【池上解説】実は10年でこんなに変わっていた!「止まれ」の標識&日ロ関係

[2024/06/08 21:00]

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10年ひと昔なんて言いますが、10年前の2014年というと、つい最近では!?と思う人もいらっしゃるのではないでしょうか。でも10年前の日本や世界と今を比べてみると意外に大きな変化があります。その変化を見ていくことで今の日本、そしてこれからを考えてみましょう。

■10年前 2014年ってどんな時代?

ディズニー映画「アナと雪の女王」が大ヒットし、まだSDGsなんて言葉はなく、レジ袋も無料だった2014年。その直前の2013年9月にオリンピックが東京で開催されることが決まったばかりでした。

羽生結弦選手がロシアのソチオリンピックで金メダルを獲得したのもちょうど10年前の2014年。今ではロシアでオリンピックを開催する雰囲気ではなくなってしまいましたよね。
まずは国内の変化を見てみましょう。

■変化に気づいた?…実は変わっていた「標識」

皆さんが毎日きっと目にしている「標識」。例えば一時停止の「止まれ」の標識が10年前と今とでは変わっていること、気づいていますか?

実は2017年以降、外国人の方にもわかりやすいよう、英語も併記されたものに交換が進められていたんです。言われないと気付きませんよね?

そしてこんな標識も変わっていたんです。

交差点などでよく見るこちらの標識。以前は日本語のままローマ字で書かれていましたが、オリンピック開催決定を機に、英語での表記へと変わっているんです。
確かに外国の方にはこの方がよくわかりますよね。でも中にはこんな標識もあるんです。

飯田橋、神田橋、二重橋…すべて橋が付いていますが、「iidabashi」 に「Kanda Bridge」、更には「Nijyubashi Bridge」と英語表記がすべて違います。
これはなぜか、わかりますか?
飯田橋は「橋」というより「地名」として定着しているので、Iidabashi、神田橋や永代橋は実際の「橋」なのでBridgeの表記、二重橋は橋でもありますが、そもそも二重橋、という観光名所なので、あえてこの表記にしているそうです。
同じ理由で虎ノ門は「Toranomon」、浅草の雷門は「Kaminarimon Gate」となっています。意外と細かいところまで配慮されていますよね。この10年で標識はこんなにも進化していたんです。

■10年で大きく変化!ロシアとの関係

10年で大きく変わったと言えば、ロシアとの関係です。2013年に開催されたサミットには、まだロシアが参加していました。G8と言われていましたね。でも今はもうロシアは参加していません。変化のきっかけとなったのが、ちょうど10年前の2014年、ロシアによるウクライナのクリミア半島占領でした。

ロシアのウクライナ侵攻が大きなニュースとなったのは2年前ですが、実は10年前から争いは始まっていたんです。武力をもって他国を侵略することは認められない、とロシアはサミットから締め出され、経済制裁も受けるようになりました。ちなみに当時のロシア大統領も今と変わらずプーチン大統領です。

では日本との関係はどうだったでしょうか。10年前、日本の総理大臣は安倍さんでした。二人は「シンゾー」「ウラジーミル」とファーストネームで呼び合うほど、親密な関係でした。なので北方領土の問題も解決するんじゃないか、島が返還されるのではないか、と期待されていたんです。

プーチン大統領は北方領土の問題について「引き分け」という言葉を使ったことがあります。柔道が好きなプーチン大統領らしい表現です。そこで当時の日本政府はなんとか「引き分け」に持ち込めないか、まずは4島のうち2島だけでも返してもらって、残りの2島はその後交渉しよう、そんな風に考えていたと言われています。

ロシアがクリミア半島を占領した後も、日本は積極的に交渉を続けていました。アメリカをはじめとする世界各国が経済制裁をする中で、日本は大変に消極的でした。しかしそんな努力をすべてダメにしてしまったのが2年前のウクライナ侵攻です。
流石に日本も経済制裁に参加しないわけにはいかなくなり、結果日ロ関係は最悪の状態に、北方領土に関する交渉は完全にストップしてしまいました。

こうして10年という単位で見ていくと、つい最近のようでも実は大きく変わっていますよね。こうした小さな変化を見続けていくことが、この先を知る上でとても大切なことだと思いますね。

(6月8日放送 池上彰のニュースそうだったのか!! より)

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