1995年3月20日午前8時15分頃、東京のど真ん中で世界を震撼させるテロ事件が起きた。負傷者6300人、死者13人が出る大惨事となった、地下鉄サリン事件である。
事件を起こしたのは新興宗教団体・オウム真理教。真相解明に注目が集まった。しかしその後、250回以上にも及んだ公判で、教祖・麻原彰晃の口から真実が語られることはなかった。
真相を解き明かそうと、私は事件直後から取材を続けてきた。
オウムの元最高幹部・上祐史浩氏に独占インタビュー。さらに「オウム武装化」の闇を知る元幹部を直撃。なんと麻原は「核武装計画」まで進めていたという。
殺人カルト集団・オウム真理教は、なぜ神の名のもとに無差別大量テロを行ったのか?
(テレビ朝日報道局 清田浩司) (2020年3月20日放送分より)
■「神の生まれ変わり」を自称 1万人超えの信者も
殺人化学兵器が一般市民に向けて使われた史上初のテロだった。犯行は当時勢力を伸ばしていた新興宗教団体・オウム真理教によるもの。その教祖は麻原彰晃。本名・松本智津夫元死刑囚。
「終焉の来ない世界。それを目指して修行する。絶対的真理の宗教である」
麻原は自らを神の生まれ変わりと称し、超能力や予言を売りに若者達を引き寄せ、最大で1万人を超える信者を集めていた。
麻原は1955年熊本県生まれ。生まれつき目に障害があったため親と離れ盲学校で育った。卒業後は千葉県に移り、鍼灸院などを経営。1987年に宗教団体としてオウム真理教を設立した。
1990年には衆議院選挙に出馬し、歌って踊る派手なパフォーマンスで世に広く知られることになった。90年代の新宗教ブームの波に乗り一躍脚光を浴びた。
■「犯罪化の原点」 オウム元幹部が初めて語った
1989年、オウムは自分たちの活動を批判していた坂本堤弁護士とその家族を殺害。一家3人の遺体を別々の山中に遺棄した。1歳の幼い子どもにまで手をかける残忍さは大きな衝撃だった。
1994年には長野県松本市で猛毒の化学兵器サリンを散布。死者8人、負傷者140人の大惨事に。教団支部の建設を巡る裁判官や地元住民へのテロだった。
そして1995年に地下鉄サリン事件を起こす。一体なぜオウムは凶悪犯罪を繰り返してきたのだろうか?
私はその原点を知る数少ない人物に取材を試みた。取材に応じたのは、オウム真理教の元幹部。名前など明かさないことを条件に初めて語った内容は、当事者にしか分からない生々しいものだった。
次のページは
■「ポアしないと」 チベット密教奥義を「殺人肯定」に利用■「ポアしないと」 チベット密教奥義を「殺人肯定」に利用
元幹部の証言から、教団の歯車が大きく狂い出したきっかけが見えてきた。
1988年9月。地下鉄サリン事件の6年半前。富士山総本部道場では深夜まで立位礼拝の修行が行われていた。すると、奇声を発しながら暴れ出した信者がいた。水谷浩一さん(仮名)。引きつけや癲癇(てんかん)のような症状を起こしていたという。
麻原に報告を上げたのは幹部の村井秀夫。大阪大学大学院で物理学を学ぶ教団最高幹部の一人で、ほとんどすべてのオウムの殺人事件に関与する。
麻原の指示のもと、村井など数名が対応することになった。村井らは水をかけ続けたが、水谷さんの症状はおさまらなかった。そこで湯船に水をため顔をつけたが、水谷さんは死んでいた。そのことを麻原に報告すると…
「これを公表すれば、オウム真理教は終わりだ。このことを届け出るか?しかし、せっかく教団に勢いが出てきた時だし、公になれば救済計画も大幅に遅れるな。一刻も早く、ポアしないといけないな」
「ポア」とは麻原の力で魂を高い世界へ転生させること。オウムでは殺人をも意味する言葉だった。水谷さんの遺体はドラム缶に入れられ護摩壇で焼かれることになった。現場には麻原も立ち会った。
「ヴァジラヤーナに入れというシヴァ神からの示唆だな」
「ヴァジラヤーナ」とはもともとチベット密教の奥義のこと。オウムでは殺人さえ肯定する教義として使われた。
1989年2月、地下鉄サリン事件の6年前。水谷さんの死がきっかけとなり、ある事件が起きる。オウムからの脱会を申し出た田口修二さんが教団施設内のコンテナに監禁された。田口さんは水谷さんが死亡した現場に居合わせていたのだ。
田口さんも麻原の指示で、「ポア」することとなった。幹部らは田口さんの目を隠すと、用意していたロープを静かに首に巻き、田口さんを殺害。遺体は水谷さんの時と同様に護摩壇で燃やした。
■教団の計画「日本ハルマゲドン」とは
1990年2月、地下鉄サリン事件の5年前。オウム真理教の教祖・麻原彰晃は、さらなる信者の獲得と国家への影響力を持つため衆議院選挙に出馬。しかし選挙の結果は惨敗。本気で当選を信じていた麻原は傍目にも落胆していたという。
選挙の翌日には信者たちに対し麻原自身が国家による陰謀論を唱え始める。落選を境に、オウムは社会や国家を敵対視。対決姿勢をむき出しにしていくことになる。
オウムは、山梨県上九一色村に建設したサティアンと呼ばれる巨大施設の中である計画を進めていく。それが教団武装化計画。国家転覆を図るため武器を密造、生物兵器や化学兵器の開発を目指したのだ。
また第七サティアンと呼ばれる施設の中ではさらに恐ろしいものを作ろうとしていた。それが猛毒の化学兵器・サリン。一体なぜオウムはサリンの開発に乗り出したのか?
