「頑張る、言えば言うほど心が折れそう」今も傷つく被災者たち 輪島朝市店主の3カ月
[2024/04/05 10:00]
被災地で、被災者の話を聞いていることを忘れそうになるほど、何度も笑わされた。
二木(ふたき)洋子さん(72)と、小坂美恵子さん(65)。
能登半島地震で壊滅的な被害を受けた「輪島朝市」で50年以上続く「二木鮮魚店」を仕切る。親戚同士の2人は、何を話しても息がぴったり。私が初めて2人を取材したのは、能登半島地震の発生から1カ月ほど経った2月上旬だ。ともに輪島市の自宅が被災し、金沢市内のアパートに別々に避難していた。仕事も住まいも失って「どん底にいた」という時期なのに、朝市の話になると、目を輝かせたり潤ませたりしながら、漫才のような掛け合いで振り返ってくれた。
二木さんの義母・二木みよさんが始めた「二木鮮魚店」は、みよさんの実子たちが看板を引き継ぎ9年前から二木洋子さんと小坂さんが3代目を担う。能登の新鮮な魚を仕入れ、一夜干しや昆布締めなどにして販売してきた。
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もとはバスガイドと輪島塗を扱っていた2人組もとはバスガイドと輪島塗を扱っていた2人組
若い頃は北陸鉄道のバスガイドをやっていたという二木さん。
そこで、お客さん相手のトーク力を鍛えたのでしょうか。
結婚・出産を経た二木さんが、義姉を手伝う形で朝市に立ち始めたのは26歳のころだ。
北陸新幹線が開業した2015年5月、病魔が二木さんを襲う。
朝から市場で魚を仕入れ、リアカーで朝市まで引っ張っていこうとした時、漁協の近くで倒れた。くも膜下出血だった。すぐに周りの仲間が救急車を呼んでくれて一命を取り留めたが、手術は12時間に渡り、その後半年にわたって仕事ができなくなってしまった。幸い後遺症はなく、その年の年末には復帰した。
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県外の買い物客に教わる意外なこと県外の買い物客に教わる意外なこと
二木さんが倒れた時、露店を支えたのが、姪っ子にあたる小坂さんだった。
もともと、漆器店で輪島塗の仕事をしていた小坂さんは「対面商売とはほぼ無縁」な生活をしていたと言う。その後、本格的に2人体制になった。朝6時半ごろから始まるセリで魚を買い付け、朝市まで運び、テントを組む。タイやヒラメ、ブリ、イカ、甘エビ、サザエ、カニ…。約2メートルの露店にたっぷり3段分の魚を並べて午前中いっぱい販売する。「輪島の魚のことならなんでも聞いて」と声をそろえる。
何より楽しいのは、販売しながらお客さんと生まれる会話だ。
北海道から来たお客さんから、現地では「サザエのみそ漬け」が好まれると聞いて、自分でも試したところびっくりするほど美味しかった。それを、今度は地元の人向けに販売すると、とても喜ばれた。対面販売だからこそ、コミュニケーションから新たな味付けが生まれる。朝市の醍醐味だと話してくれた。
「夏は暑いし冬は寒い。生臭いしその割に儲からない。でもね、朝市はわたしのすべてやったよ」。二木さんが言うと、小坂さんも「輪島塗の仕事していたころは接客することがなかったんやけど、朝市は毎日が文化祭みたいだったわあ」と笑う。ライバルである露店仲間も、2泊3日の旅行に行くことを目標に、積み立てをしていたほど仲が良かった。
震災前の輪島朝市には行ったことがないという私に、2人のベテランは言った。
「活気がある朝市、見せてあげたかったなあ」
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「また来年ね」そう言って別れた大晦日「また来年ね」そう言って別れた大晦日
そんな調子で昨年末を迎えた2人。普段は午前中の露店が終わると、各自、自宅に戻って昼寝をするのが日課だったが、お歳暮のシーズンになるとお昼寝どころではなくなった。
12月31日、最後の仕事を終え「今年もいっぱい働いたねー。リフレッシュして来年また会おなー、と言ってお別れしたんです」と小坂さん。
毎日一緒だった2人は、震災からまる2日経ってようやく会えたという。
二木さんは、夫と自宅でくつろでいるときに被災し、着の身着のまま避難所へ駆け込んだ。小坂さんは、輪島市の実家で過ごしている時に揺れに襲われた。別の場所で過ごしていた小坂さんの夫は、土砂崩れが原因でそのまま集落ごと孤立。5日後にヘリコプターで救出されたが、心身ともに疲れてしまい、しばらくは人が変わったように落ち込んでしまった。
昔を振り返って話してくれた時とは違い、表情も硬く、口数も少なくなっていった。
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出張輪島朝市は「幻のような日だった」出張輪島朝市は「幻のような日だった」
3月23日、輪島朝市の復興の一歩として、金沢市の金石(かないわ)港で開かれた「出張輪島朝市」。二木さんは実行委員会の中心メンバーとして準備に奔走し、当日は大盛況。小坂さんは、改めて輪島朝市の灯を消してはならないと心に誓ったという。
3月下旬、当日のことや最近の心境について小坂さんに電話で話を聞いた時のことだ。少し声に元気がないように感じた。
久しぶりに会ったお客さんと再会を喜び、手を握り、泣いたり笑ったり、おしゃべりしたり。「販売」以外にもやることが盛りだくさんの1日で「目が回るほど忙しかった」
被災から3カ月たっても心は…
震災から3カ月が過ぎた。現地の報道は徐々に減っていき、人々の関心も少しずつ薄れてしまっている。「被害」よりも「復興」に関するニュースが増え、人々の気持ちも復興したかのように感じられるのを小坂さんは懸念する。
いまも、「あんたんとこは家が焼けなかったから良かったね」などという、被災者同士の些細なやりとりで傷ついてしまう。
復興したい思いと、遅々として進まぬ現実や脆くなってしまった自分の気持ち。
やり切れない思いがあることも知ってほしいと電話口で言った。
初対面の私を笑わせてくれるあの明るい声がまた聞きたい。
彼女たちが心から前を向ける日が来るまで、きちんと報道を続けなければならない、と改めて感じた。
(取材、撮影:今村優莉)?