にはビールがあって、体はとにかくビールを飲みたい、ビールを飲みたいと。それで飲みながら帰るように…」

2006年8月には福岡市で新たな悲劇が起きた。
橋の上で飲酒運転の車に追突された乗用車が博多湾に転落、子ども3人が死亡したのだ。

福岡で起きた飲酒運転事故の実況見分(2006年9月)

「ニュースでこの事故のことを見て、もし自分がやったら、と思うと背筋が凍る思いがし ました。それでもお酒を飲んでしまうし運転してしまう。自分ではどうしても止められない状態でした」(小松さん)

だがこの頃、会社帰りの車の中でビールを飲んでいたことが、ついに妻にバレてしまう。
ある夜、妻は小松さんの胸ぐらをつかみ、こう言った。
「もしあんたが飲酒運転で人を殺(あや)めたらあんたは犯罪者で私は犯罪者の妻になる。それがわかってるの?『断酒会』に入って酒をやめるか、離婚届にサインするか、どっちか選んでほしい」

小松さんは地元の「断酒会」に入ることを選んだ。

■ 検挙者「高止まり」に懸念 半年後に悲惨な事故が

飲酒運転の取り締まり件数は2013年から2019年までほぼ横ばいが続いていた

警察庁のまとめによると、飲酒運転の取り締まり件数は2013年以降、2万件台の後半でほぼ横ばいとなっていた。その後のコロナ禍でやや減ったものの、今年は11月までの時点で去年、一昨年を上回るペースとなっている。
小松さんのように、厳罰化にもかかわらず飲酒運転をやめられない人たちが一定数いるということなのか。

東名高速の飲酒追突事故で、娘2人を失い、自身も大やけどを負った井上保孝さんは、2020年のインタビューで懸念を示していた。
「飲酒運転の検挙者数を見ていると、ある一定のレベルで高止まりしてしまっていて、それ以上はなかなか減っていかないという、我々としては忸怩(じくじ)たる思いがあります」

そしてこのインタビューの半年後、千葉・八街市の事故が起きたのである。
下校中の小学生の列に突っ込み、5人を死傷させたトラックの運転手は飲酒運転の常習者。事故当日も220mlの焼酎を飲み干した後に運転し、居眠り状態で事故を起こしていた。

このニュースに強い衝撃を受け、行動に移した人たちがいる。

■ 「アルコールインターロック」の問い合わせが急増した

トラック46台を保有する日成ストマック・トーキョー

東京・江戸川区にある日成ストマック・トーキョー。
産業廃棄物の収集運搬・処理を担い、トラック46台を保有する。

そのすべてのトラックに装着されているのが、「アルコールインターロック」だ。呼気中のアルコール濃度を測定し、飲酒運転を未然に防ぐ装置である。
出発する前の運転席では、ドライバーがマウスピースをつけた端末を手に持ち息を吹き込んでいる。10秒ほど吹き込むと判定が始まり、問題がなければ「エンジンをかけてください」という音声が流れる。
万が一、アルコールが検知されるとエンジンがかからない仕組みだ。

アルコールインターロックの端末に息を吹き込む

装着するきっかけとなったのが八街の事故だ。
ニュースを見た社長が「全車に取り付ける」と決断。事故から9カ月後にはすべてのトラックへの装着が完了した。
ドライバーからは「最初は確かに面倒だったが慣れてくれば問題ない」「飲酒運転に対する意識が高まった」という声が出ているという。

このアルコールインターロックを製造・販売しているのが、静岡県にある飲酒運転防止装置メーカー、東海電子だ。
それまで企業向けにアルコールインターロックを販売していたが、杉本哲也社長によると、八街の事故以降、個人からの問い合わせが急増した。

「報道を見て、自分の家族が加害者になったら大変なことになる、それを皆さん、恐れたと思うんですよね」

家族が飲酒運転をしているのに止めることができない… 悩んでいた人たちが、ネット経由で東海電子にたどり着いたのだ。
アルコールインターロックの販売価格は約15万円(取付費が別途約5万円)。個人の車に設置するとなると、自宅を訪れ、運転する本人に説明するなどかなりの手間がかかる。杉本社長は「ビジネスにはならない」と話す。
それでも個人に向けて販売することを決めた。

「飲酒運転している人の家族に対して、『企業向けだから』と言って諦めていただくのは、実は間接的に飲酒運転をほう助しているんじゃないか…そのくらいの気持ちになっちゃったんですね、私自身が」

■ 朝から飲んで運転する父…困り果てた娘は

社会に衝撃を与えた八街の飲酒運転事故(2021年6月)

八街の事故直後は毎週のように入った個人からの問い合わせは、今でも月2件くらいずつ入っているという。ただ、その後の家族による話し合いの結果、見送りになることも多く、これまで装着に至ったのは4件だけ。