「教団の計画は日本ハルマゲドン計画ですから、在家の人も含めて一般の人たちこれをポア(殺害)していく」
ハルマゲドンとは新約聖書に書かれている世界の終わりに起きる最終戦争のこと。当時麻原はこのハルマゲドンの到来を繰り返し予言していた。
■「サリンを70トン」 「炭疽菌を作る」計画も
1993年夏、地下鉄サリン事件の1年半前。このころにはオウムはサリンの試作に成功していた。その後麻原のもとで話し合われたのが、人類70億人を死に至らしめる量、サリン70トンをつくるという計画。この計画のために、ロシアから大型の軍用ヘリコプターも購入。空からばら撒く計画を立てていた。
今回、武装化のキーパーソンと言われる人物に単独インタビューを試みた。元オウム幹部・野田成人氏は教祖・麻原彰晃の側近として仕え、武装化の一端を任された人物だ。東京大学理学部でノーベル賞を目指していた頭脳をかわれ教団の科学部門で活動した。地下鉄サリン事件以降は、一時オウムの後継団体の代表を務めていた。
しかし2009年に「麻原を処刑せよ」と発言したことで除名になり、現在はオウムとは一線を画している。
「炭疽菌(たんそきん)を作るという話がありました。東京で、93年6月に予定されていた皇太子さまのご成婚に合わせて撒く」
炭疽菌とは毒性が極めて強い細菌で、生物兵器としても使われるもの。その致死率は90%とも言われている。野田氏によれば、東京亀戸にあった東京総本部に科学班のメンバーが秘密裏に集められ、炭疽菌の開発が進められたという。しかし、施設の周辺で異臭騒ぎが起きたこともあり、炭疽菌計画は中止に追い込まれた。
ところが教祖・麻原は、さらに驚くべき別の計画を野田氏に命じていたという。
「指示を受けたのは93年の頭ぐらい。核兵器について調べるという話があった。最初は調べているだけだったが、本気で作ろうとしていた」
「ウランの採れる土地がオーストラリアにある。押さえたか、押さえる話。出家信者が10名近くと、科学班の村井とか10名、計20名ぐらいで行きましたね」
麻原は信者20人余りを引き連れオーストラリアへと渡ったという。
■オーストラリアで「ウラン採取」 サリン使った”予行練習”も
私はオウムの「核武装計画」を追い、オーストラリアへ向かった。
オーストラリアの西海岸に位置するパース。この場所でオウム真理教は核武装計画を進めていたという。当時の出来事を知る人物に話を聞くことができた。
元オーストラリア連邦警察長官のミック・パーマー氏は、33年間重大犯罪の捜査に関わってきた。麻原がオーストラリア入国のために書いたというビザの申請書には、入国の目的は“観光”と書かれている。しかし…。
「彼らが持ち込んだ大量の品には普通でない物がありました。ハンドソープとラベルのついた劇薬もあったのです」
さらに、発電機などの機械類と約2メートル四方、200キログラムもの小型掘削機を2台も持ち込もうとしたという。薬品と掘削機は押収されたものの、およそ50万円の罰金を払い、麻原たちはオーストラリア入国を果たす。
そして、オウム真理教の一行20人余りは、小型飛行機2機をチャーターし、パースから北東700キロの内陸部バンジャワンに向かったという。そこは東京都ほどの大きさの広大な牧場だった。現在の牧場主はニール・ホワイトさん。オウムから2400万円でここを買ったという。
「確か穴がここにあって、土の山はあそこにあったと思う。だいたい直径3メートル深さ1メートル位の穴だったよ」
取材を進める中でオウムは、空港で押収された掘削機などを新たにオーストラリアで調達したことが判明した。その総額はなんと2000万円。そこまでの執念で穴を掘り上げたのだ。ニールさんによると、この辺りには質のいいウランを求め今でも世界各国の企業が調査に来るという。オウム真理教もその良質なウランが目的だったのか。
