「復興なんて描けなかった」
店主の絶望を変えたのは
「絶望しかないんだよ。何もないんだ。復興なんて描けないし何も考えられない。こんな自分に取材しても話すことなんて何もない」
電話口で、紙浩之さん(54)はそう言って嗚咽を漏らした。
「絶望しかないんだよ。何もないんだ。復興なんて描けないし何も考えられない。こんな自分に取材しても話すことなんて何もない」
電話口で、紙浩之さん(54)はそう言って嗚咽を漏らした。
「海女の島」として知られる離島がある。
能登半島沖から北へ50km。人口約70人の小さな島、舳倉島(へぐらじま)のことだ。
能登半島地震の発生からちょうど3カ月が過ぎた今年4月1日。石川県輪島市内で、輪島塗漆器販売・製造の「塗太郎(ぬりたろう)」の工房が再開した。
3階建てのスタジオ兼自宅は、茶色く焼け焦げ、外壁のコンクリートが剥げて鉄骨がむき出しになっていた。
焼け跡には、灰にまみれたストロボと望遠レンズが転がっていた。
待ち合わせた「永井豪記念館」の前で、遠島孝子さん(62)は赤いジャケット姿でポツンと立っていた。表情は暗く、焼け跡で落ち合ったことを申し訳なく思った。
「今までここは、すごく賑わっていたんです。仲間もみんな並んでおったし、お客さんもいた。今、店も何もない。誰もいなくて。こんなとこに一人でおるのは嫌や」
庭の一角に積み上げられたアワビの貝殻が、日光の下でキラキラと深紅色の光を放っていた。
「アワビといえば関山さん」
輪島朝市の関係者がそう口をそろえて言う人がいる。
被災地で、被災者の話を聞いていることを忘れそうになるほど、何度も笑わされた。
二木(ふたき)洋子さん(72)と、小坂美恵子さん(65)。ともに輪島朝市で50年以上続く「二木鮮魚店」を仕切る。親戚同士の二人は、何を話しても息がぴったり。
石川県の地元紙、北國新聞の1面にこんな見出しの記事が掲載された。
「輪島朝市 金石で復活」 「5月の連休目指す」
「ここ来るとね。気分が滅入っちゃいますよね」
能登半島地震から1カ月あまり経った今年2月上旬。地震による大火に見舞われた輪島市河井町の「朝市通り」を、冨水長毅(とみず・ながたけ)・輪島朝市組合長(55)と歩いた。
あの日、目の前で起きたことは忘れられない。
ミシミシ、バキバキバキ・・・
大きな揺れと音とともに、築100年以上の酒蔵が大きく傾いた。
パックリと地割れした自宅敷地にある加工場で、「南谷良枝商店」社長の南谷良枝さん(48)はトレードマークのピンク色の上着姿で出迎えてくれた。
「これ着ていると、元気でるから」
朝6時。
輪島市朝市組合の理事、中道肇さん(66)の一日は、無料通話アプリ「LINE」でメッセージを送信することから始まる。
おはよう
みなさん、今日の目覚めはいかがですか
今年初めての塩が出来ました
焼け落ちた朝市を見たとき、廃業しかないと思った。
朝市通りで半世紀続く輪島塗の「大徹八井漆器工房」2代目、八井貴啓さん(54)は覚悟した。
通りの東端に建つ店舗兼住宅の木造家屋は、かろうじて火災を免れた。だが、南に2キロ離れた工房は全倒壊。子どもの頃から育った朝市も変わり果てた姿となった。しばらく涙も出なかった。