そのうちの1件が、香川県の小山家(仮名)だ。
80代後半の父の飲酒運転に悩んだ娘の恭子さん(仮名)が、取り付けを依頼した。

「おととしくらいから酒の量が増えてきたんですよ」
恭子さんによれば、父は毎日、昼頃になると近くの銭湯に車で出かける。帰りにスーパーで買い物をして、その後、自宅で酒を飲む。
350mlのビールを1日5、6缶。確かに量は多いが、飲んだ後は運転しないからと安心していた。ところが…

「実は朝、5時ごろに起きた後、一杯飲んでいたんですよ。たまたま私が早く起きて気がついて。これはマズいと思って父に『お風呂に行くとき車に乗るのに、朝、飲んではダメよ』と言っても、『乗る頃には(アルコールは)なくなっている』と言って…」

娘がどんなに怒っても取り合おうとしない父。
「違反しているとか、人様に迷惑をかけるとか、そういうことまで考えられていない感じ。想像力が欠如しているというか、自分は別だと思っているのか」

鍵を隠すなど、強制的に車に乗れなくすればいい、と思う人がいるかもしれない。
だが、東海電子の杉本社長は、そうした手段に出た場合、別のリスクがあると指摘する。

「『その鍵よこせ』みたいな怒鳴り合い、暴力が起きる。家族が殴られるような恐れは確実にあると思います。やっぱり険悪になりたくない、暴力を振るわれたくはないでしょうから」

アルコールが検知されるとエンジンがかからない

恭子さんとしては、父の生活から車という移動手段を奪うことはしたくなかった。
「お酒を感知したら車が動かなかったらいいのに…」
そんな思いでネット検索を続け、たどり着いたのがアルコールインターロックだった。

最初は「何でそんなものを付けないといかんのや?」と文句を言っていた父も、実際にインターロックを試し、恭子さんが「アルコールゼロで運転できるんだから」と説得すると素直に従ってくれた。

取り付け後、昼間に車で出かけようとして実際にアルコールが検知されたことがあった。エンジンがかからず諦めたという。
「飲酒運転を止めることができた…」
少し心が軽くなった気がした。

■ 「飲酒運転の違反者にインターロックを義務化しては?」

いつ事故を起こすかわからない飲酒運転の常習者、いわば“事故予備軍”のドライバーたちを、どう止めればいいのか。

東海電子の杉本哲也社長

東海電子の杉本社長は、飲酒運転で検挙された人たちに、アルコールインターロックの装着を義務化できないものかと考えている。
「飲酒運転者は、違反者講習に来て、免許を返す前にインターロックを取り付けさせる。装置を付けるという『罰金』を払って、そうすれば免許を返してあげますよと」

10数年にわたって飲酒運転を続けていた小松重洋さんは、地元の「断酒会」に入り、今では完全に酒を断つことができている。
同じように飲酒をやめられない人に、まずはアルコール専門の病院に行くことを推奨する。専門の病院であれば、その後、「断酒会」につなげてくれるという。
「ひとりでは断酒は難しい。仲間とやっていかないと難しいので」

警視庁による飲酒検問

一方、杉本社長は病院に行くこと自体、ハードルが高いという人も多くいるのではないかと危惧する。
「理想は病院に行くことですが、その手前でも、とにかく飲酒運転をさせない、今日、今晩、飲酒運転する人を一人でも減らすことは必要ですよね。治療か機械か、ではなくて、治療も効果があるし、インターロックも効果がある。ハイブリッドでやっていければいいなと思っています」

国土交通省は2007年以降、アルコールインターロックの活用に向けた検討会を設置し、2012年に「技術指針」を策定しているが、装着義務付けなどの動きは進んでいない。
杉本社長は、厳罰化により飲酒運転事故がかなり減ったことが、逆に議論を停滞させているのではないかと指摘する。

ただ、これまで見てきたように法律の厳しさと関係なく、飲酒運転をしてしまう人たちは存在する。減ったとは言え、今年も11月までに105人の命が飲酒運転で奪われた。
できることをやらなければ、悲劇は起き続ける。

  • トラック46台を保有する日成ストマック・トーキョー
  • 出発前に必ずアルコールインターロックで呼気のチェック
  • 息を吹き込むハンディユニットと呼気中のアルコール濃度が表示されるディスプレイユニット
  • アルコールインターロックの端末に息を吹き込む
  • 数秒間、息を吹き込めば測定が開始される
  • アルコールが検知されるとエンジンがかからない
  • アルコールが検知されなければ「エンジンをかけてください」という音声が流れる
  • トラックには「アルコールインターロック」装着を示すステッカーが貼られている
  • 東名高速道路上で飲酒運転のトラックが乗用車に追突し炎上した(1999年11月)
  • 福岡で起きた飲酒運転事故の実況見分(2006年9月)
  • 社会に衝撃を与えた八街の飲酒運転事故(2021年6月)
  • 自身の過去の飲酒運転について語る小松重洋さん
  • 飲酒運転中、後ろでパトカーの回転灯が…
  • 東海電子の杉本哲也社長
  • 飲酒運転の検問
  • 飲酒運転の取り締まり件数は2013年から2019年までほぼ横ばいが続いていた

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