そして我々は、オウムのさらなる計画を知ることになる。サリンを使った実験だ。
捜査官が現場にあった羊の骨からサンプルを取ると、羊の毛からは、サリンが使われたという証拠が出た。可動式の柵で狭い地下鉄のような空間を作り、羊たちを隙間なくつめこみ、サリンを撒いたという。
日本から8000キロ離れた西オーストラリアで行われていていたサリン実験。それは予行演習の可能性があるとオーストラリア警察は見ている。
■上祐氏「自分さえもポアの対象になりかねない」
地下鉄サリン事件から25年。元オウム最高幹部の上祐史浩氏は今、何を想うのか?上祐氏が封印された過去を語り出した。
Q地下鉄サリン事件の目的は
「目的は不明確というか、目的というよりは信条というか『戦う神の化身となれ』という趣旨。地下鉄サリン事件が起こる前の状態で、すでに強制捜査の可能性も高まっていて、包囲されていたと思うんですが、やめてしまうと自分の宗教的なアイデンティティが失われてしまうからじゃないか。教祖自身の妄信狂信のなせる業だった」
Q教団の関与を知りながら、なぜ否定会見をしたのか
「教団内の立場としてはやむを得ずというか、それをしなければ、自分さえもポアの対象になりかねないというのが、あの教団の構造ですから。全体主義的な体制というんですか、教団側に立つか、社会側に立つか、疑似戦争みたいな状態の中にあったと思います」
Q地下鉄サリン事件を止めることはできなかったのか
「今思えば、自分たちが戦う使命を持っているという妄信に堕ち込んでいるので、それを止めるというのは悪魔ということですから、宗教的信仰ができてしまった後では善悪が反転しているわけですね。教団の中の非国民、聖なる戦いを妨げる悪魔になりますから、信仰ができた後は無理だと思います」
Q今現在、麻原彰晃は上祐氏にとって信仰の対象ではないのか
「信仰の対象ではないというより、一種の精神病患者だったと思います」
今は一連のオウム事件について反省と謝罪の気持ちを示すが、自らが主宰する「ひかりの輪」は公安調査庁にオウムの後継団体と見なされ観察処分を受けている。
核武装化計画などに関わった元幹部・野田成人氏にも同じ質問を投げかけた。
「ああいう悲劇が起こってしまうのを防ぐのは難しい。自分自身の弱さと言ってしまえばそれまでなのだが、途中の段階で抜け出そうとすれば自分がやられる」「サリンを撒けと言われたら撒いていた」
野田氏は核武装計画が失敗したため一連のオウム事件では罪に問われなかった。しかし、一歩間違えば無差別テロの実行犯になっていたかもしれない。
■“第2の地下鉄サリン事件”起こさないために
サリン製造の舞台となった「第7サティアン」。今では辺り一面、枯れ草が広がっていた。そこで当時、オウム反対運動の最前線に立っていた元上九一色村村議・竹内精一さんに話を聞いた。
Q地下鉄サリン事件は防げたと思うか
「それは私は一貫して言っている。松本サリンは救えなかったかもわからないけど、地下鉄だけは防げたはずだと。保健所も警察も第7サティアンに来るんだけど、入り口を見るだけで帰ってしまう。『検査しなきゃダメじゃないの』と言っても検査しない。中に入れたはずだった。当然もっと前に入れたはずでしょう」
竹内さんの言葉には今後“第2の地下鉄サリン事件”を起こしてはならない教訓がうかがえる。
時代は平成から令和へと移り変わった。今では地下鉄サリン事件を知らない世代がどんどん増えている。人を幸せにするはずの宗教団体が多くの犠牲者を生み出してしまった、この事件の真相を我々は今後も追及し次の世代へと伝えていかなければならない